日本計量新報の記事より 社説 2000/09-12


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■社説・需要を回復した電気計測機器産業(00年12月17日号)

2000年の計量計測機器の市況はどうであったか。電気計測機器関係は需要動向が大きく変動する業種でるが、この二カ年連続して生産金額が大きく増加させている。他の計量計測機器の市況が思わしくない中での電気計測機器の好調さが目立つ。

 電気計測器産業は1998年に生産金額の実績が大きく落ち込んだものの、1999年には生産金額実績は前年同期比8・1%と回復基調を示していた。2000年度では1月から8月の通産省生産動態統計ベースで対前年比24・6%と増加している。

 2000年度の電気計測機器の市況は、電気測定器のうち半導体・IC測定器の大幅な回復、工業用計測制御機器における政府政策による官公需要落ち込み回避策への期待、民間設備投資での回復などもあって回復基調を一段と強めている。

 電気計測器工業会がまとめた一般測定器(半導体・IC測定器除く)の4月〜8月の生産金額実績は30・3%増であった。8月の電気計測器全体の生産額実績は、636・3億円(対前年同月比29・8%増)となった。機種別には、指示計器6・5億円(対前年同月比2・2%増)、電力量計25・6億円(対前年同月比3・0%減)、電気測定器446・6億円(対前年同月比62・5%増)、工業用計測制御機器128・5億円(対前年同月比17・4%減)、放射線測定器12・4億円(対前年同月比39・7%増)、公害計測器16・7億円(対前年同月比7・7%減)。

 また8月は、依然として電気測定器が好調である。主な品目は伝送特性測定器ネットワーク用22億円(対前年同月比121・7%増)、光測定器27億円(対前年同月比117・9%増)で、2品目とも対前年同月比でみると、生産額で昨年の2倍を上回っている。

 以上のことから通信関連の測定器のプラス成長が著しい。通信関連の測定器は全世界で通信網の増加・高機能化が始まり今後も拡大が予想されるため、今後の動向が期待される。電気測定器内の通信用機器(輸出)については、高水準で推移しており、8月は19億円(対前年同月比400・3%増)となった。主な輸出先についてだが、アメリカ6・7億円、イギリス3・5億円、フランス2・4億円といった順に多く輸出されている。

 計量計測機器産業の市況は数字が出ていない分野の動向を個別事業者の業績等から分析、また聞き取り調査をすると、良いところと悪いところとがまだら模様であり、全業種が好調という右肩上がり経済時代の様子とは違っている。次世代産業にリンクして受注を確保する体制の構築が鍵になる。

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■社説・思慮ないまま進展する地方計量行政(00年12月10日号)

 計量というと計量制度を連想し、計量制度と金銀等の貨幣の質量の秤量を連想して計量制度と貨幣制度を結びつけて論じる向きがある。計量制度と貨幣制度がともに重要な社会制度であることから、この両者を車の両輪として説くことには時代錯誤や事大主義の臭いが感じられてならないが、計量の世界における話の枕詞としてよく使われる。貨幣としての金や銀等は衡器で量定され、衡器は貨幣制度と密接に関わった。また徴税のためのマスやモノサシの制度を含めた度量衡制度は国家の形成に連動して制定されたから、貨幣と計量制度を結びつけて論じる気持ちが分からなくはない。

 計量という言葉は二つの概念に分けてとらえると便利である。一つは社会の基礎的技術としての計量であり、この計量技術は様々な技術(テクノロジー)に作用し、相互の発達を促す。もう一つは社会の基盤的制度としての計量制度(計量の社会システム)である。

 軍事の用語に兵站(へいたん)というのがあり、兵站とは軍隊が軍事行動を全うさせるための後方支援に関する全てのことを意味する。兵器、弾薬、食糧その他の必要な物資の補給や輸送をするための総合的な内容をもつものであるが、兵站思想が欠けていると作戦を遂行することができないので戦争の勝敗にも関わる。

 計量の役割は軍事における兵站に例えられる。産業や科学・技術などが振興するための重要な支援システムのとしての社会インフラの一つが、計量制度や計量技術である。計量制度はその主な内容を、@計量標準を確立し供給すること、A適正な計量の実施を確保するための検定検査制度、の二つに分けることができる。そのほかに計量制度が受け持つ分野があるかもしれないが、社会と産業の活動の兵站としての計量制度がその任務に見合った十全な体制を整えて、その機能を存分に働かせることこそが大事であろう。

 計量制度が軍事面における兵站と同じであることの理解がないと、この国の計量制度は選挙目当ての受け狙いの政治政策に押されて後退を余儀なくされる。地方分権制度におけるこの国の地方計量行政のあるべき姿・形はどういうことか。この方面に十分な思慮を働かせないまま地方の計量制度は「進展」している。

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■社説・計量制度とトレーサビリティ思想(00年12月3日号)

 日本の計量法トレーサビリティ制度への産業界からの要望の一つは、産業の現場で必要としている計測標準がもっと身近に手軽く、そして安く供給されることだが、供給される標準の種類とその供給体制は需要実体とかなりの隔たりがある。

 日本の公的計量標準の供給制度は計量法が定めた「認定事業者制度」を骨格として形成されており、これが一般に計量法トレーサビリティと呼ばれている。認定事業者は定めに従って実施した計量器の校正や標準物質の値付けに対して国家標準とのつながりを証明するロゴマーク付きの校正証明書を発行できる。この制度は平成五年十一月一日施行の計量法とともに始まったもので既に六年が経過している。
 トレーサビリティをJISの計測用語は「標準器又は計測器が、より高位の標準によって次々と校正され、国家標準につながる経路が確立されていること」と規定しており、校正とは「標準器、標準資料などを用いて計測器の表す値とそのその真の値との関係を求めること」と規定している。

 計量の国際基本用語(VIM)は、トレーサビリティを「不確かさ(ずれの範囲)がすべて表記された、切れ目のない比較の連鎖を通じて、通常は国家標準又は国際標準である決められた標準に関連付づけられ得る測定結果又は標準の値の質」と定義している。

 トレーサビリティの用語に直結する考えは、一九六〇年代の米国の宇宙開発における計測結果の一貫性を担保することでシステムの信頼性を確保するための方策として発生した。用語の単純な意味としてのトレーサビリティとは、トレーサブル(traceable)であることから出ており、それはもとを辿ることができるということである。一般的に計測に関係してトレーサビリティといえば、ユーザーが使用している測定器の標準の源をトレースしていくこと、精度のレベルによっていろいろな経路を経たとしても、標準の値が次々と移し替えられて最終的に国家標準に達することができることをさしている。

 計量計測の世界では「トレーサビリティ」というと現在は二つの概念が存在する。一つはトレーサビリティを技術的・一般的な意味で用いることに発生する概念であり、もう一つは計量法トレーサビリティである認定事業者のJCSSロゴマーク付きの校正証明書付きの校正を意味する概念である。この二つの概念がトレーサビリティに重なっているため混乱が生ずることが多い。

 旧来からある純粋な技術的な意味でのトレーサビリティと、国家標準につながることを計量法が制度として定めた国が認定した校正事業者のJCSSロゴマーク付きの校正証明書発行の制度としてのトレーサビリティが明確に区別できることが望ましい。

 トレーサビリティの歴史に関して、トレーサビリティ思想の遠隔を振り返ると自主的任意的なトレーサビリティの考え方と、国の計量法令と直接に結びついた標準と校正の水準を示すことを中心にした考え方の二つがあり、これの折衷的な考え方まである。どちらかが他方を完全に排除するう考え方で押し通すことができないのがトレーサビリティが純粋に技術に由来する側面を持つからである。

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■社説・計量計測ビジネスの今後の可能性(00年11月26日号)

 計量計測に関するテクノロジィー(技術)は工業や産業社会において今後どのように機能すべきであるか。計量の歴史研究家で経済学博士の故小泉袈裟勝氏は、計量計測機器の産業社会に占める生産割合が人間の体重に占める神経系統の割合とほぼ同じであったことと掛けて、計量計測機器とそのテクノロジィーの機能を産業社会の神経であると唱えたことがあった。

 気象観測と予報は連動するものであり、気象観測のためには地象、海象、空象、その他の気象現象をさまざまな観測機器を用いて測定し、そのデータをコンピュータで解析することによって、予報の確立を高めることに成功している。

 あらゆるセンサーを含めて計量計測機器が取り出す計測情報とそれを演算処理するコンピュータとの関わりは、コンピュータそのものの能力向上とコンピュータが活動する社会環境が整備されるに従い親密度を増すことになる。物事には計らなければ分からないことがあるし、計ってその対処を講ずることが求められることなどがある。

 品質工学のオーソリティーの一人は、「計らないで良い物をつくることがその極意である」といって人を煙に巻いている。計らなくて良い物は計ることはないし、計らなければならない物は求められる内容で計ればよい。この場合も計っただけでは用をなさず、計ることは物事の道理を適正にするための方便である。人々が間違うことが多いのは、計測のそのほとんどが目的を達成するための方便であるにも関わらず、計測を目的にしてしまうことである。

 今後の計量計測のビジネスの世界の可能性は、計ることそのものが目的となることよりも、計って得られたデータを応用的に解析によってあらかじめ設定した目的を達成することの方に多いように思われる。このように述べると謎掛けのようになってしまうが、応用力や発想力が新しい計量計測のビジネスを創り出すものである。AやBを計って、CやDという意外なことを知る計測テクノロジィーはコンピュータの力を利用して今後盛んになる。

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■社説・計量器コンサルタント制度とその機能(00年11月19日号)

 計量器コンサルタントは(社)日本計量協会が付与する資格で、同会が(社)日本計量振興協会に組織移行したことから資格付与団体は自動的に新団体に受け継がれた。計量器コンサルタント資格は、計量器と計量に関するユーザーのアドバイザーにふさわしい知識・経験を有する者が講習受講後その知識を確認する試験を経て与えられるものである。

 (社)東京都計量協会は計量器コンサルタント制度に基づく研修を実施中で、十一月二十九日に修了式を行う。教習科目は@計量法、A単位と標準(量、単位、標準)、B計量器概論(計量器について)、C計量管理概論(計量を効率化するために)などで、教習科目は時代環境に合わせて一部が追加されることがある。

 東京都計量協会が実施する計量器コンサルタント養成研修は、夜間の座学教習として実施されており、受講者は日頃の業務終了後参加する。受講者は同会会員であり、また計量器販売事業に従事する者が多い。同教習は資格に関係なく計量器事業に従事する者、計量器を使って品質管理、計量管理等の業務に従事する者にとって必要な知識を体系的に修得できる場として有意義であり、受講料の手頃さなどから適正計量管理事業所の従事者からの受講希望もある。

 現代は技術進歩の速度が速く、また計量法令の改正が小刻みに実施されていることから、計量器販売事業の従事者は最新の知識を身につけていなければならない。このため東京都の計量器コンサルタントの組織である東京都計量器コンサルタント協会(岩下貞治会長)は、年間計画を立てて研修事業を実施している。そうした事業の一環として、この夏には山梨県のファナックの工場見学をして、自動車産業等工場自動化のための産業用ロボット等の製造現場と、ファクトリーオートメーションの進展の現状を研修した。

 質量計を含めて計量計測機器は取引証明分野での使用割合は一割を超えない程度のものであり、その使用場面は、工場での生産管理、品質管理、計量管理、学術分野での使用等非常に多方面に及んでいる。こうした広範な使用場面に対応する販売のための計量器に関する知識修得は容易ではないが、計量器コンサルタント有資格者自らの自主的研修事業は意義深い。

 計量器コンサルタント制度は制度ができて久しく三桁を超える有資格者を養成している。東京都計量器コンサルタント協会では、会員の計量器コンサルタントが供給した計量器の信用保証に類する制度を発足させるべく検討を進めており、計量器コンサルタント制度を実体をもって機能させるための努力を重ねている。

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■社説・マルチセンサー複合計量計測機器(00年11月12日号)

 インテルをボブ・ノイスとともに創立したゴードン・ムーアは、コンピュータチップの性能は毎年倍々で向上するだろうと予測し、10年後この予言は正しかったことが証明された。そしてこの時点でムーアは第二の予言を「性能の向上は二年ごとに倍になる」とし、これは平均すると18カ月ごとに二倍になっている。技術者の間ではこのことがムーアの法則と呼ばれている。倍々で増えていく指数関数的増大を実感することは難しい。それほどすさまじい増大の仕方である。ムーアの法則は1995年から20年間もちこたえる可能性が高い。そうなれば20年後には、現在まるまる1日かかっている計算が、1万倍以上の高速化により10秒以内で完了するようになる。

 マイクロプロセッサーチップ、メモリーチップなどを供給する半導体産業は、指数関数的な進歩をつづけてきており、それは別な言葉でいえばネズミ算式の増殖であり進歩である。半導体産業はこうした半導体マジックを実現することにより、コンピュータを長足に進歩させた。コンピュータのパワー増大にはソフトウエアのもつ要素が加わる。マイクロプロセッサーチップとメモリーチップとそれを生かすソフトウエアということになる。ソフトウエアがどのような展開を見せるか、それは不確実であるものの、これまでのコンピュータの発展の延長線上で同一の軌道をとるものと予測される。またムーアは価格性能比の予測もしており、その予測も現在のところ証明性がある。いま20万円で買えるラップトップコンピュータは、20年前の10億円のIBMコンピュータの性能を上回る。

 コンピュータは予測可能な未来に向けて人間の知能を増強する道具にな大きな可能性を秘めている。われわれの身の回りに散在している相互に無関係な出来事は、総合するとある全体像として結実することが多いものだが、コンピュータが力を増すとこうした諸原因から一つの全体像をまとめることをたやすくする。

 翻って計量計測機器と計測技術の歴史を振り返ると、この40年間は電子化とデジタル化の大きな歩みを続けてきた。電子化・デジタル化された計量計測機器は、コンピュータと結びつけられて情報処理能力を備えるようになり、この延長線上で多くの産業合理化や健康と生活関連のための新しい概念の計量計測機器が登場した。
 そうした手始めがPOSであったし、料金はかりであったり、計数はかりであったり、郵便はかりであったり、コンピュータスケールであったり、体脂肪計付きヘルスメータであったりした。

 こうした計量計測機器はコンピュータの演算能力と質量計測の比較的単純な結合の結果生み出されたものであるが、今後インターネット社会のインフラが整備されるに従い、さまざまな量の計測を複合して思いもよらない目的を達成するような計量計測機器が数多く登場することになるであろう。

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■社説・情報文明時代に生きる現代人(00年11月5日号)

 旧来の社会観念では理解不可能な社会現象がいくつも出てくるということはそこに新しい時代の回転があると見てよい。日本の社会の歴史を大枠でとらえると明治維新と以前と以後の二つに大別できる。第二次世界大戦後の世界はアメリカナイズされた戦後世界であり、日本人の心の持ちようとしては明治維新に匹敵するかも知れないが、大きく分けると明治維新以後の枠のなかに入る。明治維新以前は封建制社会であり、その基本は土地が重要な意味を持ち、農業が中心の社会であり、日本では士農工商の身分制度の下、農民が人工の八割を占めていた。明治維新によって日本の社会は、封建制度を破壊して産業革命で飛躍した技術力を障害なく縦横に躍動させる資本主義の時代に突入した。遅れて資本主義社会の仲間に入りした日本は帝国主義のアジア分割戦争に加わりこれに敗れ、戦勝国のアメリカの社会制度を雛形にした社会経済体制を敷くことになった。従って明治維新後の社会経済体制が今日まで続いているといえる。

 戦後体制の制度疲労を説く声が聞かれて久しいが、現在はパソコンの予想以上の普及とインターネットという思いの他の情報インフラが登場したことによって、情報が手軽にしかも大量にインターネットの世界に構築されるようになった。発信され、流通し、処理される情報量が飛躍することになると、消費欲求にあわせた生産−流通システムを構築することが可能になり、大量生産大量消費型の生産メカニズムが変質する。こうした変化をもたらす最大の要因はコンピュータの普及である。コンピュータは蓄積された情報を処理することによって、問題を処理するのに従来は頭脳の働きが非常によい人の何倍もの因果関係を引き合いに出すことができるし、会計等一般的な事務処理を画期的に効率化することができる。コンピュータがもたらす事務の効率化と時間の節約に関しては、山を崩すのにすでに素晴らしく発達した大型ブルドーザーを用いてないで徒手空拳で立ち向かうのと同痔出あるといってよく、インターネットに関しても同じことがいえる。

 もちろんインターネットに関したは否定論もなかったわけではない。インターネットはコンピュータとコンピュータのネットワークでありのでここでは同一の概念として論じても差し支えない。インターネット否定理論は、一九五〇年にニューヨーク州バッファローで生まれたクリフォード・ストールが、一九九五年に『インターネットはからっぽの洞窟』(日本語版は一九九七年に草思社から出されている。消費税込み二二六六円)で、四〇〇ページを使ってやけっぱちな悪口を並べている。

 著者はいう。「15年も前から僕はネットワークユーザーだった」「この電子コミュニティと付き合うだけでも、毎夜毎夜2時間はついやしてしまう」「僕の日々の時間はモデムに少しずつ飲み込まれてしまう」「これだけアクセスしていたって、本当に役立つ情報にはめったにお目にかかれない」「インターネットはからっぽの洞窟」と。

 事実発展途上のインターネットは粗末なもので箸にも棒にも引っかからないような代物であったが、いまはもうとんでもないこれなしには情報の世界は成立しない。

 では日本ではこれまではどうであったか。一九九七年ころの日本の趣味の分野のインターネット上に掲載されてる情報は確かに貧困なものであった。役に立てようとしてもそのために費やす電話代、インターネット使用料(プロバイダ料金)がかさむ割に得られる情報はほんのわずかでしまも幼稚園児向けともいえるもので、実用としての条件を満たしていなかった。それが現在では、趣味の分野でもまずまずのものが得られるようになってきた。というよりも、知りたいことがあったらまずはインターネットで下調べをする。分かってきたらさらにインターネットで掘り下げるという作業になる。インターネットは実用の域に達しており、情報ツールとしてこれを利用しないことなど考えられない状況になっている。

 時代は情報化社会へと回転しており、インターネットという情報インフラによって、情報が手軽にしかも大量に発信、流通、処理されるようになっていることから、こうした情報量の飛躍的増大それ自体が経済社会に質の変化を求めるようになる。情報文明時代に慣れ親しむ人間になることを時代はまた現代を生きる人々に求めている。

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■社説・情報民主主義へと時代は変わる(00年10月29日号)

 通信技術の発達で情報化時代に突入しつつある。農業を中心とした農業主義文明から、産業革命後の産業主義文明を経て、情報がそれ自体で大きな価値をもつ情報主義文明に時代は移っており、別の言葉では現代は情報化社会である。時代は動き変わっている。

 人類の歴史をふりかえると、物が動く速度と情報が動く速さは同じであった。交通の手段は、人が歩いたり走ったりする速さから、馬から蒸気機関、自動車、飛行機などへと発達し、交通手段の進歩に応じて情報伝達の速さも増した。物や情報が動く速さの視点からすると地球は限りなく小さくなった。ことに電信の発明を契機に人類は通信技術を発達させることにより地球の大きさをないものにしてしまった。人工衛星を利用した衛星放送の発達は東欧やソ連でそれを見る人々に、政府が伝える社会主義体制の優位性という虚構を暴き、体制を変革してしまった。このような物が動かなくても情報が動くだけで大きな変動が起こるという現象は、情報そのものがもつ威力を物語っている。

 現代においては、社会の情報流通量は飛躍的に増大しており、情報量の増大そのものが旧来の社会構造や価値観を大きく変革するように作用する。
旧社会体制においては、国や行政機関は行政がらみの情報を理由をつけて明かさないか、あるいは適度にコントロールしてきた。このことが警察等国家機関の不正や不祥事の原因になり、情報を隠すことやコントロールすることが、それをしないことよりも具合が悪く、社会コストとしても行政情報を全面公開することが安上がりであることが明らかになっている。薬害エイズなどは厚生省の情報隠匿がその遠因であるし、地方行政においても情報を行政が隠すことによって生じている被害は大きいし、分かっていないことを含めると悪の温床がここにあるといえる。

 さきの長野県知事選挙と衆院東京二十一区補選での政策論争の一つが情報公開であったし、勝利したのは情報公開を訴えた候補者であった。長野県知事には田中康夫氏が、衆院東京二十一区選出議員には元東京HIV訴訟原告団副団長の川田悦子氏が当選した。共に「無党派のボランティアによる選挙」を全面に押し出して選挙戦を戦い、田中康夫氏は川田悦子氏を応援した。「旧態依然」の状況を打ち破る動きである。 田中康夫氏は前知事陣営から出てきた現職の副知事に打ち勝ったし、川田悦子氏は自公保各党の候補ならびに民主党の候補を破った。川田氏の選挙にはインターネット等を通じて選挙応援のボランティアが平日で六、七十人、休日では二百人を超えた。田中康夫氏の勝因の一つがインターネットであったとされ、インターネットが役人あがりの知事を再生産する旧体制を切り崩した。選挙民の心模様の変化、価値観の変化をインターネットはそのまま吸い上げて、「勝手連」などのボランティア選挙応援を生んでいる。こうした変化は今後も継続して起きるのであろうか。起きるとすればそれはどこに起因するのか。

 新現象を解くカギは現在の政治体制が古くなり過ぎているか、行政運営のあり方がまずいかである。個人が保有したい情報量が国家が持つ情報と同等の量と質を要求するのが現代の社会である。企業においても社員は経営トップと同等の情報を持たなくては仕事がし難いのが現代であり、意識さえしっかりしていれば情報の保有はパソコンとインターネットを用いることによって差異は生じない。人類は文字の発明などを通じて、人類共通の記憶ともいうべき社会的記憶を留める方法を開発してきており、現代においてはパソコンとインターネットを通じて全ての人々が人類の知的遺産としての分化情報やリアルな行政情報を知り得る立場にある。国家や行政機関は政治への真の国民の参加のためにも外交等一部を除いて情報を遮蔽してはならないのである。情報を保有しているものが政治的に有利な立場を確保するということは情報民主主義に反する社会悪である。

 論理を飛躍させると計量計測関係のビジネスなどにおいては、社会がパソコンとインターネットで情報武装されている状況下でなしうるビジネスの可能性が思い浮かぶ。計量計測機器にマイクロプロセッサやマイクロコンピュータを組み込んで所定の計量と情報処理をするハードウエアビジネスがこれまでのものであたとすれば、次に展開されるビジネスはどんな形をとるであろうか。そこに企業がどのように関わり、公的計量行政機関がどのように関わり、個々人がどのように関わるのであろうか。

 情報化社会における計量の世界は計量法体系を含めて謎に満ちており、不確定でもある。

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■社説・計量行政の自治体での基盤確立(00年10月22日号)

 日本の計量行政は計量法を骨格とする計量制度に基づいて、中央の計量行政機関と計量検定所、計量検査所など自治体が共同して、きめ細かな実施体制を敷いており、その内容は世界に誇れる質の高いものであった。計量行政の基本目的は商取引等に関する計量の安全確保、つまり適正な計量の実施の確保である。計量に関する法律と法令が直接に取り扱う内容は、テクノロジーの側面での計量(技術)がもつ本質的で一般的な内容と切り離されたものであるものの、計量行政の円滑な施行がなければ社会生活の安定はない。計量制度は重要な社会基盤であり、道路や港湾施設などのハード面の社会基盤とは異なり、性格的には「ソフト・インフラストラクチャ」であるといえる。

 制度面での社会基盤性をもち、実施面では適正な計量の実施の確保のための計量器の検定や検査の実務を規定する計量法は、法律の規定どおりに完全に機能されなければならないものである。地方公共団体の計量法の正確な理解と計量行政の円滑で適正な実施は、従来に増して切実な課題となっている。地方公共団体の責任者が財政逼迫という事情から、なすべきはずの計量の仕事を放棄する怖れがあるからである。ある地方公共団体では六年周期の人事異動を絶対条件にしているため、職員数が数名程度では、この周期で人が動くと、計量検定所など計量行政の職場で計量の仕事に関する必要最低限度の知識と技術の確保が困難にたってしまう。計量の仕事の意味や必要性が理解できなければ、計量の仕事が放棄されてしまう懸念が大きくなる。こうした状況のなかから不測の事態が発生することを恐れるし、似たような事例がないとはいえないからなお怖い。

 計量取引や計量証明が所定の正確さをもっていることに疑いがもたれないことは、計量行政が機能していることの証明である。計量取引に問題が生じていないということから計量行政を縮小したり、放棄に近いような結果を招来しないことが地方公共団体の責任であり、とりわけ計量行政に関わる職員の重要な責務であると思われる。

 地方分権時代にあって、計量行政が地方公共団体の中に確かな根を下ろし確固たる基盤を築くことを期待する。

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■社説・事業規制からはなれた計量協会会員のメリット創出事業(00年10月15日号)

 地方計量協会に加入していることの意義に疑問をもつ会員が増えていることを耳にする。メリット論にたつと計量関係団体だけではなく多くの組織・団体はそれに十分に応えることができないのが普通である。会費を納めるだけで魔法のようなメリットが享受できるというのは、ネズミ講的ないかがわしいものと思うべきである。

 計量関係の組織・団体は、計量法が広範囲にわたる強い規制を課し、拘束力を持っていた時代にその骨組みをつくっているため、計量器事業者を中心とした会員は、事業規制があるからお上のご機嫌もあるから会に参加するという構図になっていた。販売事業が登録制であった旧法下では、再登録の講習等に計量協会が関与し、手続きの手助けの役目を果たしていたから、このことが最小限の会員としての特典でもあった。計量協会は規制にかかる事業者だけが会員であるという組織構成の団体であったため、規制緩和あるいは撤廃の反動は大きい。

 その多くが行政の必要から組織されてきた地方の計量協会にとって、構成員割合の高い体温計販売事業会員と血圧計販売事業会員の事業規制解除は協会組織の数の半減をも意味する。関係会員の退会傾向は止めようのない現象となっている。会員になっている体温計および血圧計の販売事業に関する届出義務が解除されたことを知らせることを避けて通ってきた計量協会は少なくなく、本紙も突然の規制解除の関係組織への影響を考慮して手控えてきた。嘘はつかないものの、それに近いことをしてきている。積極的に知らせなくても事実が浸透するに従い事業規制への対応として便宜的に計量協会に加入していた会員が次第に抜けてゆくのは仕方のないことなのだろうか。会員減少の一般的原因はここにある。

 (社)東京都計量協会の場合には、体温計関係会員は体温計の販売事業の登録制および届出制といった事業規制のあった時代に集団で退会しており、皮肉なことにこの方面の退会者という問題はすでにない。とはいっても事業規制の緩和の影響は避けて通れず、会員数維持は協会にとって大きな課題になっている。
 事業規制からはなれての協会会員のメリットになる事業の創出は、どの計量協会の懸案であり協会ごとに対応をしている。

 東京都計量協会では、会員事業の直結する技術講習会、法令講習会ならびに研修会等を積極的に開催するとともに、会員同士の相互の交流の場を設けて参加型の協会運営に努力を重ね、現在、計量器コンサルタント養成の研修会を実施している。メリット創出の一つとして、ホームページ開設の準備を進めており、ホームページを通じて会員に必要な知識・技術情報を大量に供給する計画である。また会員企業の営業品目等が記載された名簿をホームページにかかげることによって、商品販売等の事業にも有効性を発揮させる構想を練っている。

 一定規模の事業所がインターネットに接続できるパソコンで計量協会など各方面と広く深くコミニュケーションするする時代になっているのだから、計量協会は総会議案書に書かれた事業計画、事業報告などはホームページを開設してそこに記載するようでなくてはならない。

 計量関係の技術や知識など事業に必要な情報は行動することによってのみ入手できるものであり、「情報をくれ、情報をくれ」といっている人は、自分には知識と技術がないことを意味するのであり、事業に必要な情報をもっていないこと人に見せていることである。計量協会の仕事に手弁当で参加している人の積極的な行動は、自ずとそこに情報を引き寄せるものといってよい。

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■社説・計量法と計量士制度と計量管理(00年10月8日号)

 計量士の国家試験は定例三月の第一日曜日として定着しており、今年度は三月一日に実施される。日本の労働事情が労働者個々人の実力に依拠する方式に移行しているのにあわせて、それを証明する根拠になるのが資格であることから資格ブームが起きており、これに連動して計量士資格への関心が高い。

 計量士は「計量器の検査その他の計量管理を的確に行うために必要な知識経験を有する者」と計量法で定義的に規定されている。計量法の諸規定を読み合わせると、ここで述べられている「計量管理」とは「計量器の正確さを確保するための検査ならびにそれに付随する管理」の域を出ない。このことは計量法が取引と証明の安全を実現するため適正な計量の実施を確保することを目的とした法律であることに由来する。

 従って計量士の計量法に関連した職務の内容は特定計量器の性能の確保のための検査を主体にした限られた意味での計量管理ということになる。この職務は「われわれの職務は役所の行う検査を代行するものである」というある計量士の言葉になって現れる。これは計量法に規定された内容と同等以上の検査を中心とする管理を実施した計量器についてはその管理の内容が計量法の定める内容に一致していれば役所が実施する定期検査を免除する、ただしその計量器の検査を中心とする管理は登録した当該計量士が責任を負う、という意味でもある。

 計量士を始めとして計量管理、計測管理技術者は計量管理の本来の意味が計量法の定めにある計量器の検査を中心にした管理でないことは知っている。工場・事業場での計量管理、計測管理の本務は計測理論・計量管理理論と計測技術をもとにして計量の最大限の利用と活用である。この結果は品質を造り込む計量管理であり、コストダウンを実現する計量管理であり、儲かる計量管理であり、公害を出さない計量管理であり、ブランド力を創り出す計量管理であり、消費者・生活者に信頼されるお店づくりのための計量管理である。

 計量管理と計量士ならびに計量管理技術者の本来の任務と使命が計量法から離れた総合的な内容を持つ計量・計測管理であることは皮肉な一面である。

 品質管理への世の中の関心が高まり、品質管理に関する国際規格であるISO九〇〇〇シリーズの認証取得が企業の信頼性証明のセールスポイントになってテレビコマーシャルになる時代である。計量管理の国家資格である計量士による検査が無条件にISO九〇〇〇シリーズの計量管理要求に応えられる内容となる、証明性を持つことが出来るようにすることは計量士の間での念願である。計量士がISO九〇〇〇の要求する計量管理項目を満足させる条件を設定し、検査を実施するなら社会がその検査の正当性を認めるようになるであろうから念願成就は夢ではない。夢を実現する可能性を探ってみることは意味があるだろう。

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■社説・(社)東京都計量協会のホームページ開設(00年9月24日号)

 (社)東京都計量協会は、インターネットを核とした情報化社会に積極的に対応するため、ホームページ開設準備委員会(委員長清宮貞雄氏、副委員長森川正彦氏)を設置し、三月末までにホームページを立ち上げる計画で作業を始めた。同会は都民生活の計量の安全に関わる事業や計量管理の適正化のための計量管理受託事業などを幅広く実施していることから、こうした事業をホームページに掲載する計画であり、また会員事業者の事業の便益につながるサービスをホームページを通じて実施する計画を練っている。

 委員会では「都民と会員事業者に親しまれかつ頻繁に利用されるホームページにしたい」(清宮貞雄委員長)考えを基本に、ホームページ開設の意義を議論した。開設意義については「まずはインターネット社会に(社)東京都計量協会として看板を掲げることである」(森川正彦副委員長)とし、とりあえずは世間並み以上の内容で開設し、年度を追って順次充実・発展をはかる計画である。ホームページには(社)東京都計量協会の目的、事業等仕事の内容、役員、会員事業者、事務所の所在地等を掲載する。またアクセスすればためになる、あるいは楽しい内容にするためのアイディアを探したが、これは自分たちが持っている知識、情報を惜しみなくホームページに掲載することで解決していくものと楽観的になることで委員会としての合意を見た。

 清宮貞雄委員長は「ホームページの開設により、会員事業者等が入会していることに誇りを持ち、計量器事業に必要な知識・情報等をホームページを通じて入手できる内容にし、(社)東京都計量協会の諸事業を知って貰う場にしたい」という抱負を語っており、また計量管理受託事業等は、ホームページを宣伝の場にして受託数を増やしたい考えである。

 地方の計量協会等のホームページ開設の必要性は、インターネットを核とする情報化社会が急進展するなかにおいて差し迫っている。(社)東京都計量協会は少ない費用で世間並み以上の内容のホームページを開設する計画であり、先駆けとなる。「まずは看板を掲げることが大事」だから、組織規模が弱小な計量協会等、計量関係団体であっても工夫してホームページを開設すべきであり、例えば日本計量新報社では五万円でホームページ製作作業を請け負う。

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■社説・中高年ビジネスマンとパソコン修得(00年9月17日号)

 日本人の中高年ビジネスマンの多くはパソコンがわからない。インターネット、電子メール、ホームページはパソコンを介して利用するから困ったことである。日本人中高年がパソコンと共生できないのは、教育を受けていないからというただそれだけの理由による。ビル・ゲイツは「情報化社会の恩恵をこうむるにはそれなりの代償がある。ビジネスの分野によってはある種の混乱が生じ、労働者の再教育が必要になるだろう」と述べている。教育大国を自認してきた日本国の総理大臣の森嘉朗氏が、パソコンに精通していないことが、学校のパソコンの授業を視察している姿を映し出したテレビの様子から明らかになった。パソコンの訓練を受けたことのない日本の中高年者は、特別に関心があってオタク的にパソコンと付き合った人でない限りパソコンができないのが当たり前である。

 話が飛ぶが、不況対策の公共事業のひとつにパソコン教室を組み入れたらその経済効果は甚大であろう。「森首相と学ぶ中高年のパソコン教室」などを無料で大がかりに実施したらよかろう。パソコンが使える人が増えればパソコンの需要も増え、総じて生産性が向上する。

 パソコンを買っても使えずじまいの人は少なくない。過日訪れた技術系の学者の自宅の仕事場には、立派なパソコンが鎮座していたものの長い間使われていないことの痕跡があらわであった。使おうと思って買っても使えなかったのである。パソコンを使えば数理計算等のソフトを駆使して様々な現象が解明できる。パソコンが使えないとそうした計算を電卓でしなければならないし、電卓でできることには限りがある。

 本紙では以上のようなパソコンを使えずじまいでいる人の救出、あるいはこれからパソコンを買って仕事に大いに役立てようという人のために「インターネットとパソコン自由自在講習会」(六時間コース八千円)を実施している。初回だけでは足りない場合には次回以降は五千円で一日中インターネットにつなぎっぱなしで学習できる「インターネットカフェ−計量新報教室−」を設けている。この二つの教室を使えばパソコンに関して怖いものなしになることを請け合う。ご自身のノート型パソコンを持ち込んでの講習もできる。マックでもウインドウズでもどこのメーカーのパソコンでも構わない。覚えるまで講習できる格安のパソコン教室の利便性は高い。覚えの悪い人の長期講習となった場合の四回目以降の受講料は無料となる。

 パソコンは隣に詳しい人がいて聞きながら覚えるのが一番だが、そうした環境にない人は日本計量新報社のお気軽パソコン教室を利用するとよい。
 パソコン習熟の目標は、文書が打てること、表計算を使えること、電子メールができること、インターネットができることであり、その先に自分のホームページを持つことがある。お気軽パソコン教室「インターネットとパソコン自由自在講習会」を利用すれば、ここまで超格安で導かれる。

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■社説・コンピュータは魔法の万能薬ではないが(00年9月10日号)

 本紙の経営者アンケートで、急進展する情報技術への対応が多くの人々によって語られている。情報通信技術と計量計測技術との融合あるいは経営情報としての積極的活用の必要が述べられており、情報技術に積極的対応に対応しようとしている姿が確認できた。

 情報技術をインターネットやパソコンの存在そのものと見なしてしまうことは、その本来の姿と多少遊離するが、現実的にはそう考えるのが手っ取り早い。

 ビジネスの世界が情報化時代になってどのように変わるか、マイクロソフトのビル・ゲイツは一九九五年一十二月十一日刊行の『ビル・ゲイツ未来を語る』(アスキー出版局)で予言をしている。それらの幾つかを引用しよう。

 @今後十年以内に、仕事のやり方や働く場所、私たちが働いている会社、住む場所について、大変動を目のあたりにするだろう。A文書(ドキュメント)が紙媒体への依存を弱め、より柔軟で表現力豊かなマルチメディアコンテンツに進化すると、共同作業やコミュニケーションは、地理的な制約から解放され、より豊かなものになっていく。B企業は組織の神経系の基盤をネットワークに置いて、それを通じて全従業員はもとより、部品メーカーや顧客ともコミュニケートすることになる。D低コストのソフトとハードのおかげで少人数の会社が巨大多国籍企業と張り合えるようになった。会社の規模にかかわらずあらゆる企業がパーソナルコンピュータからさまざまな利益を得てきたが、中でも中小企業が最大の受益者だったことはまちがいないだろう。E企業は、組織内に専門家を抱えるメリットと社外に外注するメリットを天秤にかけ、社内の法律専門部門や会計部門をどの程度の規模にするか判断したり、総合的な雇用状況を再評価したりすることになる。F情報ハイウエイによって社外の人材発掘や共同作業がやりやすくなるため、多くの会社は最終的にいまよりずっとスリムになるだろう。Gすべての変化が完了するには数十年かかるだろう。大多数の人々は、人生のはやい時期に慣れ親しんだ生活に満足して、おなじみのやりかたを変えることを望まないのもだ。しかし、新しい時代が新しいライフスタイルを持ち込んでくる。H企業がテクノロジーを利用する場合、二つの原則がある。第一原則は、「効率的な事業に自動化を導入すれば、効率がよくなる」。第二原則は、「非効率な事業に自動化を導入すれば、より効率が悪くなる」。Iコンピュータを導入する前に経営戦略を練り直したほうがいい。コンピュータというのはせいぜい特定の問題の解決に手を貸す道具でしかない。たまに誤解している人がいるけれど、コンピュータはけっして魔法の万能薬ではない。

 以上である。
 偉大な道具になっているコンピュータとインターネットである。仕事に道具をうまく使うことは大事だ。道具使いの達人と道具を使えない人の差は大きい。「五十万円用意してコンピュータシステムを導入した、しかしそれを使うことができなかった」ということはよくある事実だ。

 コンピュータという道具の使い方を教わる機会がなかった世代の人々は不幸である。ある人は「テクノロジー・ハラスメント」あるいは「テク・ハラ」としてコンピュータを扱えない人々の置かれた立場を指摘した。パソコンが使えないのは習わないからである。

 他方では、インターネットをしてパソコンを使えるいると勘違いをしている人々は多い。概して初歩の段階にとどまっているにも関わらず、インターネット上に繰り広げられている情報の素晴らしさに目を奪われて、自分がインターネットとパソコンの能力を大いに使っているものと勘違いしてしまうものである。その状態はテレビモニターでテレビ放送を見ている状態と同じようなものであることを知らないからである。

 インターネットにアクセスして情報を検索することについても同様のことがある。ただだらだらと惰性的に目に飛び込んでくる情報を見るのと、ねらって情報を取るのとは別のことである。情報検索の熟達者、達人と初歩の人とのその差は驚くほど大きい。これは訓練の差であるから、未熟な人は修練を積むべきである。

 ホームページに関しても、インターネットで情報検索をすることと、ホームページを作り上げて管理・運営することを混同してしまう傾向が強い。ホームページを作りかけていつまでも完成しないのは、製作知識や技術の未熟に加えて、手間、暇がかかるという問題が待ち受けているからである。本紙論説員のホームページが工事中の箇所が多いのはそのためであり、同様の事例を多く見かける。

 進展する情報技術と過不足ない付き合いをすべきであり、不足ない付き合いは十分に一生懸命インターネットやホームページやパソコンに気を入れることでバランスされ、達成される。

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■社説・計量の世界で罪人にならないための修身(00年9月3日号)

 群馬県計量検定所が大型基準分銅の購入に絡み、分銅製造事業者社員から賄賂を受け取ったとして収賄の疑いで、前橋市内に住む同検定所企画課長(五十六歳)が疑いで、また高松市元山町に住む分銅製造事業者社員(五十四歳)が贈賄の疑いで逮捕された事件が発生、関係者は大きな衝撃を受けている。賄賂として使われたのは実売価格二十八万円のノート型パソコンで、容疑者の課長が個人的に使用することを隠し「検定所が必要としている」と分銅業者に要求していたもので、業者側は会社として寄付を承諾していた。群馬県警は、同事件は容疑者の課長の主導によるものとみて余罪を含めて事件の解明に取り組んでいる。分銅購入が三年計画であることから、次回以降の購入計画を見越した贈収賄の性格が濃厚である。
 この事件の発生を契機にして、計量関係の公的機関の検査設備等の納入に関して、事業者と公的機関のきれいな関係の保持の証明性が求められてくる。

 計量公務員の業務の公平性・透明性に関して小さな会議の席上で疑義が数多く出されているのをさほど遠くない過去に聞いており、親身を装ったたかりまがいの行為も見て、聞いていいる。そのような公務員にあるまじき行為に平然としている者は極わずかではあるが、それが一般業者の公務員に対する態度に影響するから本来なら放置できないはずのものである。公務員にあるまじき行いをする者の行為が正されないのは、公務員の職務形式が「偉い人」と「偉くない人」階層性になっており、「偉くない人」が「偉い人」の悪しき行いを正すためのシステムが出来ていないことによるものと思われる。労働組合がこのシステムを補う作用をしていたという説があり、実際に労働組合が健全である場合にはその作用をしていることが確認できる。

 職員の職階性は地方公共団体よりも国家公務員の方がはっきりしているため、国家公務員の中に権力風を吹かせて横暴な姿が見られるという声が、地方公務員をはじめ関係事業者からもあがっている。取材活動を通じて地方公務員に対する計量関係一般事業者の卑屈な態度、また国家公務員に対する地方公務員と計量関係一般事業者の卑屈な態度を何度も見ている。国家公務員は姿勢を低くしてこれ以上の低さはないと常に頭を低くしてこそ他の人々との付き合いでバランスが取れると考えるのが正しい。地方公務員に関しても同じであり、耳は聞くためにあるものだから、人の声が聞こえるように使うべきである。

 群馬県計量検定所の課長によるパソコンの受領は収賄といって間違いないことから、この事件が容疑者個人の資質だけによって発生したものなのか、計量公務員の世界にそうした体質があるものなのか決定付けられないので、贈賄の立場に立ちかねない者も含めて悪いことをしないように律するべきである。事件を問い合わせたら、「飲んだり食わせたりは平然と行われてきたから、俺などは汚職まみれだ」と返答した八十歳の元計量関係国家公務員がいた。良いこと悪いことの基準は時代によって変わる。良いことと悪いことの区別が付かない計量公務員が無くなることを期待するが、計量部門にそれを排除する壁がないから、少なくも事業者は贈賄罪に問われないよう身を律することを心がけねばならない。

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