日本計量新報の記事より 社説96/10-97/08


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◆社説・行政改革と情報公開はワンセットで

 国も自治体も旧来の行政予算が確保できなくなって四苦八苦している。戦後つづいてきた日本の経済成長は、国と自治体の事業に少しぐらいの矛盾があっても予算の規模の拡張がそれを覆い隠してきた。経済の不振にともなう税収不足が連続すると旧来の事業規模を縮小するか、転換するかしないと収入にみあう予算を組めなくなった。予算がないと政府の縦割り行政の不経済が露呈してしまうし、行政需要が自然消滅した組織の整理の必要も目に付くようになってしまった。

 橋本行革はこれへの対応であるとみる。行政機構は自らの組織を行政需要に応じて再編成する力が非常に弱いのが常である。政治が行政機構の再編成にイニシアチブ発揮しなくては日本の行政改革、行政機構の再構築はない。橋本竜太郎首相を会長とする行政改革会議は、きわめて短期間の「集中討議」を行なって省庁再編成の方向性を出した。二〇〇一年の実現の日程であるから今後四年弱でなしとげることになる。基本となっている精神は、現代の資本主義経済運営は自由主義的競争を原理とし、政府は小さな規模のものとし、市場原理に依拠した経済運営を行なおう、というもののようである。その政府は「簡素、効率的、透明」であることとなっている。

 この橋本行革は大筋において国民の支持を得ているようであるが「簡素、効率的、透明」という切り口で全体を貫くならそれは大いに結構なことである。しかし省庁再編成には国民の合意、国会等の場でのしっかりした手続きが必要になってくる。縦割行政の弊害、公務員の不祥事やモラル違反の実態、省庁と政治家との見にくい結びつき、地方自治との関連性等、全てを明らかにすることが、コンセンサス作りのために大事である。政治がこのような決意をしてこそ、橋本首相の狙う二十一世紀の日本の政治機構が実現できる。

 税収の再回復があるとしよう。しっかりした考えに立って推進されない行革案は必ず先送りされる。結果は行革を唱える政治家のパフォーマンと帰する。

 日本の政治を大きな視点にたって眺めると、橋本行革を支持するだけの国民の政治意識の高揚があることは確かである。官僚の不正や不祥事に対する国民の正義の意識も健全である。市民オンブズマンの活動は自治体の不正や不祥事を暴き出す結果となり、こうした活動を通じて行政の透明性の確保への貢献もある。行政機構に対する国民、市民のチェック機能をどのように作って行くかは重要事項である。

 米国、西洋諸国に比べて日本は政府、自治体の情報公開がきわめて大きく立ち遅れている。政府、自治体の秘密主義が行政に関する諸悪の根源であると言い切っても良い。

 自由と民主主義の歴史は人類の幸福を獲得するための歴史でもある。市民オンブズマンの活動が自治体の透明性を高めるのに貢献しているのをみるとき、行政機構の再構築は情報の徹底公開とワンセットにして推進すべきものであろう。

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■上昇軌道にある計量機器産業と課題(97年8月24日号)

 日本の現在の景気は確実かつ緩やかに上昇している。景気指数には鉱工業生産指数、機械受注・建設工事受注指数、個人消費指数、雇用・賃金指数など各種のものがある。このうち計量計測機器関連産業の生産動向とほぼ一致した動きを示しているのが製造業の売上高経常利益率である。ともに(一九)九三年に底を打ち九七年四半期まで緩やかな上昇軌道を描いている。景気後退期のU字曲線に対して上昇軌道の曲線は緩やかである。

 四月の消費税率の三%から五%への引き上げが影響した景気指数があり、回復テンポに足踏みがみられ、景気を先取りする株式市況は消費税引き上げ後の景気先行きの不透明感を反映した値動きを示している。

 計量・計測機器のうちパソコンに起因した半導体関連測定器および移動体通信需要の伸びに支えられた電気測定器は好調な伸びを示している。試験機は前年比五割の伸びを記録、過去最高の生産額を記録している。計量・計測機器の受注動向と時間がほぼ重なる工作機械の受注は九七年一〜七月期が二十三%を記録した。六年ぶりの高水準であるが、過去のピークの八十%どまりである。

 ともあれ計量計測機器の景気は緩やかに確実に上昇している。しかし上昇の動きは機種によってまちまちであり、まだ底を打っていない機種がみられる。これらの機種は景気後退が遅れてやってきたものではある。

 上昇傾向にある業種の中にあってもまだまだ上昇のきっかけをつかみ切れていない企業もあり、景気はマクロだけで語ってはならない。  景気の波動が中堅企業、中小企業に及ぶのにタイムラグがあることが明らかになっており、世間が好調になりだしているときに取り残された感じになることは嫌なものである。上昇のきっかけを一般景気に待つのではなく「仕掛けてつかみ取る」心意気がなくてはならないだろう。

 計量計測機器は産業のマザーツールであり、また技術革新を手助けする機器でもある。質量計に限ってみると生産金額の五割強を工業用はかりが占めており、据えつけの実態をみるとこれは生産機械である。いずれにしても需要を喚起する計量計測機器の新商品の登場に期待したい。

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■地方計量協会の事業運営への理解(97年8月17日号)

 計量協会など関係団体のブロック会議がこのところ相次いで開かれた。計量協会関係では中部地区、関東甲信越地区、東北・北海道地区の会議が開かれ、計量行政とそれぞれの協会運営に関わる案件が協議されたが、ここでは計量協会の事業と会運営に限って考えてみたい。

 協会運営に関する事項は会員減少と協会事業への関係者の理解や関心が薄れる傾向にあるので解決の道は険しい。地方計量協会が文化事業をそれなりに推進するには事務局体制が整備されていること、事業を推進する費用が確保されていることが必要である。会員減少に伴う会費収入の減少、自治体等の助成金、協力金、事業委託金等の減少が起因しての総予算の減少が一般化しているので、会目的を達成することに財政面からの厳しさがある。文化団体としての事業を推進するに足る財政内容を確保することができずに、年を追って事業と組織内容を後退させている地方計量協会が多いので、今後の発展策の策定が焦眉の急である。

 地方計量協会の将来的な発展の方策に対する期待は東北・北海道地区の会議でも多くの県から提案された。会員減少をくい止める方策は何か、収入の減少をくい止める方策は何か。困難な課題ではある。これは一県の単位で解決できない時代の趨勢があり、前進へ向けての全国共通した意識の形成が必要である。

 計量協会の事業が基本的に国民(県民)の計量意識の向上のためものであることは間違いない。東北・北海道地区の集まりには計量検定所長経験者が何人も顔を見せていた。退職後も計量文化の向上事業にボランタリーな活動をしている人々であり、貴重なことである。計量が文化と産業発展に果たす役割の大きさを理屈と経験を通じてよく理解しているからこそできる活動であり、地方計量行政マンでその後このようなボランタリーな活動をしている人々は全国に多くいる。称賛されるべきことである。

 このような「計量の心」を理解した人々を鑑にすると、計量関係事業に従事する人々の協会事業への理解は十分ではない。計量関係事業の社会的地位と存在感の向上に果たす計量協会事業を考えるならば、今以上に計量協会への協力体制を取る必要がある。関連していえばこのことは計量関係団体の協力関係に及ぶ。計量関連団体の幹部諸兄の理解と意識変革に期待する。

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■アメリカ文化は日本で再現される(97年6月22日号)

 アメリカで起きていることの大概は日本で再現する。高い文明は低い所に流れるのだろう。ことにビジネスにおいてはアメリカで起きたことがやがて日本で再現される。そのような理屈や法則を知っていた人はアメリカのビジネスを徹底的にマークしておいて、日本にその時期がくるのを待ちかまえているのである。そのようにして日本で網を張って成功したビジネスは枚挙にいとまがない。

 このことに照らして行政機関の情報発信のようすをみよう。アメリカの政府がもっているインターネットサイトはものすごく大きい。巨大である。こうした政府機関を全部集めたフェド・ワーウドが形づくっている世界はとてつもないものである。日本の行政機関が秘密事項だらけであるのと比べたらただ驚くだけである。

 アメリカ政府の情報公開と発信の内容の一つをみよう。国防省はNATOとともにボスニアに出兵し作戦を展開しているようすをのホームページでほとんど明らかにしている。作戦内容が地図やチャートを入れて詳しく解説。展開中の作戦行動も写真位入りで載せているのである。その内容はマスコミ報道より詳細である。マスコミ報道は紙面や放送時間に制約があるので見出し的な報道になってしまうのであるが、国防省はもっと細かな情報が掲載していた。

 アメリカ政府の情報公開は日本の政府にくらべると同じ自由世界の国かと思われるほど格段に進んでいる。日本政府がシークレット情報とする世界界の軍事、経済など先端情報がここで得られてしまう。日本の政府に聞かなくてもアメリカ政府に聞けば分かるので、日本の政府は体をなさない。情報を秘匿することが国家犯罪につながった経験は数多いことである。このことの反省と国民の世論と行動がアメリカを世界の先端をゆく情報公開の国にしたのであろう。

 アメリカという国は政府、公共機関は徹底して情報公開したほうが国の経済発達につながると方針を固めてしまったようである。日本の国の情報の授受の手段はさまざまであり、記者会見という方法が主なものであったものが、これとあわせたインターネットという手段を用いることで対象が無限に広がった。聞きに行かなければ分からないというのが日本の国と行政の情報の開示の仕方であるが、こうした情報にインターネット上で触れることができれば行政効率の大幅な改善ができる。

 インターネットの普及と拡大が日本の行政、経済、文化の諸活動に大きな変化をもたらすが、計量関係の諸機関がこれをうまく利用して自己の社会機能の達成を促進したら素晴らしいことである。

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■新しい巨大メディアの利用(97年6月15号)

 技術進歩は社会を革新する。いま増殖中のインターネットは間違いなく社会を変革する。それがいつかといえば、日本においては五年後、十年後である。五年、十年はあっという間だから、明日にでも日本の社会はインターネットの増殖で変革される。

 本紙は「計量計測情報」のホームページを開設し、産業と社会に供している。月に平均して二〇〇〇件のアクセス(各コンテンツへのヒット総数は月平均一五〇〇〇)があり、この中からさまざまな質問が発せられることへの対応はしがいのある仕事ではあるが骨も折れる。現在の掲載情報内容をよく読めば質問がでないよう工夫しているが先々にはQ&Aのコーナーを充実させてあらゆる疑問に答えられるようにしたい。しかしQ&Aには終わりがなく永遠につづくことなので、これはよい意味での永遠のいたちごっこではある。

 企業が開設している商品紹介のためのホームページは現在はまだ喰い足りないものが多い。子どもの遊び程度の様相であるのは企業の幹部およびトップの理解が欠如しているからおこることである。だからといって永遠にそうなのかといえば否であり、アメリカにならって日本の企業のインターネットは徐々に充実してゆくであろう。それは同時に企業トップのインターネットへの認識の度合いと比例する。アメリカなどは企業はもとより政府関係のホームページについてもは致せり尽くせりの驚くほどよくできている。

 インターネットとは何であるかといえば、新しい巨大な情報メディアであり、これがものすごいスピードで膨張しており、情報が組み合わされて頭脳化している。巨大化した情報は、これまでの人間と物の構成要素に割って入って第三の構成要素になる。経済活動が情報空間のなかで、情報を財として営まれるようになるであろうと予測される。計量計測制度が社会の基礎的なインフラストラクチャであるのと同じように、インターネットは情報空間の骨格をなし最も基本的で重要なインフラストラクチャとなる。この情報空間は社会的重用性増加させ、人間の経済活動の場では物理空間との地位を逆転させることになる。

 電子技術の発展で社会から消えた職業を身近な例でいくつかあげてみよう。古くはバスガール。最近のものでは鉄道の改札の検札員。入り口ではさみをカチャカチャさせていた制帽の青年やおじさんは何処にいったのだろう。旋盤工も存在が怪しくなってきている。

 新しい技術は社会のシステムを革新するが、巨大化した情報空間がリンクによって組織化されると知性化・頭脳化される。このことが現在の計量行政や計量計測機器産業にどのように作用するかは研究対象になる。国民への計量計測情報の提供の出先機関としての自治体計量行政は革新されるであろう。また計量計測標準の供給、大きくいえばトレーサビリティシステムはインターネットを利用して標準値のやりとりと校正が技術的に可能になるであろう。また使用されている全ての計量計測機器がインターネットにつながれて、所定の性能を保持しているかどうかの確認と校正が可能になる。そうすると検定や検査といった現在の計量法制度が自ずと革新されなければならない。

 現在の状態が永遠につづくと考えるのは人間の錯覚である。

 未来に備えることはたやすくないとしても、現在進行しているインターネットを中心とする技術革新には確かな対応を怠ってはならない。この関係で例を一つ引くと、弁護士会ではインターネットのホームページの構築に巨大な投資をしている。判例などがリアルタイムにまた巨大な情報がキーワードを選定するだけで弁護士事務所で手軽に入手できることの利益が大きいからである。

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■「夏が来れば思い出す」計量記念日(97年5月25日号)

 「夏が来れば思い出す」のは計量記念日である。古い人々は桜の花が咲く頃になると思い出すのが度量衡記念日である。度量衡記念日の四月十一日は「メートル記念日」として暦の中に生きている。

 現在の計量記念日は十一月一日であるが、皮肉にも旧計量記念日の六月七日が暦にまだ記載されている。計量に関する記念日の四月十一日、六月七日、十一月一日をつなぐものは何か。記念日の日取り決定の理屈付けは別にして、計量制度の持つ社会的役割を大きく見てのものである。計量単位が民族性・地域性を排除して人類共通のものとして確立しようとすることは当然の流れである。これに国粋主義者が反対して移行に障害があったが、暴力を伴う反対を押し切って尺貫法からSI単位系につながるメートル系に移行させた先人達の英知、英断、勇気には称賛を贈らなくてはならない。

 戦後の民主主義改革と新憲法に対応する計量法が「民主化計量法」と立案当事者が規定し、立案・制定作業に協力した計量関係の公務員、事業者から太陽が昇るがごとく歓迎されたことは計量の歴史書から学ぶことである。この四月に面会した戦前から計量検定所に勤務していたOBは「戦前の計量公務員は、警察権も合わせ持っていたこともあって憲兵や警察官と同様に恐れられていた」と話していた。

 適正な計量の実施の確保にサーベルを必要とするのは未開の野蛮国であることの証明である。計量・計測が果たすべき本質的な大きな役割は産業・文化社会の発展を誘導することであるので、昭和二十六年制定の計量法から新計量法への変遷・発展に間違いはなく、今後とも計量法を基にした重要な社会基盤としての計量制度の拡充・発展を期待する。

 旧計量記念日は初夏のころで梅雨の晴れ間をついての記念日行事が懐かしいが、十一月一日の現在の計量記念日はメーカー自己検定制度ともいえる指定製造事業者制度および計量標準の供給を民間企業などが行なう基準認証制度である計量法トレーサビリティ制度に代表される民間能力の活用と権限委譲に大きな特徴がある。

 計量の役所と公務員に知識・技術と情報が集中し、民間の計量関係事業者が相対的にこの方面で脆弱な時代から現代は大きく変化している。産業と社会の主役はいわずとも国民であり民間人である。国は企業が円滑に競争し活動する場を、いってみれば相撲における土俵を提供することがつとめである。悪いことをするのも企業であるし戦いに負けて泣くのも企業である。公正に闘える場の提供こそが国と政府のつとめであるが、間違ってもこうした場で国や公務員が主役にならないことである。

 計量法が刑事罰を内容に含む強制力を持つ法令になってはいても、これは国民の生活の安定確保および企業活動の円滑・活発化を基礎をなす土俵整備の一環と考えるべきではないのか。

 国の主役と成り立ちの本来にうまく適合した計量行政の運営と法の一層の整備・発展を願う。こうしたことと計量記念日の意義を考えることとは矛盾することではないであろう。

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■ 過積載判決は警察の野放しを非難(97年4月13日号)

 愛知県豊川市の運送業者李鶴龍(48歳)が従業員のトレーラー運転手(31歳)に最大積載量三十五トンの車両にコイル状のステンレス鋼板四個、合計重量三十七トンを積んでの運行を強要、二トンの過積載が原因で同トラックは東名高速道路の静岡県由比町の下り線で前輪がパンク(昨年八月二十六日)、荷台のステンレ鋼板コイルが国道一号線に落下、これが原因で六人が死亡する事故が発生した。運送業者は過積載強要の常習などで静岡簡易裁判所に略式起訴、同裁判所は罰金五十万円の略式命令を十一月十三日に出した。

 同事件を担当した遠藤英じ静岡地検次席検事は「業者の慢性的な違反が大事故の原因になった。大事故を起こしたために出た処分。普通なら検察が手掛けない違反」と述べ、東名高速道路で過積載のトレーラーが事実上野放しになっていることに対する警察の怠慢をも指摘、取り締まりの強化を求めている。

 死者六人を出したこの過積載を原因とする大事故が引き金となって運送業者、運転手双方から過積載撲滅の悲痛な声があがるようになっている。

 同事故に関連して日本ハイウェイセーフィ研究所長の加藤正明氏は「高速道路を通れない重量オーバーのトレーラーが堂々と走っているのは事実、ある地点で一時間に二十七台が通過した調査結果もある。走っていけないのであれば通さなければいい」と、道路管理と警察の取り締まりの甘さを指摘している。

 日本の貨物輸送の主力が鉄道から自動車に移行して久しいが貨物輸送車両がスピードを出しすぎない、過積載をしないことが健全な社会をつくる上での基本前提になる。このことに関連しては日本の警察は法の厳正な適用に甘さがある。道路上でのトラックのあおり運転の実質上の放置、過積載の実質上の黙認が重大事故の頻発の間接的原因といってもよい。

 オウム事件にみる警察の無気力な対応が地下鉄サリン事件を招いたともいえるので、もはや議論の余地のない過積載に対する徹底した取り締まりこそが社会悪の排除につながる。

 過積載は運転の安全の全てに悪影響を及ぼす。車間距離を取らないことなどを含め安全のために基本知識は科学的思考方法にも関連する。あわせて我田引水的にいうならば正しい計量意識にもつながる。

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■ 適正計量管理事業所は時代の要請(97年3月16日)

 適正計量管理事業所制度と計量士の法的権限の実際についての解説と本来の任務との乖離の問題を本欄で指摘したところ、さまざまな意見が返ってきたので、計量士の業務と適正計量管理事業所論を続けて述べる。

 計量士の資格を持って計量管理の実務に当たる人々が担当している業務の実際は広範囲に及んでいる。とくに社員計量士の業務は多彩で、流通関係を例にとると部課長クラスの管理職の業務は防災、安全、衛生の管理にまでその業務範囲が広がっている。また生産事業場の計量士の業務は品質管理、工程管理と直接に結びついており、製造技術の開発、製品開発に関連して計測データを提供し、この解析の任も担うなど、その業務範囲は際限がない。

 流通部門、生産部門とも企業活動の目的達成のために、計量管理を最大限に活用する努力が継続され、計量士資格を持つ優秀な技術者あるいは管理者は「計量器の管理」といった狭義の計量管理の範囲を遥かに超えた活躍をみせている。優秀な計量管理担当者のなかには、計量士の資格のほか技術士や一級建築士資格などを合わせて取得している者が少なくない。

 計量士の資格を持っている者の計量管理活動ほか企業目的を実現する活動の目覚ましさに対して、計量法で規定された適正計量管理事業所に与えられた法益は「はかりの定期検査の免除」だけということであり、計量士の権限もこれに付随するものに限られていることから、指定の利点や資格の有益性に疑問を持つ人が少なくない。新計量法の立案作業のなかで「指定のインセンティブ」の問題として指摘されたが、具体的な解決の方策は現在まで示されていない。

 翻って考えるに、適正計量管理事業所の本質は計量管理実施事業場として認定であり、その「メリット」は現在普及著しい品質保証に関する国際規格ISO九〇〇〇シリーズの認証に通じる。

 適正計量管理事業所のメリットは企業の社会的信用の確保であり、関連して計量士資格の有益性はその看板性にあり、メリットの実際は計量管理の専門家として独立して、企業活動の目的達成のためセクションを超えて縦横に知識・技能を発揮できる立場を獲得していることである。

 企業活動の実際を観察すると、計量計測の最大の活用の保証としての計量管理の位置付けが曖昧な企業は決まって不祥事を引き起こす。事業場そのものの存在を危うくするどころか、グループ企業の存続に係わる公害の発生や、装置の欠陥に原因する火災や爆発事故発生、および安全性に対する無配慮から誘発される人身事故は帰結するところ「計量管理の怠り」といってよい。

 昨年は病原性大腸菌O−一五七禍に日本中が戦々恐々となったが、あるデパートでは計量士資格をも持つ管理職がこの発生防止の直接的な責任者となって、業務を遂行していた。計量士資格を持つ者の業務範囲の幅広さを物語る一例であり、同時にその能力と責任の大きさにも驚かされる。

 さてISO九〇〇〇シリーズの認証取得の社会の動きを話題にしたついでに、適正計量管理事業所にの指定の社会的意義と企業の責任を問いかけたい。

 適正計量管理事業所として指定を受ける企業の法益は定期検査の免除だけということで非常に少ないが、指定は計量管理に優れた企業という計量法のお墨付きであり、これは社会的信用につながるものである。

 このこととは別に企業の社会的責任という観点に立つと、適正計量管理事業所の指定を受けることは計量関係の自治体が実施主体となる定期検査業務を軽減し、市民サービスにつながる立ち入り検査等別の業務に力を振り向けるのに役立つ。自主管理を実施するより、特定市や計量検定所が実施する定期検査を受検するほうが低コストにつくなどという考え方は時代に逆行するものである。

定期検査に代わるはかりの自主管理の実施、すなわち適正計量管理事業所の指定は行政コストの削減につながる企業のボランタリーな活動の側面をもっていることから、企業の社会的責任を負う方法は自ずから明らかであろう。

 自治体側も指定製造事業者として指定受ける企業のエネルギッシュな動きを参考にしながら、県、市等に在籍する企業の適正計量管理事業所への指定を働きかけ、計量法の目的達成に努力しなければならない。一部には適正計量管理事業所が増えると定期検査業務が減って計量行政機関としての人的規模を削減さえれるという考え方のもと、指定推進に後ろ向きな自治体がある。市民生活の向上につながる自治体の計量行政業務は定期検査から解放されてこそ実現されるのもとの考えるべきであり、勇気をもって計量行政の革新を推進しなければならない。

 国、地方自治体とも行政規模の縮小が推進される今日の情勢下、攻めなければ攻められっぱなしだし、攻めてこそ市民サービスの向上が計量行政が発展・向上する。

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■ トレーサビリティに関するドイツの小話にみる教訓(97年3月2日)

 計量法は経済と文化活動を支える社会基盤として存在意義をもっており、計量の基準を定めることと適正な計量の実施の確保という二つの目的を実現する法体系となっている。

 適正な計量の実施の前提は計量の基準が定められていることであるが、計量の標準が社会の必要な所に過不足なく供給される体制があること、適正な計量器が供給されていることがあわせてなくてはならない。

 計量の標準に係る「計量標準の認証制度」は、一般に「計量法トレーサビリティ制度」と呼ばれている。

 産業界を中心に社会に計量標準を供給する公認の校正サービス事業者は「Jcss 認定事業者」と呼ばれ、日を追うごとに認定者数が増えている。

 計量法トレーサビリティ制度は産業計測標準の需要の増加に民間の計測標準技術、校正技術を保有する者の能力を活用して対応しようとするもので、国が認定する「Jcss 認定事業者」には民間の計測標準機器の製造事業者、校正サービス事業者等が申請をし、所定の要件を満たしていることが確認され認定を受けている。日本の計測標準の供給体制は国が管理する一次標準である国家標準とトレーサブルな関係がオーソライズされた「Jcss 認定事業者」を、産業界等一般への計測標準供給の中核とする社会システムとしてつくりあげられた。

 この社会システムは計量法の定めに従ったものであるものの「Jcss 認定事業者」の業務は校正サービスの業であり、収益を確保できるビジネスとして成立することが実質上の前提になっている。認定事業者の採算性、ビジネスとして成立するものなのかは標準分野ごとに異なるようではあるものの、計量・計測関係事業者の認定を受けることの意欲は小さくないだけに、制度を運営する関係当事者の細心の注意と配慮が求められる。事業者の認定がこのところ停滞していることから、この社会システムの創造的構築および認定事業者の認定促進に向けて行政を中心に推進のための機運を高める必要があるようだ。

 ともあれ認定事業者の数の増大、標準分野の拡大が大きな課題となっているので、主として工業別に事業者認定のための研究会活動等が活発化することに期待したい。。

 日本のトレーサビリティについては、概略以上のことを心得ていなければならないが、以下では日本にトレーサビリティの考えが醸成された一九七〇年頃のトレーサビリティの普及・啓発活動のなかで紹介された教訓的な逸話の一つ「ドイツの小話」を引用し、これを一考することで、トレーサビリティを理解する一助としたい。

 

あるドイツの小話

 農家の老婆がパン屋の主人に訴えられて、役人の取り調べを受けた。

 訴えによると、老婆が一キログラムと称して毎日パン屋に届けるバターの目方は、実に八五〇グラムほどしかないのだそうである。

 そこで役人がたずねてみると、老婆は立派な天びんを使ってバターの目方をはかっているのだが、困ったことに、孫が分銅をおもちゃにして見失ってしまった。

 「けれども」と老婆は自信を持って答えた。

 「私はパン屋で黒パン一キログラムを買い、それを天びんの片方のさらにのせ、それと釣り合うだけのバターをもうひとつのさらにのせて、パン屋に届けております。自分の方が違っているはずはございません」と。

 目方をごまかしたのは、実はパン屋のほうだったのである。

     (一九七三年計量研究所第六回学術講演会     「国際単位系しくみと実際」からの引用)

 

ドイツの小話の解説「コンパティブルだがトレーサビリィ不足だった質量測定の一例」

 バター一キログラム(一〇〇〇円)=パン1キログラム(一〇〇〇円)という等価式のもと、バター八五グラム(八五〇円)=パン八五〇グラム(八五〇円)という交換が行なわれていたので、農家の老婆とパン屋の主人の間には損得関係は発生しない。

 この等価式に鶏肉一キログラム(鶏肉屋)とジャム1キログラム(ジャム屋)が加わって、鶏肉屋がバター八五〇グラム=鶏肉一〇〇〇グラム=パン八五〇グラム=ジャム一〇〇〇グラム、の取引が行なわれ一巡したとする。取引はお金の物との交換だから、それぞれの手元に残るお金は一〇〇〇円であり、手にした実際価値は農家の老婆一〇〇〇円、鶏肉屋八五〇円、パン屋の主人一〇〇〇円、ジャム屋八五〇円となる。農家の老婆とパン屋間だけの取引の間は損得の不都合は発生しないが、これが社会に連関するとその行為は不当を持つことになる。

 定められた基準と比較することが計量であるから、比較器である老婆の天びんがいくら立派でも、誤った「基準」と比較していたのではその比較が正しくても、その比較は社会的にはつじつまが合わない。

 登場人物のうち悪いことをしてやろうという意識を持っていたのはパン屋の主人だが、正当な行為と思って行なった農家の老婆の行為は結果としてパン屋の主人の行なったことと変わりない。老婆の「一キログラム」が一キログラムであるためには、社会の一キログラムでなければならないが、この一キログラムを決めるのは国の仕事になる。国と国の間にも一キログラムの間で整合が取れていなくてはならない。老婆とパン屋の主人の間では質量の比較に関しては、確かにつじつまが合っていた(コンパティブルであった)わけだが、ここに幾人かが加わってくるとそれは社会的関係に変じ、途端にコンティブルではなくなる。社会的につじつまの合うコンパティブルな内容の計量を行なおうとすると、国が定めた計量の標準との整合性を確保しなければならないが、このことをトレーサビリティと考えたら分かりやすいだろう。

 

計量法の計量についての定義とJISのトレーサビリティの定義

 「物象状態の量を計ること」を計量法では計量と定義している。物象の状態の量をはかることは、その量の定められた基準と比較し、比較値を数値で表すことによって実現する。比較値の最後に単位記号を付けることによって、その比較値が長さ、質量、時間、電流、温度、物質量、光度等を表する。計ることに関する用語には「計測」「計量」「測定」などがあり、この用語はJISの計測用語で意味を規定しているが、この規定は必ずしも社会一般のその言葉に対する認識と符合しないので紹介は差し控える。

 「トレーサビリティ」という用語は計量の仕事に従事する人々の間では普及しているが、その理解内容ということになると必ずしも共通の認識にはなっているとはいえない。JISの計測用語はトレーサビリティを「標準器又は計測器が、より高位の標準によって次々と校正、国家標準につながる経路が確立されていること」と規定している。この規定に間違いはないが、社会システムとしてのトレーサビリティを確立しようとする計量計測関係者の意気込みを反映するということでは十分でない。一九七〇年代のトレーサビリティの普及運動では、上位の標準の経路の明確化は当然として、同位の標準の横のつながりのつじつま、つまりコンパティブルな関係の確認に対しての意識が大きく働いていた。そこには上位の標準が尊くかつ偉くて、下位の標準は卑しいという意識はなく、標準のそれぞれに必要な働き場があり、その意味で労働に貴賤がないのと同じに、標準にも貴賤はないという哲学が働いていた。

 産業計測標準の本来の姿は必要な標準が権力や神秘性の衣をまとうことなく、必要な場所にいつでも置かれ、それが頻繁に手軽に使われ、かつ手軽に頻繁に上位の標準と比較(校正)できることである。生産現場には権力や神秘性など無用で、必要なのはツールとしての実用性である。

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■ 談合入札疑惑と公共機関の在り方(96年11月24日)

 計量・計測関連機器の公共事業の入札に関連して、独占禁止法に抵触する幾つかの事件が明るみに出て、関係者を動揺の渦に巻き込んでいる。

 このたび独禁法違反の嫌疑を掛けられたのは東京都の発注する水道メーターの受注をめぐる国内主要メーカーの談合疑惑である。水道メーターについては四年前に公正取引委員会に業者間の談合が摘発されている。

この数年の間にはガスメーター関連でも談合の摘発を受け、また昨年三月には下水道事業団発注をめぐる大手電機メーカーの談合事件が独占禁止法違反として刑事告発を受けている。

 このように度重なる公共事業関連の計量機器の入札に関する独占禁止法違反の談合事件は、天下の公器としての「計量器」製造に係わる者すべてに世間のいらぬ嫌疑の目が注がれることは遺憾であり、関連しては度重なる談合疑惑を掛けられている事業者達は、その防止に自らが公明正大な自主規制の方法を明らかにする必要があるだろう。

 独占禁止法違反の談合事件は公共事業に関連して発生していることだが、その実質の被害者は国民であるうものの、一種の被害者のような立場にある公共機関とその職員の綱紀の乱れもまた目を覆うばかりである。

 国家公務員のうち比較的地位の高い者を一般に官僚と呼ぶ習わしが定着しているが、公務員はすべて公務員と呼んだらよいように思うし、国家公務員および自治体職員という呼び方も悪くはないし、正しい。

 公務員の職務内容はパブリック・サーヴァントであり、パブリック・オフィシャルである。もっと簡単にいえば国民の代理者である。

 そうであるべき筈の公務員の汚職事件の多発には心が痛む。

 最近の国家公務員の不祥事、汚職事件としては、加藤孝元労働事務次官および高石邦男文部事務次官のリクルート事件での収賄容疑逮捕、田谷広明元東京税関長の旧東京協和信用組合の接待疑惑発覚と辞任、中島義雄大蔵省財政金融研究所長の健康飲料輸入の副業発覚と辞任、松村明仁前厚生省保険医療局長の薬害エイズ問題での逮捕、岡光序治厚生事務次官の社会福祉法人理事長からの利益供与発覚と辞任(一九九六年十一月十九日)、茶谷滋元厚生省課長補佐の埼玉県に出向時の収賄容疑での逮捕(一九九六年十一月十八日)がある。

 公務員のこのような汚職事件の防止の決め手は情報公開にある。役所の秘密主義は日本においては天皇主権の明治憲法時代の名残といってよい。国民主権の現憲法に対応した情報公開のあり方が鋭く問われている今日、権威主義、秘密主義、形式主義が国と自治体の行政運営にあってはならない。

 計量関係をこの観点から眺めたらどうであろうか。

計量関係においては通産省計量行政室が「計量法解釈運用検討委員会」を組織して、これに対応する「計量法フォローアップ委員会」なども含めてさまざまな場で議論を詰めているが、ここから法対応で困っている現場に情報が流されないことに不満と疑問の声が出ている。つい最近も計量関係団体の公式の会合の場で同じ疑問の声が発せられた。情報公開とは役所に向けられた時代の要求であり、国政の場面でもクリーンな政治、クリーンな行政運営の必要から情報公開が叫ばれている。

 これら委員会は計量行政室の私的な諮問の場であるかも知れないが、計量法で定められた公の審議機関である「計量行政審議会」が関連する問題について長い間、実質の審議をしていない現状を考えるとき「計量法解釈運用検討委員会」および「計量法フォローアップ委員会」等の議論に対して関係者が寄せる期待と関心には大きなものがあって当然である。

 「官僚主義」の弊害である形式主義、権威主義、秘密主義との三項目を、計量関係の諸行政の現状に照らして見直してみることは無益ではない。またそのことが不祥事や汚職事件を計量関係で絶対出さないための未然の防止策になることを確信する。

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■ 国家的課題としてのトレサの確定(96年10月27日)

 計量記念日を数日後に控え、全国各地で記念日行事が旺盛に行われているがそのピークはやはり十一月一日記念日当日の普及・啓発行事であり、国民には新聞、テレビ、ラジオなどマスコミを通じて計量が大きくアピールされる。

 国民は計量制度をメートル法(あるいは国際単位系SI)の実現による産業振興と国民の消費生活の安全を実現する適正計量の実現のためなくてはならない社会制度として理解しており、このため国と自治体が大きな働きをしていることも計量協会や計量関係行政機関などのPR活動を通じて知っている。

 望ましい計量制度の実現とこれに連動する計量観念(科学的思考方法の確立といってもよい)の確立のため、計量協会を中心とした関係者が努力と情熱を注いだ背景には、先進諸国に追いつかなければならない事情のほか、先達の科学思想に裏打ちされた揺るぎない信念があったものと思われる。

今日の日本として計量制度のどの分野が整備・強化されなければならないか。その答えは新計量法の制定意図の中にある。

 その第一は計量単位の国際的な整合性を図るために、取引または証明に使用することが認められる法定計量単位を原則として今世紀中に国際単位系(SI)に統一することである。第二は工業生産技術の向上を踏まえて、計量器の製造、修理、販売事業の登録制を届出制にするとともに、計量器の検定について、一定の水準の製造・品質管理能力のある製造事業者の製品については検定を免除する制度を導入する等計量制度の一層の合理化をはかる。第三は先端技術分野を中心とした高精度の計量に対応するため、計量標準を国が定め、計量器の精度をそれとのつながりで対外的に証明する制度を創設する。

 以上の三点であるがこれを簡単にいうと@SI化、A規制緩和と指定製造事業者制度の創設、B計量標準のトレーサビリティ制度の創設、となる。

 このほかの課題と考えられる事項は、@国内の計量諸制度と国際的計量諸制度との融合化、A消費者利益にかかわる計量諸制度の整備と実際に消費者利益の確保するための施策の実行などである。

 産業の新興、経済の発展、文化の向上に直接に大きく作用する、計量標準のトレーサビリティ制度の充実・拡大は、これを軌道にのせる大事な時期にあり、この推進のため行政機関をはじめ標準関係のメーカーなど全ての関係者の協力が必要である。

 十月二十八日には「全国計量大会」が開かれるが、日本のトレーサビリティ運動の草創期の一九七〇年代には「トレーサビリティ大会」が開かれていたのでこの二つを対比して考えることは無益でない。当時のトレーサビリティ運動は一つの結論としてトレーサビリティがオーソライズされたシステムになることを要望していたが、新計量法によってこれが実現している。 現在の計量法トレーサビリティ制度は通産省が認定する中間トレーサビリティ機関としての「認定事業者」が核になっているが、現在の認定事業者の標準の種類と数は望まれる規模からするとまだ緒についたところといえるものである。産業界からトレーサビリティの要望に細かに対応できるネットワークの構築こそ計量関係の最重要課題といってよい。

 一九七〇年代の第一次トレーサビリティ運動の経験に学ぶとトレーサビリティ制度の整備・拡充のために欠かせない視点として民間の自発的な活力の活用がある。計量法トレーサビリティが産業現場が標準を求めての強い動きを基としているのではなく、どちらかといえば従来の標準供給的な仕組みになっていることは第一次トレーサビリティ運動の経験者の立場からは官製という感想がでてくるようだが、制度として建ち上げるうえでの苦心の結果を前向きに最大限に利用するしかない。

 今後は民間の積極的な参加と協力を促すためにもトレーサビリティ制度を整備・拡充のための総合計画がもっと広く知られることが必要である。

 トレーサビリティの整備・拡充のための産業界を含めた大プロジェクトができるのが望ましいし、この事業推進のためにかつて開かれていた「トレーサビリティ大会」を開く必要もでてこよう。また品質保証に関する国際規格ISO九〇〇〇シリーズや環境システムのISO一四〇〇〇推進などにみる産業界挙げてのフォーラムの経験に学ぶ意義は大きい。

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■ 指定製造事業者制度がもたらすもの(96年10月13日)

 新計量法の下で新たに設けられた制度である指定製造事業者に指定される事業者が日を追って増えている。指定製造事業者制度は特定計量器の製造事業者が計量法の規定に基づく品質管理を実施することにより、役所等第三者機関が行う「検定証印」と同じ効果をもつ「基準適合証印」を特定計量器に付して供給できる制度である。指定の権限は国(通産大臣)にあり、これまで検定を実施してきた地方庁の事情等を考慮して制度の稼働開始期限を特定計量器ごとに定めているが、遠からず電気、ガス、水道メーター等の各特定計量器でのほとんどのメーカーが指定製造事業者の指定を受けるだろうから、特定計量器をめぐる検定の図式は完全に書き換えられる。

 指定製造事業者の指定を受けるメリットは幾つか挙げられるが、そのうち最大のものは検定手数料の「節約」であるといわれている。またメリットが発生する条件は一定程度の量産にあるともいわれる。

 このことと関連しては、特定計量器の「検定」業務が大幅に縮小する自治体は業務の大幅な見直しを迫られている。

 一方で一品生産的な特定計量器の検定という仕事はそのまま残ることになるので、この対策をどうするかは実際には重要な課題になる。質量計を含めて一品生産的要素の強い特定計量器の検定のために社会がシステムを確保して置くことは実際は大変なコストを要することである。こうした特定計量器を製造する企業のうち小さな所は社員一人である。社員数名としても職人気質の人々は一般的な品質管理に関する理屈や関係書類を作ることなど苦手でできないことである。

 自治体が一品生産的な特定計量器の検定体制を確保できないようであれば、このような業界内弱者の品質管理の代行、支援のような行為に制度的な保証を与えて、小なりといえども天下晴れて指定製造事業者であるとなりえることは出来ないだろうか。

 本来は小人数の特定計量器製造事業者の奮闘を強く促すべきであろうが、行政が支援することがなければうまく行かないだろう。

 計量関係者は新計量法の本格的稼働で計量関係の図式が大幅に変わっていることを忘れて仕事をするわけにはいかない。

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