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日本計量新報 2014年6月29日 (3015号)

計量行政事務に心身ともに没頭して得られる平和

定款の規定とその解釈をいくつかの部分を取り上げて、繰り返し質問し、定款通りの履行と定款の改正などを迫るということがなされた。定款への疑問は当を得ておらず、あれこれの質問は難癖をつけることを趣味とすることとしか思えない状況であった。会の幹部役員にしてみれば、定款があるから入会しているのではなく、計量士の会があるから入会して、いつの間にか役職に就いているだけのことである。その定款はどこかの団体の定款を土台にしてつくっているのだから、細則のあれこれに頓着などしなかっただけのことである。これはある県の計量士団体での議論の風景である。
 難しいことはわからないから、定款なり会則を好ましい状態に正していくために質問者が役職に就いてご努力していただいてはどうか、と議長をしている会長が述べたら、そのようなことではないと拒絶された。会長はこの総会を折り目に任を降りることになっていたのであるから、その職に恋々としているのではなかった。総会はその組織の意志決定のための最高の場であり、議論の場でもある。そのような場では細かなことのあれこれを取り上げるのではなく、大局に立って会の在り方や事業などを議論するのがよい。細かなことであれば、電話などで役員や事務局に事実を確認して、誤りがあれば訂正させればよい。これこそが意思の疎通の在り方だ。会則・定款のことであれこれ質問するその内容には思い過ごしがあり、間違ってもいたのだが、会の幹部役員が質問者の悪意に対してピシャリとやり返さなかったのは、会則の内容の理解不足のためではあっても、結果としては幸運でもあった。その場がそれ以上に悪い雰囲気にならなかったからである。
 そのような議論の風景との対比で、計量法の諸規定のうち、ハカリの定期検査の実施がなすべき対象の5割程度に留まっていることを考えると、悲しさで涙がでてくる人は多いはずだ。地方公共団体が計量法で規定されている計量行政の事務と実務を執行できないほどに、組織を縮小し職員を削減している状態に目を向けると、一気に進行したこのような事態はこの先どうなるのかと恐怖におののく。
 計量法に書かれていることが、無視され、地方公共団体は計量行政の事務を実施しなくてよいと言っているに等しい事務体制にあることは許されることではない。冒頭に取り上げた定款議論よろしく、計量法にはハカリの定期検査を実施しろ、そのための事務体制を敷けと書かれている。それができないようにしているのは地方公共団体の首長の責任であり、同時に関係部署の責任は万死に値する。不思議であり、不正常きわまりない状態である。これを正すための行動を起こすのが当然である。
 環境にからむ事柄は、どのような無理難題もとおってしまう。環境省の行政は水戸黄門の印籠と同じで、これが見えぬか、といえば皆ヘヘーとひれ伏す。その典型的な事例が、メス犬を飼っていれば子犬を生ませることと結びつくから、販売のための登録をして、年に1度ある講習を受講し、もろもろの要求事項に対応せよということである。それは変だ、普通にメス犬を飼っている人にはこの規定は適用されないはずだと公式に幾度も問い質しても回答は何時でも同じなのだ。
 環境省の行政事務における犬に関する事項は凶暴であるが、計量行政では計量法に書かれていて、これまで実施していて、これからも実施しなくてはならない諸事務の実施が途絶えようとしている。ハカリの定期検査を実施するための体制を取らない、取れなくなっている地方公共団体が増えていく。この背景と原因はいろいろある。しかし地方公共団体は計量法に書かれている計量行政事務をその通りに実施するのだという、意思と意識だけはもたなくはならない。意思と意識と連動するのは知識であり、その知識とは計量行政への知識である。
 計量行政の知識は、計量教習センターで習得するのが望ましい。現在の地方公共団体の職員と計量の職場の実態では、計量教習センターと関わりなしに真っ当な計量行政のその事務の知識を習得することはできないといってよい。計量行政の事務とその実務に心身を没頭して取り組んだあとには、労働のあとの爽やかさ、清々しさが残るであろう。これをサボっていることを知っていて、サボった状態を継続している組織は、いま以上に鬱(うつ)の状態に沈殿していくことになる。

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