計量新報記事計量計測データバンク会社概要出版図書案内
2015年12月  6日(3083号)  13日(3084号)  20日(3085号) 
社説TOP

日本計量新報 2015年12月20日 (3085号)

被災地にある機械は土木機械とハカリとガソリン計量器だけだ

三陸沿岸の被災地をぐるりと巡って震災から4年7カ月の現状を見た。岩手県の宮古市田老地区、山田町、大槌町、釜石市の鵜住居地区、陸前高田市、宮城県の南三陸町、女川町は市街地がまるごと津波によって破壊され発生した火災によって焼かれたために家や事業所の建家は撤去されていた。津波到達区域は土盛りによって嵩上げ工事がすすめられ、ある区域は高台を削ってここに移る。土盛り工事による嵩上げがすんでいるところでは、これから家が建つ。家が建てば市街地ができる。  陸前高田市では高台にある仮設住宅とそこに住む人々の暮らしぶりを見た。この地には校舎が津波で破壊された高田高校が2015年3月27日に新校舎を建てて移転している。それまでは中学校を仮校舎としていた。高田高校と仮設住宅は津波が押し寄せた市街地をみおろす高台(陸前高田市高田町長砂)にある。景色はよい。眼下に消え去った高田の松原がある。その松林は消えた。  見下ろす景色は嵩上げした台形の住居と商店などの予定地だ。そこには何もない。大がかりな屋根付きのベルトコンベアーが架設されて土盛り工事が今なおおこなわれている。コンベアーは海岸部の火力発電所に石炭などを運ぶ施設や鉱物を陸揚げするそれと同じだ。現代の工業力あるいは土木技術をつかって山を削り、土地を嵩上げしている。昭和の初めにはしたくてもできなかった土木工事だ。いまはこれをやっている。自然に対する人の心の変化がここにある。その昔は津波を経験すると高台に移転して暮らした。山田町などの縄文遺跡の住居は丘陵地や峠の鞍部などに限定されている。災いの教訓を掟として置き換えて津波がくるところには住居をつくらなかった。 ◇  八戸港、宮古湾、山田港、大船渡港、広田湾、気仙沼港、志津川湾の志津川漁港、女川湾、石巻湾を回った。どの漁港も魚を水揚げしていた。仲買人と加工業者がこれを買う。山田町、大槌町、陸前高田市、南三陸町、女川町は市街地が消えていて、そこに人の生活の気配がないなかにおいてである。  女川町の漁協には最新のトラックスケールが二基設置されていた。一基は稼働していて一基は調製中であった。ある漁協ではステンレス製の架台のトラックスケールを敷設する計画である。南三陸町の志津川漁協では海獲の鮭の水揚げがおこなわれていた。ここでは電気式のハカリが使われていた。ある小さな漁港の施設には機械式のハカリが置いてあった。漁港の施設でみる機械はハカリだけといってよい。  魚を獲って市場に水揚げするまでは第1次産業に属する。これを加工すれば第2次産業になる。鮮魚店で魚を売ればこれは商業であり第3次産業になる。山田では町中に1軒だけ鮮魚店が開業していてここには2台の電気式ハカリが置いてあった。 ◇  鮮魚店の店主は2間の仮設住宅暮らしであり、嵩上げした土地に店舗兼住居を建てたくても高齢であるために建築費用の融資を受けられない。「復興」という言葉をつかって震災からの再建を語るのはよい。鮮魚店の店主にとっての復興と再建への素直な思いはどのようなことだろう。被災地でみる機械は、素朴でありふれたハカリとガソリン計量器だけだ。

※日本計量新報の購読、見本誌の請求はこちら


記事目次社説TOP
HOME
Copyright (C)2006 株式会社日本計量新報社. All rights reserved.