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  since 7/7/2002

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それからのメートル法−ヤードポンド圏からの離陸支援を−   多賀谷 宏              

小説「子午線」時代のヨーロッパ

 

 私がこの本を読んだのはなんと極く最近のことであって、何を10年以上も経った今頃と言われそうだが、しかし逆に今だからこそキチンと読めたとも考えている。おそらく10年前にこの本に出会ったとしても、当時の私では記憶にも残らない程度の、通り一遍の読み方で終わってしまっていただろう。それがこの10年余りの中で、少しづつ歴史への見方が変わり史実を学習することの楽しさを掘りあてた今だからこそ、単なる読み流しに終わらずに済んだのではないかと思えてならない。どうやら読書においても、その本の主題と、読み手の側における感性の時間的移り変りとの出会いに、最適あるいは絶妙と言っても良いタイミングというものがあるように思う。‘心に残る良書’との出会いとはこうした偶然に恵まれた人のみが得られるものかもしれない。

 小説「子午線」は革命という政治の激流に翻弄され続けたメートル法制定への揺籃期が主題になっているが、そこにいくつかの国際的な時代背景を、かいま見ることができる。

 少々脱線をお許し願うが、そして私にとってはお笑いぐさでもあるが、文中で革命騒ぎのさなかの議会での叙述部分に、オスマン・トルコ帝国の王女とされる中年の女性が登場 し、僅かばかりのポケットマネーをパリの国民議会の場で「革命の支援に」と大仰なしぐさで寄付するシーンがあったのである。実はかつて私は北大名誉教授の高田誠二博士からのお薦めにより「オスマン・トルコ帝国へのメートル法導入史」(イスタンブール大学ギュネルギュン教授著:英語版)を、1999年と2000年の2回にわたり和訳して「計量史研究」 という日本計量史学会誌に紹介したことがあったのである。このため滅多にお目にかかることのない‘オスマン・トルコ’の文字に図らずも出くわし、このシーンに思わず微苦笑 してしまった。15〜16世紀に地中海から中近東まで制覇したこのオスマン・トルコ帝国も、18世紀の末には繁栄の謳歌から衰退の時期を迎えつつあり、同時にこの頃からフランス文化に強い憧れを持っていたらしい。1789年にパリ科学アカデミーがメートル法制定の準備に入ると、トルコ王朝はこれにも強い関心を示している。実質的にメートル条約の設立が国際的に初めて審議されたといわれる1875年の「メートル法制定のための外交官会議」にも代表を参加させている。この時点ではトルコは批准には至っていないが、アメリカはただちに批准している。もちろん日本はまだ明治政府が前年にメートル法を基本方針にすると決めただけで条約に参加するまでにはいたっていない。 

 この資料によるとオスマン・トルコは1869年にメートル法採用の基本法をつくっている ので、1933年に最終的なメートル専用法を打ち出すまでに約60年をかけていることになる。当時、資料の和訳に入るにあたりトルコ、特にオスマン・トルコという私にとってはこ れまで馴染みの薄い国についての資料を手がけることになるので、念のためにとオスマン時代の小アジアを中心とする歴史的背景を勉強し直してみることにした。その結果それまで西洋史・東洋史という区分でしか、しかも西ヨーロッパを中心としてのみ考えてきた自 分なりの史観に、この時、予想もしていなかったほどの強い感動というか、一種のカルチャーショックに似たものを受けたのである。

 歴史評論に独自の境地を拓いておられる森本哲郎氏の言葉に「私たちの世界史像は西ローマを中心とした西欧に偏っており、もう一つのキリスト教文明圏である東欧や、かつてそうであった小アジアについては古代史はともかく中世史、近現代史はほとんど知られていない」。「東と西、キリスト教とイスラム教といった二つの文明圏として今日でも中近東、バルカン半島など形を変えつつ新たなドラマを展開しつつあり……中略……その文化・ 宗教・価値観の差を読み解く上で、これらの理解なくしては不可能」とあるが、この時の 私の受けた感動の余韻を最も端的に表現してくれている。 

 このとき以来メートル法の創設にからむ時代のヨーロッパやアメリカ・イギリスの動き についても、私はそれまでとは違った新たな目を開かされたように思う。例えばメートル法とは全く無関係な史書と思われるものの中であっても、私の従来からの固定観念を変える史実を見付けた時に、以後この目が働きだすようになった。 

 この資料を邦訳して紹介したときにも「あとがき」として記した事であるが、私の頭の中では19世紀後半から20世紀前半までの約100年という時期は、国として旧い慣習単位か らメートル系単位への切換、すなわち「国境を越えた共通の度量衡単位」への切換参加という国家的大事業を成し遂げるためには、特にそれが高度な文明国にとってはなおのこと千載一遇の貴重な(ことによるとこの100年が最後の)機会だったのではないかとの思い さえあった。それ故、この大切なチヤンスをアメリカ・イギリス両国は、みすみす逸して しまったのではないかと考えるべきかもしれないとも思っていた。したがって今頃になって「子午線」を読むことになった私は、ごく自然にそういった意識で何かを探し求める目で読んでいたのかも知れない。

 さらに「子午線」を読んでいた私にはもう一つの視点、それは地政学的観察として、くくれるかも知れない新たないくつかの視点が浮かびあがってきた。

 もとより直接的に地政学的な観察がメートル法に結びつくとは考えてはいなかったが、少なくとも地政学的視点でみることで、18世紀後半から20世紀前半にいたる当時の世界の動きの中での、メートル法に関する関係国の動向とその経過が理解し易くなるように思えたのである。 

 以下にそれをメモ書きしてみた。しかしお断わりするまでもないが小説「子午線」は地政学とはまったく無関係であり、政治史的な記述は直接フランス革命に関する部分だけである。従って以下は私の頭の中での再整理をしたものに過ぎない。とくに以下のうちBはこの本の主題であるが、それ以外は本文中では、さらりと触れられている程度である。したがって読後に私が勝手に先入観を加えたものとして読み流していただきたい。ただこれらのいずれもがメートル法の提唱時に「すべての時代に、すべての人々に」採用されるようにと謳われたにもかかわらず、いま一つ当時の世界各国の広範な支持ないし積極的な参加が得られなかった原因であったのではないか、あるいは、そのいずれかが各国の実質的導入意欲を何らかの形で遅らせたのではないかとの思いはある。

〈次へ〉


プロローグ 「計る」に集まる視線 小説:子午線時代の欧州 メートル法がフランスだけで進められた理由
地政学的な視点 アメリカは島国か 欧州のみで発足した背景 米英両国の切換には
インフラの課題 達成国にみる助長条件 必要な政策的配慮 切換への燭光はある
エピローグ 参考文献 プロフィール

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