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日本計量新報 2013年10月13日 (2983号)

常用漢字表から銑、錘、勺、匁、脹が外れたことを確認する

計量の世界の人々が、内閣が漢字使用の目安として定める常用漢字から、計量にかかわりのある銑(せん)、錘(すい)、勺(しゃく)、匁(もんめ)、脹(ちょう)が除去される事態に、はずかしめを受ける思いをしたことは記憶に新しい。2010(平成22)年11月30日に、内閣総理大臣菅直人によって「常用漢字表の内閣告示等について」(新しい「常用漢字表」(平成22年内閣告示第2号))が告示され、ここにはこれまで常用漢字表にあった銑(せん)、錘(すい)、勺(しゃく)、匁(もんめ)、脹(ちょう)はなかった。土壇場でのどんでん返しはおこらずに文化庁のまとめた答申案そのままに新しい「常用漢字表」ができあがった。新しい「常用漢字表」には銑(せん)、錘(すい)、勺(しゃく)、匁(もんめ)、脹(ちょう)の5文字は盛り込まれなかった。計量にかんしては途中まで「斤(きん)」の文字も案にのぼっていたが、08年中ころの審議の過程で、斤(きん)は削除対象から除外されていた。そのまえに制定された「常用漢字表」には質量計のハカリの意味をもつ「秤」(はかり、ひょう)の文字が除外されていて、盛り込まれてはいなかった。
 計量に関係する漢字のうち匁(もんめ)は真珠の質量をあらわす単位であることなどから、漢字の存置がつよく望まれたが、計量関係者の意は受け入れられなかった。常用漢字は、あくまで「目安」として示されるものであり、日常的に使う漢字を常用漢字のみに制限するものではないが、公務員(行政機関)に対しては新常用漢字に盛り込まれた漢字の範囲内で使用することが求められるために、実質上の制約が生じる。内閣法制局は法律と法令などに関係して使用する漢字にチェックをかけるのだから、この面だけで考えると大いなる悔しさはぬぐえない。
 漢字制限の考え方は古くからあったものだが、米国との戦争で敗れたことにより日本人は日本の文化を捨て去ろうとする動きをすることになった。動揺した志賀直哉は日本語は止めてフランス語を国語として使おう、という意見を述べたのである。米国が強い国力を持ったのは26文字のアルファベットを使ったからだと
牽強付会な解釈をして、漢字はすべてなくしてしまえ、という思いが一時日本を覆ったことは事実ではある。
 その前に明治の西洋文化の吸収時代には日本語をすべてローマ字や平仮名で表記するのがよいと考えた人々があった。田中館愛橘(たなかだてあいきつ)はローマ字論者で有名であるが、日本語の意味は別にして、日本の言葉をローマ字で表記すればどこの国の人々でもその音を出すことはできる。音は出ていても意味をわかるためには日本語を理解しなければならないから、日本語のローマ字表記は便宜のものでしかない。明治初期の帝国大学の教員の田中館愛橘や田丸卓郎などの物理学者にローマ字論者が多かったのは、これらの人々が西洋文化に驚き、日本の文化を否定的に見ていたことによるのであろうか。明治期に日本に呼ばれて29年もの長い期間日本に滞在したドイツ人の医学者エルヴィン・フォン・ベルツは、『ベルツの日記』のなかで、それまでの日本文化を捨て去って西洋の猿まねをすることへの危惧を表明している。第2次世界大戦後の日本人の心情と明治の初めころの日本人の心情には似ており、その一つは旧来文化を顧慮しない完全否定である。 
 漢字の存在を知った日本人は自己の言葉を表記するのにこの文字を借りた。ローマ字などほかの文字を知らなかったから、人類の言葉は漢字でしか表記できないと思ったのである。平仮名(ひらがな)と片仮名(カタカナ)を漢字からつくりだすまでは、漢字によって日本語を表記するしかなかったので、古代の日本語にはすべて漢字が用いられた。漢字の意味をふまえての表記ではなく、漢字の音を借りての表記であり、万葉集などはそうであった。
 漢字を覚えて、あるいは辞書を頼りにそれを手書きすることが普通であったころと違って、パソコンによってどのような難しい漢字でも書きだすことができる現代である。その読み方に不安があれば平仮名でルビをふることができる。人が覚えなくてはならない漢字の量はそれを手書きする時代と違っている。タイプライター、あるいは活字という文字を金属の型に鋳込んでいた時代の制約が解かれた。本などの印刷物をつくるのに文字の量がコスト(費用)の面で重みをなすことはない。わかりやすい言葉で語り合う分野の会話などはあっていい。その一方では言葉を多く持ち、つまりさまざまな言葉を持って、それを用いて表現する分野があってよいのは当たり前のことである。わからない分野のことはわからなくてよいのである。衣食住などの日常の生活に関連する事柄はわかりやすい言葉で語り合えばいい。それでも日本には地域によってその風土によくにあう言葉があって、その言葉で会話をすることが便利であったのだが、いまではこの方面の会話が平板になった。

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