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日本計量新報 2012年5月13日 (2916号)

良き人と交わり良き書に触れると大人物になる

どうだろう。子弟に勉学の条件をととのえて世間が認める学校へ通わせて世の中にだしてやっても、人間の度量も能力も大したことないなあ、と思うのではないだろうか。
 世の中には、学校で習う課程のことなどあっさりと理解してしまい、試験をすれば何時でも満点を取り、一番難関とされる東西の旧帝国大学の医学部へも足踏みすることなく合格してしまう人間がいる。学校の成績がよくて東大の理学部に進んだ子弟が数学をやりたい希望をだしたら、同じ大学を卒業した父親が、「世の中には恐ろしいほどの才能の持ち主がいるから止めるように」と諭したという話は、計量計測の古い時代を知る者にとっては有名な逸話である。
 人の頭脳は、複雑にみえる事象の背後にある、普遍的な原理を読み解くことができる。アインシュタインがそうした頭脳の代表であり、その理論を何度説かれても目にみえる事柄にとらわれすぎる人には内容が理解できない。こうした頭脳とは別に素晴らしい技の持ち主は多くいる。百貨店の地下の食品売り場で魚を切り身にする職人のなかには、目分量によって1グラムの誤差もないほどにきれいに切りそろえる人がいる。これもまた別の頭脳の働きの結果であり、人だからこそできる技だと思われる。

 計量器産業におけるものづくりの現場では、旋盤を回したり工作機械を操作して、普通に備えられている測定器の能力を超えた精密さで部品をつくりあげてしまう人々がいる。天びんのナイフエッジなどをヤスリ掛けするときに、体調が整わないことなどにより、気分が集中しない場合には、作業をしないというのがその昔、守谷の職人たちの仕事ぶりであり、できあがった天びんはそれが一台売れれば一カ月は遊んでいられるという時代背景がそこにあった。こうしたことは人の頭脳の産物であるのだが、一般に技とか技能と呼ばれる。大工も一人前になるには13歳くらいから修行を始めなければならないのだという。頭で覚えるのではなく、技を身体に染みつかせるようにして覚えなければ、一流の大工にはなれないといわれていた時代があり、またその技を見抜く世間の常識があった。

 読み、書き、ソロバンは江戸の昔から一人前になるための素養とされた。昔の人は書くことに長じていた。学校歴の低い人でも今では難しいと思われる漢字を書いてしまうし、草書体の読み書きも相当にできた。ソロバンが扱えるのは当然のことで、5つ玉を苦もなくはじいた。今は、同じことを繰り返し練習して身体に覚えさせるという、修行にも似た文物の習得方法は、流行らなくなった。生徒が理解できていようがいまいが、所定の教科を定められた時間教習して次に進むというやり方では、学習する側には結局何も身につかないことになる。その結果、ある工業大学に入学した学生の1割ほどが国語知識が小学校卒業程度にも達していないという事態になる。

 「読み、書き、ソロバン」を現代に置きかえれば、中学校の教科をしっかり身につけることである。このことができていれば難関といわれる高等学校に入学できる。そうした教科力があれば普通の大学であれば間違いなく卒業できる。そのような事情を心得ていれば無理をして子弟を聞こえのよい学校に進ませることもない。
 人にとっての学舎は人との交流であり、書物との関わりである。人は人によって社会を学び、人は書によって知識を習得し、新しい自分をつくりだす。よき学舎によき人ありは、江戸で修行した坂本龍馬も同じであったし、彼はここで開いた書物と人との交流を通して得た知識によって、日本を動かす大きな構想力をもつことができた。

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