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日本計量新報 2011年3月20日 (2862号)

災害に対して備えるべき防災対策

3月11日(金)14時46分、東北地方太平洋沖を震源とする国内観測史上最大の巨大地震が発生し、東北から関東までの広い範囲が津波で未曾有の被害を受けた。
 リアス式で有名な日本を代表する景勝地「三陸海岸(陸中海岸国立公園)」のほぼ中央に位置する岩手県山田町にあった本欄担当者の実家家屋(無人状態であった)も、土砂に流されたのはほぼ間違いない状況にある。
  船越半島と重茂半島に抱かれた山田湾は、内海で波が穏やかなのが特徴であった。 マグロ、サメ、サンマの水揚げや、定置網でのイワシやサバ、ホタテやカキやワカメの養殖が盛んであった。こうした漁業活動ができない状況が一瞬にして出現した。漁船はほとんどが壊れた。養殖イカダも壊れた。定置網は流され、漁業市場の施設も破壊されてしまった。海辺の作業所は跡形もない。住んでいた家は流され、また火災で焼失した。何よりも多くの人が命を落とし、怪我を負った。本欄担当者にとっても思いもかけない事態であったが、東北地方の海沿いの地域はほとんどが同様の惨状となっている。

 海沿いの町や市は人が造りだした人工物である。歴史を振り返ると1896年に明治三陸地震津波、1933年に昭和三陸地震津波と、今回の津波で被災した地域には大きな津波が繰り返し来ている。数十年から百年に1度は大地震で津波が発生して、街も暮らしも破壊し多数の人々を死に至らしめることを物語っている。
 しかし、自分の時代にはそのようなことは起きないし、自分は被害を受けないと思いたいのが人間であり、過去の事実から推測できる自然の掟のような法則を度外視して人工物を造り上げてしまう。その前にあった地震や津波の事実は、2代3代と語られてもその先に行くと人々の記憶から消えてしまう。
 2010年の冬季オリンピックで、日本の女子スピードスケートチームがパシュート競技で銀メダルを獲得した。この競技が行われていた時刻に、チリの地震に起因して日本の東海岸に大津波がやってくると警報が流れた。しかし、避難対象地区にいながら避難しなかった人も多かった。オリンピック競技と入れ替わりで、その状況がテレビに映っていた。人々が津波の怖さを知らないことを示す映像であった。
行政や住民が自然の猛威を想定しきれず、対策が足りない小都市商業地、漁村は大地震と大津波によって破壊される。家屋は波に打ち砕かれ、まさかという思いのままに多くの命が失われてしまう。前日までの平穏な暮らしが一瞬にして変わってしまう。寺田寅彦がどのような状態を想定して「天災は忘れたころにやってくる」と述べたかは知らないが、やはり、我々日本人は皆、決して忘れてはならないことを忘れてしまっていたのではないだろうか。

 被災者とその関係者の悲嘆や労苦に対しては言葉もないが、今後への警鐘としてあえて述べたものである。
 三陸の地は良質の労働力と低賃金を特徴都とし、製縫工場、自動車の部品工場の下請けなどの工場、食品加工工場などを抱えている。日本の産業の全てとはいえないまでもその縮図のような産業が、東北地方の東海岸そして関東の東海岸に立地している。これらの地域の人々の生活と産業活動は日本の経済と一体であり、人体に例えるならば末端ではなく、肺や肝臓などの内臓、ことによっては神経や脳の一部といった重要器官である。
 被災地の外にいる人々は、国の重要器官に損害を受けたという覚悟と心構えをもって全力で支援を行わねばならない。

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