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日本計量新報 2010年1月10日 (2804号)

計量行政に無垢な情熱を注いだ松本克一氏と同時代の人々の活躍

適正な計量が行われることは、世の中の諸事の要である。計れば上手くいくことを計らないで苦労したり失敗することが、企業の生産活動や流通場面で数多くある。
 ハム会社で毒入り水が製品へ混入した一件は、実質的な被害をださない水準であったものの、水の毒性の検知と計量を怠ったばかりに出荷商品の大量回収を余儀なくさせた。
 重要な場面で使用する水について、定期的な安全検査よりも常時検査をする方式の研究開発が望まれる。
 計量計測の世界で計量の業務に情熱を注ぐ人々は多い。計量器を造る人、計量器の使用のコンサルティングをして販売する人、計量の安全を確保するために計測器の校正業務をする人などだ。
 計量器のメンテナンスは自動車の整備と同じである。この業務に精を出す人と計量行政の実施に励む人など、多くの人々の連携によって社会の基盤が作られている。また、製造技術に組み込まれた計量が機能することによって産業やサービスや文化などが活発に動く。

 計量への情熱ということでは、日本の社会では行政関係職員の気持ちが他を圧してきた。計量行政に関する教育が行き届いていたために、多くの地方公務員は、仕事を通して世の中に貢献する、県民に役立つ、という気概をもって業務に当たってきた。
 そのような気概と業務の実態は『日本計量新報』に掲載の「私の履歴書 齊藤勝夫−私の歩んだ道−公務員として信念を持って」(故人、第18回計量賞受賞者、元千葉県計量検定所長、元流山市助役、元千葉県計量協会・計量士会会長)に詳しい。
 後に千葉県知事になる総務部長とのコンビで千葉県計量検定所の独立庁舎を建設するなどの業績を残した齊藤勝夫氏は、このなかで、地方公共団体の計量行政の在り方の神髄を説いており、この書き物以上にすぐれた文書はないから、今では計量行政の心得の聖典といえる。
 齋藤勝夫氏は晩年の病床で、自分が亡くなれば「計量の世界の巨星墜つ」と皆に思われるだろうと、見舞った後輩に語っていた。
 「虎は死して皮を留め人は死して名を残す」という。確かに、「計量行政の聖典」を残した齋藤氏は、間違いなくその偉業によって名が語り継がれている。
 もちろん、齋藤氏だけではない。いくつもの県で、地方公共団体の計量行政職員は、齋藤勝夫氏に匹敵するほどの情熱と実力をもって計量行政に従事して地盤を確立してきた。その一環として独立庁舎を建設しているが、最近では滋賀県が環境計量のための人と体制を築いている。
 滋賀県では、情熱的な検定所長が知事や県の幹部、そして議会に働きかけて、独立の検定所の庁舎を建設した。検定と検査のためには、建物と設備、そして人員がいる。さらに、計量行政を推進する崇高な精神と情熱と知識と技術と周囲の支援体制がいる。こうした事柄を要領よくまとめていないと、計量行政に抜かりが生じて、行政体制は衰弱する。

 計量行政に情熱をもって取り組んだ好例として紹介したいのが、三重県計量行政と松本克一氏、その先輩ならびに同僚、そして後輩達の働きである。
 三重県の計量行政を視察する機会があり、三重県計量検定所を訪れて見学し、係の人に沿革などの話を聞いた。
 <CODE NUMTYPE=SG NUM=82B1>日本計量振興協会副会長の松本克一氏(三重県計量協会副会長、三重県計量士会会長)は、三重県の計量行政を理解するために重要な人物である。松本氏の経歴と業績は、そのまま同県の計量行政の歴史と業績でもあるからだ。松本氏は日本計量史学会の会員でもあり、真珠の取引に使う計量単位「もんめ」(匁)をSI単位として存置した経緯にも詳しい。真珠貝の取引における計量は、真珠そのものの取引とは違って大まかであることを、知らない者にそっと語って聞かせる。余談だが、産地の農家では「匁」が絹糸の取引にも慣用的に使われていることを、NHKの昼の番組が報じていた。
 三重県計量行政にとって大きな出来事は、1983(昭和58)年に三重県津総合合同庁舎が津市桜橋3丁目に移転したときに、庁舎に連結しながらも独立した建物として計量検定所を建設したことである。
 この庁舎ではタクシーメーターの検定やハカリの検定、基準器検査などを行う。さらに、ハカリの定期検査実施のための体制もここで整えて、定期検査に出かける。また特定計量器の製造、修理及び販売事業の届出に関する事務も行う。現在では新しい計量制度としての指定製造事業者制度に関する事務も執行している。
 このような計量行政の執行体制をとるには、建物や設備、人員とその能力の確保、そして関係組織との協力体制を整備しておくことが大事である。 松本氏は計量検定所次長として、庁舎の基本設計に従事して、過不足ない内容の庁舎を建てて設備を整えることに大きな役割を果たした。松本氏は50歳半ばで県庁を退職し、その後は製造事業所ならびに百貨店などの計量管理に従事してきた。同氏は現在、松本計量士事務所の看板を掲げており、事務所に隣接して計量管理室を設けて質量基準器類を整備保管している。同氏の現在の大きな仕事は三重県計量士会などの後継者育成、計量行政全般の理解のための語り部活動である。
 以下、人々が計量行政に無垢な情熱を注いで、計量行政が華やかに盛り上がっていた時代の代表事例として松本克一氏の経歴を書き出す。
▽1948(昭和23)年9月、三重県経済部商工課度量衡検定所入所(水谷計量士と同期)▽1963(昭和38)年10月、計量士登録▽1967(昭和42)年8月、三重県計量検定所業務課長▽1969(昭和44)年3月、(社)日本計量士会に入会▽1973(昭和48年6月、三重県計量検定所次長▽1983(昭和58)年4月、三重県計量検定所所長▽1986(昭和61)年3月、三重県庁退職▽1986(昭和61)年4月、三重県計量団体連合会専務理事(1991(平成3)年7月まで)▽1987(昭和62)年5月、(社)日本計量士会三重県支部幹事▽1989(平成元)年5月、(社)日本計量士会三重県支部長▽1996(平成8)年6月、三重県計量協会副会長▽2000年(平成12)年6月、(社)日本計量振興協会副会長

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