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日本計量新報 2009年11月22日 (2799号)

日本の計量行政は営々として築かれてきた重要な社会組織だ

あることを思っている。そのあることが目的であるとする。一つの組織が一つの目的を持つことで、その組織は機能する前提ができる。仮に目的意識を持たない者がいたとしても、その者に目的にかなう行動をさせることができる。
 行動の手引き書というマニュアルを与え、そのマニュアルどおりに動かすことが、日本の社会ではよく行われている。癒しの提供など顧客に心の満足を与えるサービス分野でさえも、マニュアル通りにサービスの提供が行われている。そのマニュアルには項目1の行動が記載されているが、必要に応じて項目2や項目3の行動を追加してもいい場合が多いものであることは当然であるにもかかわらず、項目1しか記載されていないと、その仕事の目的を自覚しない者は項目2あるいは項目3のサービスの提供をしない。せいぜい1日のマニュアル教習で現場に出すサービス産業が多いので、サービス産業の基本精神の「お持て成し」とは正反対の行動になることもある。本来は、マニュアルだけで仕事ができると単純に考えてはならず、知識や教養の習得や人間形成のための修練につとめなければならないのだが、そうなっていないのが今の日本の世の中のようだ。
 どのような仕事にも目的があり、目的を実現するために人を鍛え、組織を鍛えることになる。目的や目標に向かって仕事をしているつもりでも、目先には大量の目的外の雑事が発生する。そうした雑事と目的との関係を見分けていないと、雑事の処理そのものが目的であるような行動に陥る。雑事を処理する能力にすぐれている人は、雑事がどんなに多くても、そのことが目的実現行動に影響したりはしない。事務処理能力を養うことは、目的とする仕事を成功させることにつながる。
 世の中の人を見ていると、目的実現とは関係ない雑事の処理を目的化して行動している人が少なからずいる。企業にも役所にもそのような人がいる。目的とその実現という視点で組織を見ると、場合によっては5割ほどが目的実現行動とは無縁であることが少なくない。時間がない、忙しいといつも愚痴をこぼす人間のしていることの多くは、目的とは無縁の雑事である。雑事の処理を目的と錯覚するために忙しくなるのである。
 人が1日にする目的実現行動の実際量は6割にも達しないと意識して、雑事の処理は肩の力を抜いてすることである。日本の社会の生産性、日本の企業の生産性の低さを意識して、個々人の目的実現行動をはかるようにすることだ。
 目的という視点で、計量団体や計量行政組織の活動の状態を見るとどうなるだろうか。
 計量団体にハカリの定期検査業務と、地方公共団体が実施主体となる計量器の検定の補助などが加わったため、計量協会の業務の主体が適正な計量の実施の確保のための計量器の検査になっている。この協会に加入している会員は組織維持のための体裁のみと化している。協会は事務局職員が生計を得るための検査事業所となったと言い切ってもよいほどである。
 計量協会の使命や目的は「計量思想の普及啓発」と定款に記載されている。しかし、「計量思想」の意味が不明になっている現代であり、その計量思想を普及する意識も知識もどこ吹く風という会員と役員が多いのであるから、計量協会と計量思想との関係は名目だけのことになってきている。役所と計量協会の関係および役所の計量行政に関係する意識の状態も悪化しており、ある計量協会の幹部職員は「計量思想の普及啓発の仕事のもう一方の主体は県であるはずなのに、その仕事を協会に押しつけるだけならまだしも、啓発事業の補助金を削減した挙げ句、『協会のために補助金を出してやっているのだ』とばかりの顔をしている」ということを明かしている。
 その調子なので、もはや地方公共団体には計量思想などない。役所の計量行政の実務の過半あるいは殆どを計量協会に「押しつけ」たうえで、定期検査のための実施費用を実施のための経費以下に削減してしまう地方公共団体の、意識の極限までの低下に歯止めをかけないと、日本の計量法は早晩名目だけのものになる。
 地方公共団体の職員に、あるいは地方公共団体そのものに計量行政を法令どおりに実施して、市民の計量の安全を確保するという意識が極度に薄れている。計量行政は自治体がなすべき業務であるという知識をもっていないと思われる行動がつづいている。地方公共団体と計量行政の関係、そしてハカリの定期検査の実施、ガソリン計量器、燃料湯計、タクシーメーターなどの検定を実施すべき義務を地方公共団体が持っていることを知ること、それを知識として組織内に保有すること、地方公共団体の行政事務として計量法の関連事項を実施するための真っ当な体制を築いて崩れないようにすることが大事であり、知事と地方公共団体はそのような計量行政を実施する責務を持つ。
 人の連続や連鎖と組織の関係を考えると、知識は教えて定着させるべきものであり、そのための組織機構をしっかりつくっておかなくてはならない。計量の職員に計量器の検定や定期検査などの知識と技術を教え、それを実施する実力を身につけさせてそうした体制を維持継続するのが計量検定所の在り方だ。多くの県でこの体制が崩壊している。役所がやるべき仕事を無責任な形で「払い下げられた」計量協会は、あてがわれる費用の乏しさのために職員は低賃金を余儀なくされ、次世代の働き手の育成ができない状態にある。知事や県の幹部職員の計量行政の意識が薄らいだ結果であることを考えれば、計量行政の重要性を知る者は交代する知事や幹部職員に、計量行政の意識やなさねばならない目的をしっかりと(上手に)知らせなくてならない。
 人は鍛えられて人になる。計量行政を実施する人も、計量器を造る人も、鍛えられてこそ目的実現のための能力を持つようになる。
 職人の場合には、13歳から働き始めて身体に技能を取得させることもしなければならなかった。計量器ではハカリのナイフエッジ研磨やその他の手仕事は、身体が覚えるものとして訓練して一人前になった。
 計量行政に関係する業務は、技術はさておいて、大方は知識の取得をもって成り立つ。ほどほどの知識を習得する学校教育を受けて行政の現場にそれなりに従事した者でも、計量行政を実施する上で必要となる知識は持ち得ていない。こうした知識を習得し、身につけるにはそれなりの年数を要する。計量行政の実施能力を身につけるには、5年あるいは10年ほどの年数がかかるものなのだ。こうした鍛錬なしで業務に就くと、いろいろと不手際が生じる。その不手際が自分では分からないのだから、知識がないということは恐ろしいことである。
 計量協会の業務実施の場面においても、訓練なしで事務局幹部や協会役員に就いたものがなす計量法がらみの業務ならびに協会事務には、本来あるべき様子と大きなずれを生み出す。しかし、それが間違っているというそのことを理解できないから、事態は深刻になる。
 計量法の世界、計量行政の世界は、知識を習得し、鍛錬してこそ見えてくる。優秀な計量行政担当者と同じほどの知識を有するまでに自己を鍛え、計量行政に従事することが大事である。
 脳を変えれば世界は違って見える。計量行政に、無知の脳が見る世界を正当化するような愚かなことをしてはならない。そのような人々によって選択された計量行政の機関委任事務から自治事務への変更という重要な政策決定によって、計量行政は大きく崩れている。このことを考えると、計量法と計量行政の総合知識の習得とその実行を身体にしみこませることの重要性がよくわかる。
 明治政府が国の要の一つとして力を入れて築き、それをこつこつと努力し改善し引き継いできた、世界に誇ることができる計量行政が、自治事務に変えられたことによって、見るも無惨な状態にある。そのことから浮かぶ言葉は、「ローマは1日にしてならず」である。

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