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日本計量新報 2009年4月5日 (2768号)

「地方公共団体に計量法を守らせなくてはならない」異常事態

「計量法を国民に知らせる」ことが計量記念日の主要眼目であった時代がある。そのように決めてしまって疑いをもたない地方公共団体の計量行政機関があった。そのことと「計量思想の啓蒙」が抱き合わせになっていた。計量法の目的は、国民生活の安全と相互信頼を実現するために適正な計量の実施を確保することである。そのために主として取引と証明のための計量に計量法が関与して、計量器の検定や定期検査、そして商品量目の在り方を定めている。
 「計量思想」とは何か。おそらく、ただ単に「計量思想とは計量法を守ること」というのがその言葉を語る当事者たちの本音であったようだ。いや、その言葉を用いている人に内容を説かせたら十人十色で違う。そのようなことでは「計量思想」という言葉は一般の人には意味が通じない。
 現状では「計量思想」という言葉は意味不明の言葉でになっているから、死語としてしまう方がよい。語るなら「私語」としてであり、自己満足の色濃い言葉になっている。「啓蒙」とは無知蒙昧を正すということである。国民を無知蒙昧の状態と考えて「啓蒙する」するとは思い上がりも甚(はなは)だしいことだから、最近では、この言葉は「啓発」に変えて用いられることが多く、「普及」の言葉を重ねて「普及啓発」と表現されることもある。「啓蒙」という言葉の使用例としては「啓蒙思想」がある。これはヨーロッパで17世紀末に起こり18世紀に全盛になった革新的思想だ。合理的・批判的精神に基づき、中世以来のキリスト教会によって代表される伝統的権威や旧来の思想を徹底的に批判し、理性の啓発によって人間生活の進歩・改善を図ることを目指した。啓蒙思想家としてはイギリスではロック、ヒューム、フランスではモンテスキュー、ボルテール、ディドロ、ドイツではレッシングなどであり、この思想がフランス革命の原動力となっている。
 日本の計量制度は、明治の開明期に近代制度と近代科学を推進する過程で時の科学者と行政員が懸命につくりあげた。そこには純粋な意味での「啓蒙思想」が働いていて、計量を産業や文化や国民生活に生かしていくという強い願いがあった。
 製鉄や繊維産業が官営の企業としてつくりあげられたのと同じように、計量器産業もまた計量制度とともに官営企業のおもむきがあったことは事実である。計量器の製造の免許があれば事業は安泰であり、食いっぱぐれる心配がなかった。計量器産業もまた大きな意味では官営産業であったから、計量器の知識と技術を実際上保有していた計量の技術官庁が、それを民間の企業に伝授した。
 現代の計量技術の視点でみると、民間の技術が大きく向上したこともあって、計量の技術官庁との相対的関係は大きく変化している。技術官庁がなすべき業務は大きく低下している。計量技術と計量器の開発は企業が繁栄するための絶対的要因であり、技術開発そのものが大きなインセンティブ(やる気をおこさせる刺激要素)になっている。一方で、計量の技術官庁の技術開発などのためのインセンティブは低下が懸念される。また、業務へのインセンティブの低下した地方公共団体で計量行政が真っ当に実施されていないことも大きな心配事だ。
 地方公共団体が、計量法が地方公共団体に義務付けている業務内容を知らないことは、大きな問題である。行政義務を課す計量法の内容を知らないから、計量法の実務を放棄しても平気でいられる。あるいは、知っていても他の県などがサボっているのだから当県でもサボってよいという悪い循環が生じる。その結果、国民生活の計量の安全と安心の基礎をつくる質量計(はかり)の検定と定期検査を実質上サボる事態が生じていることを、本紙上で告発する。
 計量法のことを知らせ、計量法を守ることを知らせる対象が都道府県民や国民ではなく、地方公共団体そのものであるようになったのは皮肉なことだが、何としても「地方公共団体に計量法を守らせなくてはならない」事態に陥っている。
 国と地方公共団体には、計量法を守り、国民の計量の安全と安心を確保する確かな行動と心構えの再構築を強く訴える。

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