What's New計量新報記事計量計測データバンクOther Data会社概要出版図書案内リンク
2007年8月  5日(2686号)  12日(2687号)  26日(2688号)
社説TOP

日本計量新報 2007年8月12日 (2687号)

知恵こそすべて、知識経済と考える力の結晶としての知恵

経済が知識化している。知識が集合すると知恵に転化することがある。知識が乏しすぎると知恵は生まれない。知恵を導き出さない知識を貯め込むことは愚である。算数などの公式を覚えて試験をやり過ごして、後は何も覚えていないという学習の方式が日本の学校教育である。学生の教科の理解の状況とされる試験で日本の水準が低下していると嘆くことはない。ゆとり教育といって学習の進行を遅らせているのだから。そして考える力をはかる便利な共通のモノサシがないからでもある。日本の優秀とされる中学校、高等学校、そして小学校と大学は見方によっては学習の先回りをしているに過ぎない。考える力をビジネスを成功させる能力と仮定すると、考える力の優れている人として、松下幸之助氏、本田宗一郎氏、豊田佐吉氏などがあげられることになるが、これらの人々には学校教育上の知識ということでは決して上等の部類に属さなかったという共通点がある。明治時代の高等教育は欧米の進んだ学芸を模倣することに徹してたので、考える力の育成は放棄された。明治の日本人で考える力を持ち得たのは英国、ドイツなどに留学した人々であり、夏目漱石、森鴎外がそれであり、計量の世界においては英国でケルビンに学び国際度量衡委員として活躍した田中舘愛橘氏であった。
                     ◇
 現代の日本では、学校で多くの人々が教わらなかった新しい文化としてのコンピュータの使い方やインターネットとの関わりなしに仕事をすることはできない。パソコンの操作ができない人でも、そして自分でインターネットの世界で情報検索するなど直接的に関わったことがない人でも、さもわかったようにインターネットのことを語る。そしてインターネットを利用し、パソコンを操る人でも、実際にインターネットの世界に情報を発信するとなるとこれが出来ないのである。
 日本計量新報社では計量計測情報の収集と加工そしてデータベースに盛り込むことを基本業務としており、これを社外労働の「テレワーク」の形式で推進している。できあがっている情報をデータベースに盛り込むためのアップロードの仕事であっても、よしやってみようと意気込んでも実際にはその能力が不足していることが多いのである。あれこれの実験をしているなか、アップロード作業は来訪を求めて直接に教え込むことによって可能になった。
 人々はわかったつもりでいても、パソコンやインターネットの実際のことは十分にはわかっていないのである。それは現在のパソコンが、使い勝手という面における能力が低いからであり、将来はテレビのチャンネルを回して番組を見るのと同じようにパソコンが操作できるようになる。インターネットにしても特別の人がこれを利用するのではなくほとんどすべての人々が意のままに使うことができるようになる。しかし、そうしたことが実現するまでにはこの先10年どころではなく20年の歳月を要することだから、今の時代を生きている者は、パソコンを使う力を大いに養わなくてはならない。そしてそれと連動してインターネットを利用する力を付けることである。
 社会は人と人とのつながりでできているから、人と人とが円滑に結びつくためのコミュニケーションの力が必要である。コミュニケーション能力は情報社会と知識経済社会にとって大事である。ある人はコミュニケーション能力を、麻雀をするために人を集めることができるかどうかだと述べている。これは麻雀でも旅行でも何でもよい。一人ではできないことをするために必要な人を集める能力は、コミュニケーション能力とみなされる。人に目的を説明し、人を集めて協力を求めて、目的実現のための計画を実行する能力を構想力ということもあり、この構想力は考える力でもある。そして構想を実現するためにはコミュニケーション能力もいる。構想を自信をもって語れない、語っても十分でない、構想を推進する気力も十分ではないということでは何も出来ないことになる。構想を実現する意思と意欲は知恵をも生み出す。知恵とは考える力の結晶である。


記事目次本文一覧
HOME
Copyright (C)2006 株式会社日本計量新報社. All rights reserved.