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日本計量新報 2013年3月10日 (2956号)3面掲載

東日本大震災から2年後の現状を見る(2)

復旧した女川漁港トラックスケール(2)

5トンまでを10kg単位で計る性能

設置されたトラックスケールは、5トンまでを 10kg単位で計る性能を備えている。以前に設置されていた場所とは少し離れており、これは港湾の設備が傷ついているなど施設の内容が変わっていることに合わせたからのようだ。施設が総合的に再建設されればトラックスケールを現在の位置から移動することが考えられるので、移設を見込んでコンクリートを打ち込んだ土台の上に設置されている。トラックスケールは75mの長さで、4点支持のロードセル方式、これを前後に2基つなげて15mの構造である。トラックスケールの操作室はプレハブ構造である。操作盤とプリンターで構成されている簡便なものだが、これで用を足す。
 被災して壊れた魚市場のトラックスケールの復旧としての再建設と漁港の復興は多くのところで同時に進行している。地震と津波などによって破損した物資は瓦礫の山として集積場に置かれていて、これの受け入れや運び出しには必ず質量測定が実施されていて、この方面でトラックスケールが設置されて稼働している。

内陸部では地震被害で屋根瓦が落ち、壁にヒビが入る

八戸市は津波で海岸部が大きな被害を受けた。漁港の施設も津波で壊れた。浦安市では地震によって液状化現象が発生して建物が傾き、道路が壊れた。同じ現象が千葉県我孫子市などでも起きた。茨城県つくば市などの政府関係研究機関では実験研究設備の地震による破損が少なからず発生した。筑波大学病院の被害の大きさを伝える映像やつくば市にある研究機関の設備の破損状況を写した写真と報告を目にした。千葉県旭市でも津波による死者がでている。

地震による被害は関連地域の内陸部でも発生している。東北道は陥没し、簡易修復した道路は高速で走るとバウンドするので危険であった。屋根瓦が落ち、壁にヒビが入るなどの被害は茨城県などの内陸部でも多く発生した。震災発生から2年が経過した時点でも相馬市の山側の家では修理されずにブルーシートをかぶせたままのところが多い。年金も含めて収入が少ない人には修理するだけの金銭の余裕がない。修理されて光沢鮮やかな屋根瓦の家とブルーシートで応急処置をしている家との対比に何を感じたらよいのだろう。

東京電力福島第一発電所の事故は別途ふれる。火力発電所は燃料の搬入ほかの便宜によって臨海部に設置されているから、津波被害を受けた。このことは声高には伝えられていないものの大きな被害が出ていて、震災から2年が経過しても復旧していない火力発電所がある。福島県相馬市や原町市などの火力発電所がそうである。石炭を使うのに便利なように港湾から発電所内につながる搬送用の建家をみると、臨海部設置が輸送費用だけに限れば好都合なのだ。

原発事故現場に近いところほど瓦礫処理が進まない

山と入り江と狭い低地とで形づくられたリアス式海岸の岩手県、宮城県の沿岸部の津波被災はポツンとした点のようすを示す。仙台市若林区から福島県につらなる海岸線の津波被災は点ではなく面である。海岸線にそって墨を塗った面の様相である。低地の平板な海岸線には水田も多いが家屋や工場などの設備も多い。こうした海岸線の低地の住宅などの設備は津波で押し流され、破壊されている。仙台市からいわき市、そしてその南の地域までが被災している。このような地域のその地形には近くに高台がないのが普通なので、押しよせる津波から逃げるのはたやすくない。地震の大きさに応じてすばやい非難をすることが大事であるとはいっても、逃げてもなかなか遠くに行けない。

水田は津波によって塩水をかぶっている。仙台市など宮城県の地域では被災の水田の復旧のために排水溝を通す工事が盛んにおこなわれている。降った雨を利用したり、河川水を積極的に導いて塩分を洗い流そうということだろう。土の入れ替えなどもあるのだろうか。

宮城県の被災沿岸部を走るダンプカーの数は多い。大規模な土木工事が盛んにおこなわれているように見える。沿岸部を走る国道6号線には砂塵がただよう。地震と津波と火災などで機能を失った家屋や設備は取り壊されて空き地に積まれて瓦礫として処理される。

ダンプカーがひっきりなしに走っているのはこのためである。仙台市からは瓦礫は姿を消している。福島県の相馬市に向かって進むと瓦礫の山は徐々に減っていく。相馬市の付近の瓦礫の山の多さが目につく。放射能物質によって汚染された瓦礫をこころよく受け入れる自治体が少ないからだ。原発事故現場に近いところほど瓦礫処理が進まないのはこのためである。

相馬市の端は東京電力福島第一発電所から半径20qになり、国道6号線には検問所が設置されていてそこから内側に入れない。

がんばっぺ女川!

4割の得票で7割から8割の議席を確保できる現在の小選挙区制が自民党安倍内閣を実現してはいても、支持する選挙民の数と割合は大きくはない。支持割合がわずかに減ると内閣支持率は大きく下がる。美しい日本、と意味不明の言葉を発して自己満足した1回目の首相在任と比しての2度目は、金融緩和策などを通じて通貨供給量を増やすなどして物価を2%上げるという政策を打ち出したことに市場が連動して、円安が進行し企業業績の向上感が漂っている。日本はデフレからの脱却に向けて、その要因の一つである、人の気分・企業の気分の面で好条件をつくったようにみえる。ほかの要素となる実際のお金の動きの増大、企業活動の活発化などに連動していくのか、先行きに期待が持たれている。

東日本大震災からの復興の政策が後回しにされている。震災のすごさに息をのみテレビもラジオもCMを止めてしまった2011311日の後の1カ月ほどのころの人々の感情は消えた。家を失い、生産設備を失い、家族を失い、仕事を失った人の暮らしの状態は、被災直後よりも悪くなっている場合が少なくない。女川町も含めて町の主要部が津波などで失われたところでは、そこに住んでいて、そこで仕事をしていた人が、今どこにいて、どのような仕事をしているのか。そして何を考えているのか、震災から2年の節目に考えてみたらよい。女川町の魚市場の付近に「がんばっぺ女川!」と書かれた横断幕が掲出されていた。小さくて粗末で、冬は寒くて、夏は暑い、仮設住宅に住んで、そこから新しい職場に通う子育て世代の暮らしがある。年金世帯は住宅費、光熱費などに支出すると普通の生活をするための原資はなくなる。

自分が悪くてこうなったのではない女川の人々は、「がんばっぺ女川!」と語って自分に気合いを入れる。デフレ経済と少ない収入で生活の先行きに期待を持てないでいる人々が多い日本である。そうした打ちひしがれそうな状態の国民の生活は「がんぱっぺ!」という言葉に励まされているのであるが、いつしか自分のことしか見えなくなっている人もいる。「がんばっぺ!」の掛け声によって押しとどめている人と連帯することで、頑張れる日本になれる。

女川をみて、石巻をみて、青森の、岩手の、宮城の、福島の、茨城の、千葉の被災地と被災者のようすを見れば、「がんばっぺ女川!」の言葉が発する健気さに素直に連帯するだろう。「がんばっぺ女川!」は、頑張れる日本を応援している。

YouTubeで関連動画公開中!http://youtu.be/hicA-56hCy0 (「東日本大震災」)

 


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