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 計量計測データバンク「日本計量新報」特集記事寄稿・エッセー>吉田和彦

日本計量新報 2011年1月30日 (2855号)掲載

遠野物語の世界から 

日本計量史学会会員 吉田和彦

吉田和彦 2010(平成22)年は、柳田国男が1910(明治43)年に遠野物語を世に出し、口承を民俗学として確立させてから100年で、この世界の話題が賑やかだった。
 これは、みちのく遠野郷に伝わる草深い山里の風土環境から生まれた座敷ワラシのような子供の神・山の神・家の神というような神々、カッパも含めた妖怪、生き物などの地域に伝わる民譚で、生態学者・文化人類学者で登山家の今西錦司は暗記するくらい読んだといわれる。
 この物語に、姥捨伝説に似た話がある。

 かつて貧困層を抱えた遠野郷では、60才で親は子から捨て去られ、この世とあの世の境の領域である里の近くのデンデラノ(蓮台野)で、里の農作業を手伝い、僅かな糧を得て、余生を送る風習があった。
 信州の姥捨山伝説を基にして書かれた深沢七郎の小説『楢山節考』では、親は70才になると自分から進んで「楢山まいり」といわれる姥捨て先の楢山へ子に背負われて行き、そこで死を待つという、逃げ場のない世界となっている。
 それぞれ捉え方があると思うが、遠野物語には捨てられる人の生活が考えられているので、姥捨てと言う世俗の暗さが薄められているようだ。
 捨て去られる老人の余命から時代を推計すると、60才は平均寿命が40才以下の平安時代と推測され、70才は現代人そのものを表しており、複雑な思いが残る。
 姥捨伝説は、年代的には縄文から明治にかけてのものだが、形成された時代が明確でないものが多い。平安期の安倍貞任関連のものなどもあり、古代の姿が垣間見られる。

 写真は古代人(縄文か)の墓として、ある地域に伝わる奇岩で、近くの縄文遺跡からは、大陸との交流を裏付ける耳飾りなども多く出ている。
 遠野郷の民譚文明を穀物の運搬や俵入れに影響を与えた「駄」の単位を通して見ると、遠野から一日位のところに、大同三年鎮守府が置かれた胆沢城があり、ここからの影響を受けた文明であったことは間違いない。
 胆沢郡も遠野郷も同じ頃に坂上田村麻呂に平定統治されており、胆沢城跡からは白米五斗進呈と書かれた俵に差す荷札木簡が出土している。
 当時一俵は五斗、一駄が三俵で一五〇斤の制限が加えられた単位が使われたようだが、一般の社会は流通経済でなく、共通単位の必要性が低い時期が幕末まで続くので、一俵の中味が違ったり「駄」の俵数も数字が違う場合があるので、文書記録は鵜呑みにできない。

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