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日本計量新報 2009年6月21日 (2778号)

コンパクトハイブリッドカーは日本文化の結晶

自動車のエンジンが、油を燃やすだけのものから余分なエネルギーを蓄電して補うハイブリッド方式に移行する気配が濃厚である。トヨタのプリウスが大人気であり、納期は6カ月を超える。安さで大きな衝撃を与えたホンダのインサイトも受注は好調である。現代の社会の仕組みが自動車と結びついているので、この関係を即時に遮断することはできない。人と物の移動に関しては自動車はその他の交通機関と関連し合いながらこれまで以上の重要度をもつことになるのではないか。そのような状況の下では、少しの油か、再生利用ができるエネルギー源をもとにして自動車の走行が成立することが、絶対的条件になる。

とりあえずは、実用燃費が現在の2倍になるハイブリッドエンジンの自動車が使われることになり、これを追うように蓄電池で電気モーターを回して走る電気自動車が登場する。その先は、上手に取り出した水素を燃料とした内燃機関のロータリーエンジンなどの開発が試みられている。また、他にも水素と酸素を反応させてそのエネルギーを蓄電して電気モーターを回す方式の燃料電池車など、さまざまな方式が試みられている。

水素を使う方式の自動車がどのようになるかは予測の域を超えない。水素を燃やして発電し、それを蓄電して電気モーターを回す方式の方が実際的であるようである。燃料電池車が実用化されるのは30年後ともいわれるが、このような難しいことはしないで、家庭やコンビニエンスストアなどのコンセントから電気を引いて充電する方式が簡便であり、実用化されるのではないかと予測している。
 日本の自動車産業は、小さな車にハイブリッドエンジンを積載するハイブリッドカーが市場に受け入れられることによって新しい時代を迎えている。米国の自動車会社は大きくて重い高価な車を自国を市場の中心にして事業をしていたが、米国経済の急激な低迷によって存立できなくなってしまった。再生の道筋は規模の縮小以外にない。大きく、重く、高価というのはかつての「重厚長大」の産業に似ているが完全に重なるものではない。利益追求ということでは大きく、重く、高価な自動車を売ることが手っ取り早い。米国民は自動車産業との相関のもとでそのような自動車を受け入れてきた。
 現代の人々を覆い尽くしてしまった「環境」という呪文は、「環境原理主義」とでもいう思想を撒き散らしたので、皆がこの主義・思想に支配されるようになった。日本に暮らす人々も「環境にやさしい」事や物でないと悪であると思っている。ハイブリッドカーは純粋にみれば決して「エコ」ではないが、よりましな「エコ」であるうえに、走らせると燃料費が半分になるから、人々の「エコ」心と懐勘定を満足させる。
 自動車産業のなかの「重厚長大」のアメリカ思想からは、ハイブリッドカーやエコカーは生まれない。1950年代、1960年代の日本の自動車産業の本格的な発展期のはしりに登場したトヨタの「パブリカ」などは、今の人の目からは素朴でよいと思えるし、これがそのまま環境にも家庭の経済にも「エコ」である。
 話が飛ぶようであるが、日本には縄文時代の採取生活があり、吉田兼好や松尾芭蕉のように、自然と人が等身大でささやかに向きあう文化があった。そのような人々の暮らしの感覚と日本の自動車に対する文化は、米国や欧州とは異なると考えられる。軽自動車は農村の暮らしが要求するものだといえる。その国の自動車産業はその国の文化を反映する。米国の自動車に対する文化が否定され、日本の文化が反映したともいえるハイブリッドカーやエコカーや、まもなく登場する電気自動車が、日本の自動車産業の今後の事業を伸展させる。そのような日本の自動車産業のもう一つの背景には、品質に対する意識としての品質管理や計測の管理がある。

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