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ライチョウ(雷鳥)(3)

夏山に ライチョウがいて 永久(とわ)思う  虚心

ライチョウ

 中部山岳地帯と気象条件が似ているということで、昭和35年8月21日に標高2400mの富士山4合目にヘリコプターに載せてライチョウ(雷鳥)移しました。オス1羽、メス2羽、ヒナ4羽の合計7羽です。翌年4月から9月にかけて行った7回の調査によって、6羽のライチョウが放鳥場所からやや北側によったカラマツ、シャクナゲ、ミヤマハンオキなどの地帯で確認されました。ライチョウ(雷鳥)の富士山への移植のこの事例を、山梨県の林政課では金峰山に応用したのです。2002年夏に金峰山に出かけましたが、ライチョウ(雷鳥)に関する立て札など見ませんでしたし、ライチョウそのものも姿を見せませんでした。ただし金峰山頂上付近から北側に広がるハイマツ帯は見事なもので、ここにライチョウがいても何の不思議もない光景でした。富士山へのライチョウ(雷鳥)の移植は結局はうまくいきませんでした。

 木曽駒ヶ岳などがある中央アルプスのライチョウ、八ヶ岳、蓼科山などのライチョウ、白山のライチョウは絶えてしまいました。
 ウグイスという鳥は平地でも棲息できますが、八ヶ岳の主峰赤岳の標高2900mや標高3000mの剣岳山頂付近でもホーホケキョと啼いて元気に棲息しています。野鳥には自然環境への適応力に富んだものとそうではないものがあります。ライチョウは氷河期の環境を生きてきたのですが、そうした環境に適応する余りに少しの外乱にも弱いのでしょうか。

 ところがです。ハワイのマウナケア山の山麓にはアフリカから移植したライチョウが元気に棲息しています。2002年2月にマウナケア山に登ったとき、中継地の鬼塚センターで食事休憩をしていましたところ、そのライチョウが姿を現したのです。弁当の残り物を啄もうと人のそばに寄ってきて愛嬌をふりまくのです。

 ニホンライチョウ(日本雷鳥)が日本国内で移植に成功せずに、アフリカのライチョウがハワイのマウナケア山麓への移植に成功したのは何故なのでしょうか。ハワイには野鳥も植物も移植されています。

 日本人は「自然にやさしい」などと実質の内容は意味不明の曖昧な言葉に振り回されているようです。

 鎖国が終わったころの横浜は100戸ほどの静かな村でした。武蔵野などには広大な林野が広がっていたのです。人の増殖の結果はここに民家を建て、林を切り倒したのです。

 海だって同じです。須賀(すか)とは海辺のことですが、自然の波打ち際は浜辺近くに人が大勢住むために堤防が打たれました。大きい小さいは別にして干潟は極端に減少しました。河川もそうです。剃刀堤防が魚の生息環境を悪化させていいるのです。

 ダム建設が決まると、地元の土建業者は20年間は楽に事業をつづけることができます。神奈川県の丹沢山塊にある宮が瀬ダムの工事が始まったのは1983年ですが、完成は2001年でした。このような工事を山梨県ではいくつも進行させておりますし、日本全国には建設中のダムが沢山あります。

 ダムが完成すると次は砂防ダムの工事をします。砂防ダムなどはすぐに埋まってしまいますから、沢に段差をつけただけのように思われるのですが、効果のほどはどうなのでしょうか。

 2002年は7月に台風がいくつか上陸して、岐阜県などで川の氾濫をもたらしました。山の保水力が減退していることは事実で、ゴルフ場とスキー場がこれに拍車をかけているように思われます。

 木材価格の低迷から経済林に管理の手が入りませんから山は荒れております。枝刈り、下草刈り、伐採のボランティアが募集されているのです。山に水源確保のための涵養の木を植え林をつくることは、有効な水害対策です。それは同時に野鳥を呼び寄せることになりますし、山菜だってこうした林にはよく生えます。

 ライチョウ(雷鳥)の生息環境を考えておりましたら、別のことに話が飛んでしまいました。

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since 7/7/2002