計量新報記事計量計測データバンク会社概要出版図書案内
2012年5月  13日(2916号)  20日(2917号) 27日(2918号) 
社説TOP

日本計量新報 2012年5月20日 (2917号)

誰かを罪人にする警察とその片棒をかつぐテレビ報道

 交通事故のニュースが頻繁に報道されている。乗用車が通学途上の学童の列に突っ込む事故や金沢からの長距離バスがガードレールにぶつかる事故などがそれである。自動車は人や物を運ぶ道具であり、ある場合には運転そのものが目的になることがある。自動車道路では安全運転が基本であり、安全に運転されてこそ自動車がその機能を果たす。とはいってもハンドルを握り運転操作するのは人であり、その「人」には間違いが起こりがちである。人を運ぶバスとタクシーの事故は日常茶飯事であり、物を運ぶトラックなども同じだ。通勤や行楽のための自動車運転においても事故は頻繁に起きている。

 自動車事故ゼロ、とりわけ人身事故をなくすことが自動車と交通社会の課題であるにもかかわらずこれが減ってはいてもなくならない。10年間の死亡事故を合計すると一つの市の人口が消滅するほどである。人口減少が問題になっているときにこのことを放っておくのはどうしたものかと考えるのは間違いであろうか。
 スピードの出し過ぎや車間距離を極度に詰めた運転などは死亡事故を誘発する主な原因であるが、これに対する警察の日頃の対応はいかがであろうか。止まらなくてもよい、見通しの良い場所での一時停止、同じようにさほど変わらない道路状況での速度取締など、違反者をあえてつくるかのような交通政策の実施は、結局は建前と本音を区別して運転することを助長することになる。その一方で日本の自動車運転者の態度には、安全運転の考えとその励行が後退しているように思われる。優先道路だからということで安全確認抜きの運転がまかりとおり、交差点や見通しの悪い場所での安全運転を怠る状態が蔓延している。今の自動車はアクセルを踏めば容易に高速走行ができるが、そのような性能を知った上で安全のために速度を緩めて走るのが運転者の在り方だ。

 交通事故が起こると警察発表のままに運転者が悪いと決めつけるのがテレビなどマスコミであり、場合によっては運転手の管理者にその責任を帰する場合もある。交通事故はおこしてはならないのであるが、しかし道路に多くの自動車があふれ、歩行者などがいれば、現状では交通事故は発生する。その昔、交通事故死者の多発に対して「交通戦争」の名をあてていたがこの意識の状態が後退している。マスコミの報道は交通事故死者が出ると運転者の過失責任だけを取り上げて非難することが多い。交通政策全般への目配せとその方面の事情を報道することこそが不幸の再発を防ぐことになるにもかかわらず、その視点での報道は少ない。「警察への取材でわかりました」と述べているように、警察発表がテレビ報道の番組つくりの土台になっている。

 日本では何かことが起こると法令のどこそこに違反しているということで、「法令遵守」していなかったことが原因であるように報道される。何か事故が起これば、事故原因の究明ではなく、法令違反による事故への責任追及をすることが日本社会での対処の仕方である。法令による規制はほかの法令の規制と重なっていることが多いうえ、日本の法令の規制にまったく抵触しないで生きていくことは、ほとんど難しく、その状態は塀の上を歩いているようなもので、少し間違えば塀の内側に墜ちるともいわれる。

 計量法がつくる世界においても実際には守ることができない法令の規定が存在しており、その法令の文言に厳密に従うと、行政がぎくしゃくし、計量事業者も身動きがとれないことがある。事業者のなかには守ろうにも守れない法令に違反をしていることに気を病んで、場合によっては役所に対し余りにも卑屈になる場合がある。晴れて天下の王道を正々堂々と歩けるような計量法とその関係法令に改正・整備されることを望む。

※日本計量新報の購読、見本誌の請求はこちら


記事目次本文一覧
HOME
Copyright (C)2006 株式会社日本計量新報社. All rights reserved.