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日本計量新報 2008年1月27日 (2708号)

人類の知識と知見と知恵の総体を知ることに熱心でありたい

学問の世界が切り開いた幾つかの事象をつなぎ合わせて総合して考えると、私たちに見えている世界とは別の姿が見えてくることがある。ニュートンがつくりだした物理の世界とそこに描かれる姿をアインシュタインがひっくり返してみせたことによって、物理学は新しい次元に踏み込み、人類もまた自然と宇宙の姿を別のかたちでみることができるようになった。
 NHKテレビはこの2年ほど毎日まいにち、地球表面の気温の上昇とそれをもたらす要素としての二酸化炭素(炭酸ガス)の排出量増大について報道している。自動車の燃費の向上はそのまま化石燃料の使用による二酸化炭素の排出量の削減になると思われるが、実際には日本の自動車の排気量が大きくなっていることから、燃費の向上が地球温暖化防止に結びついていない。報道は、(意識してかどうかは別にして)これを見落としている。
 二酸化炭素の排出量削減という課題と矛盾するように、中国、インドなどアジアの新興国でこれからさき自動車の利用台数が爆発的に増える。世界人口は中国、インドが圧倒的に多く、3位の米国で3億人、つづいてインドネシアで2億人強、ブラジルが2億人弱、以下パキスタン、バングラディシュ、ロシア、ナイジェリア、日本、メキシコ、ベトナム、フィリピン、ドイツ、エチオピアであり、人口はアジアに偏在していることがわかる。アジアの経済・産業が活発になれば、その結果として工場が新たに立地され、また自動車が増えるから、化石燃料をエネルギー源にしている限りは、二酸化炭素の排出量は少々の警鐘などどこ吹く風と果てしなく増える。
 現代の産業は、産業革命以後化石燃料を利用する方式で成立している。一部の先進国が情報を価値基準にする社会に足を踏み込んでいることは事実だが、その先進国で過去に栄えた化石燃料を大量に使う産業がアジアの新興国が生きるための産業になっているから、地球規模でみると産業構造に根本的な変化は起きていない。
 饑餓、病気といった災難から抜け出す道として、人類は産業を興し富を大きくする方法を選んできた。アジアの農業国は先進国が既に捨てた、あるいは人件費の低減を求めて進出してきた外国の技術と資本を利用して急速に工業国への道を歩んでいる。実際に農業国では他の世界の「豊かさ」を実現することができない。この際に豊かさへの考え方を変えることができれば別の道が開けるのであるが、世界の産業経済への思想の持ち方と流れは、それを許す状況にない。
 水素を元にして空気中の酸素と化学反応させてこれを熱源(エネルギー)とする燃料電池は革命的であるようにみえても、その水素を取り出す効率的な方法は化石燃料を使うことだという矛盾がある。太陽電池にしても、それが完成していれば太陽光をエネルギー源にできるものの、太陽電池を製造するために費やすエネルギーが、太陽電池が発電するエネルギーを総合的に超えているかも知れないという疑念が残る。たとえば、太陽電池の屋根への設置の費用やその耐用年数と再設置の繰り返しと化石燃料の単純な使用との差異がどれほどであるかというと、かつては後者の方に分があった。
 工業化が人口の急激な増大をもたらしたことは江戸時代に3300万人ほどであったものが明治になるとその後100年の間に1億2千万人ほどに増大したことでわかる。日本の人口は縄文時代には10万人から30万人ほどであった。弥生時代には50万人から60万人ほど、奈良時代には450万人ほど、平安時代には550万人ほどで、これが慶長時代には1220万人ほど、そして江戸期は増減はあるものの3100万人から3300万にほどであった。江戸には人口の10分の1が集まり、当時世界最大の都市を形成し、また日本人の所得は戦争がないことなどもあって世界で1番であった。
 工業化が進展するアジアの農業国の人口は、この先更に増大する。人口が増大する国は経済規模も拡大する。日本国内の人口増加はないから日本の経済規模の拡大もない。企業は経済規模が拡大するところでビジネスをすることが効果的であるから、トヨタ、日産、ホンダといった自動車産業も、またほかの各種産業も新興国への進出を加速させている。これらの企業は日本で活動しているときと同じようなエネルギーの吸排出構造のままであるから、日本国内で二酸化炭素排出量を抑えたといって大きな顔をしてはいられない。これまでの工業社会の社会構造が二酸化炭素(炭酸ガス)をつくりだす産業構造であることを考えれば、これを変えてしまうしか根本的対策はないように思われる。
 テレビ、新聞などマスメディアの報道は、多面的であるようにみえても実際にはごく少数の概念のことだけを限定的に繰り返して扱っているから、これを毎日まいにち聞かされる人の観念は扁平になってしまって事象の本質をみることができなくなっていることが少なくない。世界の人々も日本人も自然科学や社会科学などさまざまな分野で多くの成果を挙げているのだから、そのような人類の知識と知見と知恵の総体を知らせる努力をそれぞれの学問と技術の分野でなさねばならず、また人々もそれを知ることに熱心でなければならない。マスコミが知るべきことのすべてに対して努力を払うことなく、知っていることだけを繰り返して報道することは愚行であり、それは人々から期待された責務を全うすることではない。


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