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横田俊英ホームページ

 

横田 俊英       

母犬の小春は手と足と頭でくるむようにして小犬を抱きかかえます

白い子犬が小春のそばに横たわっておりました

 もうそろそろ生まれても良い頃と思って午前8時に居間に居所を移した紀州犬メスの「小春」の様子を見ましたが、子犬の姿が見えないので「未だか」と少しがっかりしました。しかし、目をこらしてケージのなかを見ますと白い子犬が小春のそばに横たわっておりました。「産まれた」。私は喜んで直ぐその子犬を手にとって性別を確認しました。メスです。4月4日の朝のことでした。東京の桜は2、3日前に開花しました。
 母犬の小春は私が子犬に手を掛けるのを嫌がって取り返そうという行動を取りました。その気魄に負けて性別を確認しただけで子犬を小春に返しました。子犬はへその緒が切られておりましたが、へその緒は5cmほどの長さで子犬のお腹についております。小春は私から子犬を取り戻すと、その子犬を口にくわえて振り回しておりました。そしてへそのをもっと短くしてやろうと残っているヒモのような緒に歯を立てるのですがそれ以上は上手く切れません。子犬は未だ濡れておりましたので、小春はしきりに子犬の体をなめ回しておりました。

「やれやれ産まれた」と私は安堵しました

 小春のお腹は交配後60日の出産予定日が近づいても大きくならないのです。乳首だけは予定日の3週間前頃から大きくなって、ピンク色に変わっておりました。2日前に乳首を絞ると白い乳が出ておりました。お腹の方は上から見るとわずかに横に膨らんだ程度であり、それ以前の状態を知らない者には分からないほどです。下の方にも大きくなっていません。わずかにふくらみを見せる程度であり、これもそれ以前の様子を知らない人には妊娠している犬と思うことはないでしょう。それでも出産1日前にはその前日より大きくなっておりました。ちっとも大きくならない小春のお腹ですから疑似妊娠かどうか確認するため小春のお腹を手で触って確かめることもしました。出産予定日の4日ほど前にそっと手をやり子犬がいるかどうか触ってみますと頭と思われる丸いものがあるのです。それは丁寧に探っても一つだけです。「どうやら子犬は1匹しかお腹にいないな。良くて2匹だ」と私は予想をつけました。

1頭だけ生まれた子犬が幸運にもメスだったのです

 紀州犬メスの小春の横に産まれた直後の子犬が1匹いるのを見て私は嬉しかったのです。「小春良くやった」と思ったのです。子犬がメスであるので私は尚嬉しかったのです。紀州犬のメスの小春と子犬の父の「志孝」は共に白い犬ですが、1年半ほど前に子犬を3頭産んでおり、その時はオス犬だけでした。今度はメスが1頭は欲しいと思っていたのです。その1頭だけ生まれた子犬が幸運にもメスだったのです。

「やはり1頭だけだったか、まあいいや」と私は独り言をいいました

 午前8時に子犬が1頭産まれているので、その後もう1頭産まれるかも知れないと思って様子を見ておりましたが、その気配がありません。胎盤はもうそこにありませんでしたから小春が食べて処置してしまったのでしょう。子犬を産むときには30分ごとにうまれてくるものなのですが2時間が経過しても産まれてきません。「やはり1頭だけだったか、まあいいや」と私は独り言をいいました。そして「子犬がメスで良かった」と思ったのです。

小春は交配日から丁度60日で小犬を産みました

 紀州犬は子犬を通常4頭産みます。私の別のメス犬は6頭産みました。知人のメス犬は8頭産んで全てを育て上げました。小春と志孝の今回の子犬は1頭だけです。メス犬が欲しかった私はこの産まれてきた子犬に大喜びです。
 紀州犬は交配後60日で子犬を産みます。それよりも遅くなることがありますが、私の経験では63日目までには産みます。ですから60日には産まれるものと思って準備することになります。紀州犬メス犬の小春の発情を知ったのは交配日その日でした。オス犬がウオーン、ウオーンと遠吠えのような泣き声を出していることと考え合わせて、発情を確認したその日に紀州犬オス犬の志孝の犬舎に小春を入れると直ぐに交配が成立したのです。小春は交配日から丁度60日で小犬を産みました。

発情を陰部の出血によって確認して14日目に交配をするのが普通です

 犬は発情を陰部の出血によって確認して14日目に交配をするのが普通です。12日目に一度交配し、14日目にもう一度交配することが通常行われております。子犬を産ませようと考える飼い主はメス犬の発情期が近づくと陰部にティシュペーパーを押し当ててその第1目の確認を注意深く行います。通常はその通りになり、交配も上手くいきます。しかし発情と出血とが連動しない犬もおります。飼い主がそれを見逃すこともあります。発情前にはメス犬の陰部が何となくふくらみを持ちますが、いつでも発情前期のような状態のメス犬もいるからそれも難しいのです。

小春の発情を確認したその日にオス犬「志孝」の小屋に小春を入れたのです

 発情の出血の発見の3日目に交配の依頼をするためにオス犬の持ち主に預けたところ、もうすでに交配日が過ぎていたという経験もしております。そのようなこともあるため、オス犬のウオーンという泣き声と小春の発情の出血を確認したその日にオス犬「志孝」の小屋に小春を入れたのです。その日に交配ができました。あるいは遅かったかな、とも思っての小春と志孝の交配でした。
 交配適正日でない場合、メス犬はオス犬にケンカを挑むこともあります。私が飼っていた紀州犬メス犬の「はっちゃん」は発情10日目にオス犬のケージに入れたところ、オス犬のお尻を噛んで出血させました。12日目にはそのオスと交配が成立したのですが、15日目には以前と同じようにオス犬に挑み掛かって受け入れません。小春の場合も交配日の3日後には志孝を完全に拒絶しました。

紀州犬は父犬になるはずの犬でも交配が済んだ後には知らぬ顔

 私の所ではそうでないメス犬が多いのですが、紀州犬は父犬になるはずの犬でも交配が済んだ後には知らぬ顔、場合によってはオス犬が近づくとうなり声をあげて襲いかかることもあります。父犬も自分の子犬に対して噛みつくことが多いのです。また母犬は子犬と分離された2カ月もすると全くの他人と同じような振る舞いをし、子犬が近づいてくると噛みつくこともあります。
 なかには父犬も母犬もずっと仲良くしていることもありますし、分かれた子犬とすぐに睦まじく遊ぶ母犬もあるいは父犬もいます。しかし、子犬のケガのことを考えたら父犬、母犬と子犬をあわせるときには十分な警戒をしなけらばなりません。このことは紀州犬を200頭以上も繁殖した大ベテランが経験を通じて語っていることでもあります。

母犬は小犬を抱かないし小犬は母犬のお腹に近寄って行かないので心配です

 2度目の子を産んだ紀州犬のメスの小春は、1頭しか生まれてこない子犬に対して出産直後随分となめ回しておりました。口にくわえて振り回したりという行動を取るのです。3頭か4頭の子犬に対処するために力を1頭だけに向けることになったためと私は解釈しました。それにしてもかなりしつこく子犬をなめ回します。頭をなめ、お尻をなめでそれはしつこいものでした。その上出産直後の2時間ほどは子犬を抱かなかったのです。私は「乳が出ていないのか、あるいは子犬が乳に吸い付く力がないのか」と思って心配しました。また乳腐れといって、母乳が乳房のなかで腐ってしまっていることがあることを聞いているののですから、左右あわせて10個ある乳房をぐいぐい絞りました。乳は出口にたまったものは黄色い色をしておりましたが、後から出てくるものは白い色でした。乳が私の手や衣服にピュピュと勢いよく飛んできます。乳はしっかり出ているのです。そのあと小犬の口を開けて母犬の乳首に吸い付かせてやりました。小犬は乳首をほおばり前足で乳房を押すようにして乳を飲みます。「小犬も大丈夫だ」ということがわかりましたが、母犬は出産後の興奮からか小犬を抱いてやらないのが気がかりです。小犬が母犬の背中に居たりして、乳房に吸い付いていないのが大変に気がかりです。「これは大丈夫だろうか」と私は大いに気がかりです。何度も何度もケージのなかを覗くのですが、母犬は小犬を抱かないし、小犬は母犬のお腹に近寄っていきません。大いに心配です。

夜になると小犬は母親の小春のお腹にくるまれ乳首に吸い付きました、一安心です

 午後になると母犬は小犬をお腹に抱えて抱きしめるようになりました。夕方6時には小春を散歩に連れだしました。出産直後の興奮は収まったようですが、4匹も育てるのが普通の所を1匹だけということもあって、力を持て余しているのかも想像して、駆け足で6km走らせました。出産前夜にも同じように駆け足で6km走ったのです。小春の体は妊婦の様子ではなかったのから、小春は自分から走りたがってもいました。
 夕方の散歩の後は小春は小犬を落ち着いて抱くようになりました。散歩のとき、小春は胎盤を消化したときに出てくる柔らかいねばっとした黒ずんだ糞をしました。この糞は緑がかっていることもありますが、小春の糞は茶褐色でした。ドッグフードの糞とは分離されて出てきた胎盤を食べた後の糞はそのようなものでした。量は少しでしたから1頭分の胎盤はこの程度なのだろうと思いました。朝、私が小犬を確認したときにはすでに胎盤を食べていたのです。胎盤は小犬1頭ごとに出てきます。小犬は透き通った胎膜に包まれて出てきます。それと胎盤がくっついているのです。母犬は胎盤をなめて破り、濡れた小犬の体をなめて乾かしてやります。そうしているうちに次の小犬が産まれてくるのです。小春は次の小犬に振り向けるべき力を1頭だけ産まれた小犬に投入していたのだろうと思っております。それはしつこいなめ回しであり、小犬の皮膚がはげるのではないかと心配されるほどのものでした。夜には落ち着いて小犬を抱くようになり、小犬は母親の小春のお腹にくるまれ乳首に吸い付いております。これで一安心です。

母犬の小春は手と足と頭でくるむようにして小犬を抱きかかえます

 誕生二日目を迎えた紀州犬の母と子は元気です。翌朝にもこの状態は変わりがありませんでした。これで安心はさらに深まります。朝、小春を排泄のために外へ出してやりました。向かいの畑の隅で尿だけを十分した小春は急いで家に帰りたがります。玄関から居間に向かうと小犬のケージに一目散に飛んでいきます。小犬のケージには蓋がしてありましたので小春はケージの回りをぐるぐる回って、ケージを前足でがりがりとかきむしって中に入ろうとします。母犬の小春は手と足と頭でくるむようにして小犬を抱きかかえます。小犬はその中にくるまって乳首に無我夢中で吸い付きます。母親の慈しみと小犬の生きようとする生命力を垣間見ることができるのです。

産後初めての小春の食事は湯通しした鳥のレバーとヨーグルト

 胎盤を食べた出産当日は食事を与えないことにしております。胎盤だけで十分なようです。出産直後に食事を大量にやったときには母犬は下痢をしました。出産後の24時間あるいは日が変わる12時間は食事を与えないのです。これはよく言われることであり、私も食事をやって下痢を起こさせるという失敗をしているので、出産直後には食事をやりません。胎盤を食べた便の排泄を確認してから食事を与えることが失敗を防ぐこことにつながるようです。母犬の食事は育児の途中は小犬と同様の濃厚食にしたほうが結果がよいと思われます。しかし、これは母犬の体質との相談ということでもあるでしょう。育児中の母犬にはカルシュウム分たっぷりの食事を与えるといいでしょう。母犬の体は授乳でカルシュウム分が不足しがちです。それを補う意味で普段より多い目のカルシュウム分を与えるのです。そてとても消化しきれないのでは意味がありませんから、加減をよく見てということになるでしょう。私は母犬の骨髄からカルシュウム分がなくなったため、育児途中の母犬を2週間の入院させ、点滴で栄養補給させた経験があります。柴犬のことでした。
 育児中の母犬の食事は下痢をしない限りやりすぎるということはないようです。カルシュウム分は副食として牛乳を与えるとか、カルシュウムの錠剤を飲ませるとかして対応するといいでしょう。これとても程度を加減しながらということです。
 朝の散歩の後小春にヨーグルトを出してやるとコーヒーコップの半分ほどを食べました。その後、鳥のレバーを熱湯に通してコーヒーコップ1杯分やりました。湯がいたあとそれを冷ましてケージに入れておいたらいつの間にか飲み干しておりました。

産後9時間後の小犬の体重は210g、軽すぎて心配です

 小春が産んだ小犬の体重を出産直後には計量できませんでしたが、午後6時の計量では210gでした。メスの小犬ではあってもこれは軽すぎます。360g程度で産まれる小犬もいますから、かなりの計量です。小犬が6頭産まれたときには出産直後の計量で190gのメス犬がいましたが、10日後には体重の増加を見ないままで最後となりました。今回の小春の小犬はこの点が気がかりです。
 紀州犬の小犬は生後2日目、母犬小春は手と足と頭でくるむようにして小犬を抱きかかえており、小犬は母犬の乳首に吸い付いております。小春はケージを私が覗くとこちらをじっと見つめます。母犬の慈しみの目で小犬を見つめた目を、少しの警戒感をにじませて私に向けるのです。

小春も志孝も和歌山からやってきた紀州犬です

 小春は普通の紀州犬です。武蔵号というオス犬と一緒に和歌山から関東にやってきた犬です。武蔵号は有名になりましたが、小春は機会に恵まれずに一度の出産を経験し、今回が2度目の出産でした。父犬の志孝も和歌山からきた犬です。展覧会出場の機会がなくて名を売り出しておりません。普通の犬ですが私は良い犬であると思っております。小犬も普通の紀州犬のメス犬として成長することを願っております。小犬には手もあり、足もあり、尾もあり、耳もあります。目はまだ開きません。紀州犬の白い小犬でメスです。この小犬には狼そうはありませんでした。

紀州犬と狼そう

 紀州犬を含めて犬の後ろ足の指は4本です。前足には4本の指のほかに少し上に1本爪が付いております。犬の後ろ足の1本の指は退化してなくなっているのです。ところが紀州犬には後ろ足の指の少し上の所にもう1本指が付いていることがあります。これを狼そうといいます。オオカミ爪という言い方もあります。狼そうが生えている紀州犬の割合は、私の小犬を産ませた経験では5頭に1頭ほどです。10頭に1頭かも知れません。正確には記憶しておりませんが、その程度です。10%から20%ということでしょうか。6頭産まれた小犬の2頭に狼そうがあったことがあります。5頭のうちの1頭に狼そうがあったことがあります。4頭産まれて小犬に狼そうがなかったこともあります。ある小犬の場合は狼そうの上にもう1本狼そうが生えておりました。紀州犬飼育の本にこのことが書かれていますが、同じことを私の小犬でも経験しました。出産後2日目に狼そうを小さなハサミで外したのですが、後ろ足の指を数えますとまだ5本残っているのです。狼そうの上にもう1本狼そうが生えていてそれを外したのでした。

紀州犬メスの小春と紀州犬大きさ

 産まれた小春と志孝の小犬に普通の紀州犬になればいいと思っております。
 紀州犬のメス犬はオス犬に比べてずっと小振りなものです。体高(首の後ろの背中の部分までの高さ)比較でいいますと紀州犬オス犬は52cmが標準であるのに対して、メス犬は49cmです。オス犬は52cm程度まで育つ犬が多いのですが、メス犬は標準とされている49cmに達するものは多くはありません。46cmから48cm程度にとどまるものが多いのです。46cmに達しないメス犬は少なくありません。オス犬は49cmには何とか達するものですが、52cmになれば万歳と喜ぶべき状況にあります。私が飼っている紀州犬のメスで体高51cmというのがいます。このくらい体長があって胴が長いと見事なメス犬です。オス犬とメス犬の中間という感じの歩様と走りをします。気持ちのいい走りっぷりです。 小春の体高は47.5cmcです。大きくはないが普通の体高の白毛の紀州犬メス犬です。年齢は2歳6カ月です。走るのが好きです。散歩も好きです。動きも軽快です。鉄系といわれる血筋の犬であり、私が飼っていた煙樹の鉄の血を引いております。日高の鉄という犬の血が濃く、孫市という犬の血も少し入っております。腰の部分がうんと細くくびれております。こうした腰の部分のくびれは紀州犬メス犬の特徴でもあります。体重は平時で16kgほどです。

紀州犬の背丈と柴犬の背丈の比較

 志孝は体高53cmの紀州犬オス犬です。紀州犬のオスの標準体高より1cm高いのです。前後3cmの体高の幅が設けられているのが紀州犬です。オスもメスも同じです。柴犬場合はオスの標準体高が39.5cm、メスが36.5cmです。オス・メスとも上下に1.5cmの幅が設けられています。日本犬保存会の体高に関する規定です。志孝も走るのが好きです。体重は21kgです。ダイエットすると18kg台になります。バランスの良いのは20.5kgのようです。志孝の前胸はうんと下に降りており、腰部は十分にくびれております。横幅はさほどありませんが胸は船のように下に降りており、十分な深さを持っております。このぐらい胸の深い犬は多くはありません。前述のように志孝も和歌山から関東にやってきた犬でです。生後6カ月で見込まれた関東にやってきた犬ですが、展覧会などでので活躍の機会を多く持つことができないでおりました。志孝は小春との間で3頭のオスの小犬をつくっており、その3頭とも良い出来の犬でした。今回の小犬は待望のメス犬です。

白い紀州犬と有色紀州犬

 紀州犬は中型の日本犬で白い犬です。色の着いた有色犬もおります。50頭に1頭あるいは100頭に1頭の割合で繁殖されております。紀州犬の年間登録件数は日本犬保存会で1200頭ほどであるようです。紀州の有色犬は多く見積もっての120頭、少なく見積もると12頭になりますが、この3倍は産まれているでしょう。現に私も何頭か繁殖しましたから。50頭から120頭というのが年間に登録される有色紀州犬です。オス・メスの性別で見るとその半分になります。

紀州犬より柴犬が小さく飼い安くもあります

 白い犬の代表となっている中型日本犬の紀州犬です。白いから可愛いというのが通り相場ですが、紀州犬は小型日本犬の柴犬より遙かに大きな体をした犬です。紀州犬メスは驚くほどの大きさではありませんが、オスは大きいと思っていた方がよいでしょう。柴犬と紀州犬は体格で考えたら別物です。そして紀州犬のオスとメスの間でも同じことが言えます。紀州犬のオスとメスの体格差は相当なものです。性徴差という言い方もされます。体格、表情にしても性徴差があります。メスはメスらしく、オスはオスらしくということで、オスの特徴を備えた紀州犬は手応え十分です。メスらしい紀州犬はオスに比べると遙かに扱いやすいのです。しかし、柴犬と紀州犬を日本犬だからいって飼うという視点に立った場合には同列に扱うことはできないものです。日本犬保存会への年間の登録数でも柴犬が数万頭規模であるのに対して紀州犬は2千頭に満たないのはこのことを数字の上から物語っていると言っていいでしょう。

「犬を飼うなら紀州犬、紀州犬は男の伴侶」と近藤啓太郎さん

 作家の近藤啓太郎さんは大の紀州犬好きですから「犬を飼うなら」「日本犬だ。日本犬の中でも、特に紀州犬が私の好みにかなっている」と述べている。また「紀州犬は一見、素朴で見栄えはしない。が、飼ってみればわかることだが、紀州犬ほどかん咸に富みながら良性で手がかからず、野趣に満ちた味わい深い犬は、他に例がないのではなかろうか」とも。また「紀州犬こそは男の伴侶」ということで「私は柴犬の歩容が好きになれない。柴犬の歩容は、小型らしく小股に軽快に歩くものとされている。いわゆる、チョコチョコ走りであって、私は軽快にのびのびとした中型犬の歩容が好きである」とも述べている。

「犬の軽快な歩容を見ては深く頷き、素朴なたたずまいを眺めては悦に入る」

 さらに日本犬のこのとに関して次のように言葉で、日本犬を飼う楽しみ、そして日本犬の味わい深さを表現している。「私は三拍子揃った方だが犬のこととなると、もう酒も麻雀も銀座の女も全く要がなくなってしまう。不精者の私が大活躍して所用をすまし、両国駅にかけつけて鴨川行の気動車に乗る。家へ帰ると、すぐに犬舎に行き、尻尾を千切れるように振って喜ぶ犬を眺めて、ひと息つき、今度は部屋に上がって、子供に命じて1頭ずつ犬を庭に放す。そして私は犬の軽快な歩容を見てはひとり深く頷き、素朴なたたずまいを眺めては目を細めて悦に入る。はたの者から見れば馬鹿馬鹿しい限りなのであろうが、私にとってはこれが無上の愉しみなのだから、どうにもいたし方ない」

有色紀州犬とぬた毛の犬

 これらの言葉は『ぬた毛の犬』に収められている。ぬた毛の犬とは有色紀州犬で、泥が乾いた後の色という言われ方もある。近藤啓太郎さんは「光線のあたり具合によって淡い青紫色に見えて、実に美しかった」「一陣の強風が吹いて、ヒチの背の毛が逆立つようになったとき、その青紫色と裏毛の白との対比がさらにまた美しかった。私はいまだにまだその美しさが目に残っていて忘れられない」と述べています。

戦前の紀州犬は、八割が有色で、白色は二割に過ぎなかった

 近藤啓太郎さんはその本の中で「戦前の紀州犬は、八割が有色で、白色は二割に過ぎなかった。有色とは、赤、黒、胡麻などをいうのであるが、紀州犬の本場と言われた熊野地方など、そのほとんどが有色犬であった。白犬は大内山、日高、有田地方に多かったが、紀州犬全体としては二割程度にすぎなかったのである」「さて戦後まで生きの残った猪犬の名を挙げると、那智の「市」、大内山の「伊勢白」、熊野の「三山」であって、これらはみな白毛であった」「猪犬には白が多かったかというとそうではなかった。戦後の生き残りがいずれも白たったということは、単なる偶然である」「ところで戦後、有色犬は一頭も残っていなかったかというと、そうではない。御坊に「熊市」という胡麻毛の牡がいた。熊市は体形はすぐれていたのだが、顔貌に難があった。額には皺が寄り、口唇に締まりがなく、しかもその欠点が遺伝しやすかった。遺伝の悪い熊市を交配に選ぶ牝犬の所有者は追々と少なくなると同時に、有色犬の繁殖は影をひそめた」と、戦後の紀州犬に白色が多くなった経緯を語っている。

有色の紀州犬は百頭に一頭くらいはいる

 近藤啓太郎さんは「現在、有色の紀州犬が一頭もいないわけではなかった。百頭に一頭くらいはいるのだが、良いものはきわめて少ない。何しろ。戦後の基礎犬が顔貌に難色著しい熊市なので、三十年後の今日になっても、その欠点を遺伝しているものが、有色犬には多いのである」とも述べながら、「今日、ぬた毛の犬を求めても、それは絶望に近い。が、絶望ではないのである」として、ぬた毛の犬の繁殖に夢を託したのです。そして「ぬた毛の優秀な紀州犬の作出が、私の手によって成功するのはいつのことか。十年では無理であろう」とも述べています。

私はぬた毛の犬の夢を見つづけていられるだけ幸福なのかも知れない

 ぬた毛の毛色をどのように解釈するかというと微妙な部分が多いのですが、それを灰胡麻とするならそれに近い犬はできております。私の友人が灰胡麻のメスを飼っております。赤毛の全くない灰色の毛をもち、日本犬に特有の裏毛の白とのコントラストであります。そのメス犬は二歳前ですが年齢を重ねるごとに灰色はさらに白に近づいていくことでしょうから、その毛色はぬた毛と言えなくもありません。紀州犬は有色犬の繁殖が少し盛り返しており、その意味で面白みが増しています。近藤啓太郎さんは亡くなられましたが「現在、五十八歳の私が生きているあいだに成功すれば、おめでたい限りなのかも知れない。いや、生きている間に成功しないにしても、私はぬた毛の犬の夢を見つづけていられるだけ、幸福なのかも知れなかった」と言う言葉で「ぬた毛の犬」の文章を締めています。

母と子は相変わらず仲睦まじく生命を最大限に輝かせております

 小犬を育てるのは母犬です。飼い主がそっと手を添えてやるのが犬の子育てです。小春は出産当日まで6kmのランニングを平気な顔をしてこなし、腹を大きくしないまま小犬を産みました。小犬は元気ですが小振りです。1頭だけ産まれた小犬は母犬の愛を一身に受けております。乳も飲み放題です。誕生2日目の午後3時の計量では体重は5gだけ増えて215gになっておりました。体重増加が小犬の健康のバロメーターですから私の心配事はなくなりません。母と子は相変わらず仲睦まじく生命を最大限に輝かせております。
 小犬が産まれる2日ほど前に東京の桜が咲きましたが、私の住まいは誕生翌日にも霜がおりました。小犬が産まれたので私は灯油を180リッター買いました。小犬が母犬から離れても凍えないようにするためです。居間にいる親子は暖房の心配だけはしなくて済みそうです。私の方は小さすぎる小犬が育つかどうか心配でなりません。排泄に出ると直ぐに小犬の所に帰りたがるようななった産後2日目の小春です。小春は小犬を私から取り上げるようにくわえてケージの奥に連れて行き、そこで体を丸めて小犬を抱きかかえるのです。小犬はクーン、グー、ピーと言って母親にしがみつき、乳を吸う音をキューキューと立てるのです。

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