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  since 7/7/2002

私の履歴書 齊藤勝夫(第18回計量賞受賞者、元千葉県計量検定所長、元流山市助役、現千葉県計量協会・計量士会会長)                 

03年、私が千葉県計量協会長として取り組んだ事業
懸案の関東甲信越計量協会・計量士会の協議会の合同開催に漕ぎつける

第3編 「天の時」「地の利」「人の和」

もう一つ別の力が

 事後処理案件の扱いに入る前に、どうしても申したいことがある。それは歴史と伝統のある関東甲信越地区の計量協会と計量士会のそれぞれの連絡協議会は別個に長年にわたって開催してきていたが、中央計量三団体が統合して(社)日本計量振興協会に再生されたことを転機に、合同で一緒にやってはという機運がたかまっていた。たまたま、協会側のブロックの10年に1回の当番が千葉県に回ってきた平成15年の1年前、私が24年振りに計量界に帰り、計量士会と計量協会の双方の会長を仰せつかった。頃は良しとの判断が正に心あるブロック内の多くの実力者の古参会長さんたちが、新参会長に親しみを込めての「お帰り、齊藤さん。良いとき帰ってきた。来年千葉県だ。両方一緒にやってくれ。やることに意義があるんだ」との強い口調が忘れられない。「まかせるぞ」を言外に秘めた思いやりが滲み出ている言葉に素直に従い、我ながら全力投球して、二団体協議会の合同開催に漕ぎつけ成就させていただいた。このことは多くの先輩、同僚、仲間、職域の責任者等の方々の、歴史をつくる力をこれまで長々と実名をもって、時には克明に述べ綴って参りましたが、自力や他力のみならずもう一つ別の力というのか、めぐり合わせというのか、はたまたこれを運命というのか、いやいやむしろ好運というべだと自ら思っていることなのである。また、03年、私が千葉県計量協会長として取りくんだ事業の内の本協議会の当日、会議の終わったところまでの記述の総括にもふれてみたい。

「天の時」に恵まれる

 と申すことは、まず一つには、「タイミングの良さ」そのものである。とある方からのたっての要請により「私の履歴書」という命題を与えられて寄稿して掲載された書き出し部分にも記述したとおり、開催前年の平成14年(長野県が協会当番)7月3日に協会理事会に、千葉県計量協会長として対外的初仕事として、また計量界に戻った証しとして出席したとき、何の予断もないところに時のブロックの大御所会長茨城県岩淵会長が開口一番「来年は千葉県が当番だ。計量士会の会長もやっている。両方の会長をやっている。千載一遇のチャンスだ。合同でやってくれ」。一瞬、逡巡したものの「君子豹変するんですか」「その通り」。やんぬるかな「分かりました。豹変しましょう」と合同で開催すべき運命をこの時背負った。この時こそ、今にしておもえば最良のタイミングそのものであった。直ちに行動をおこせた。長野県当番の協会ブロック連絡協議会に合同開催の提案議題(千葉県提案)が間に合い、機関決定が土田会長のはからいでなされた。
 計量士会側は茨城県のはからいで当然ながら機関決定がなされたことはいうまでもない。若しもあの時、岩淵徳太郎会長が下された天の声がなかったならば、とてもとても当番県として取るべき手段、方法、段取り、企画、準備、策略が限定され、万全を期すことが出来得なかったことは明々白々である。しかも両方の会長をしていたからこそ二団体の意思の疎通が柔らかにして、かつ、柔軟に、さらに加えて速戦即決がなし得た。
 有り難やこれこそ「天の時」といわずして、なんというべきか、我こそ、この時を得て幸いなり。なんと好運「天の時」に恵まれた。

「地の利」にも恵まれた

 次に二つには、当番が千葉県という位置が奇しくも良かった。
 二団体の開催準備協議の関係者の集まりが東京都計量協会のはからいを得て、常に東京都計量検定所長様のご配慮で会議室を使わせていただけたことである。開催を呼びかける側も集まる側も分かり易く便利である。お願いにかけ廻る関係官公庁や諸団体の大半は東京都内や筑波市であり、つくづくと千葉県はなんと好運「地の利」に恵まれた。多くの声を集約する上でも。
 次に三つには、前述のとおり当番を背負った時、私を取り巻く二団体合同開催に関係する中央・地方の方々所謂人脈は偶然にも、頃も時も良し、加えて人の配置さらに良し。
 事例を挙げれば、内の千葉県計量協会では、構成する8団体の会長が殆ど30数年来の旧知の親友と言っても過言でない以心伝心の仲で、とても帰り新参と遇される程のものでなく、平成11年春の私の叙勲に際し、計量協会あげて祝賀会を盛大にやって頂いたときから、もう昔の戦友であり、計量一家の阿吽の呼吸で過ごす仲間一族で通せる間柄であり、全く遠慮知らずの気の許せるファミリーがなによりも幸運そのもので、掛け替えのない宝であった。
 一方、外に向かっての人脈は、関東甲信越ブロックの協会長の方々で、24年振りの再会で懐かしい顔の出迎えに、ほっとする安住感を与えて下さって、正に和に溶け込ませていただいた。これまた思わぬ出会いの幸せの人間ドラマの演出である。
 さらに、計量士会側の人脈については、既に書き出しの編のところで登場している白石会長を始め、元計量検定所長の経験者の多くの健在振りの再会、懐かしいの一言、多くの言葉はいらなかった。
 難行を予想する局面も杞憂に過ぎなかった。これ程の人脈の布陣は思わぬ幸いであった。

好運な、時と人の配在−これぞ「人の和」

 最大の難関と心に秘めて期していた来賓の内、中央関係の経済産業省計量行政室長さんの合同協議会への出席要請についてであったが、時と人の配在が絶妙に良かった。幸運そのものは、ここにもあった。同郷同窓で知事選挙の仲間の桜田義孝政務官が本省のトップクラスにおられた。佐々木正室長さんという話のわかる柔かな温和な方に、政務官から直々頼んでくれてOKをとってくれた。それを心良く現職の醍醐辰也室長さんが引継いでいただき、またとない当番の勲章となり幸せ一杯になった。それを追うようにして全国世話人東京都計量検定所長の萩原まき子様の温情出席をいただく。好運とは、このことだ。
 そこかしこに、良き人を得た。もう理屈ではない。何かが守ってくれている。そうだ。これが世にいう「人の和」であり、一番大事な「人の和」に私は、千葉県は、間違いなく恵まれたのだ。それにひきかえ、(社)日本計量振興協会の誕生のとき、「人の和」を考えていたのであろうか。首をかしげたくなり、寂しく感じるのは私一人だけだろうか。
 なにはともあれ、なんと好運にも「天の時」「地の利」「人の和」に恵まれた。これが、すべてである、と実感。

不思議な廻りあわせ

 ここで、ふと脳裏を掠め思い出す。今ここで書き綴っているのは、「私の履歴書」の欄の窓である。今を去ること25年前、昭和53年6月12日、所は東京都市ヶ谷の私学会館、第18回計量賞の受賞に浴した席上、文字通り、全国から著名な計量人が集まり、立錐の余地がない盛況の会場の皆様方に向かって、思いをこめた謝辞の中で自らの計量の歩みは、「天の時」「地の利」「人の和」に恵まれたからであることを事例をあげて述べた記憶が甦る。不思議な廻りあわせである。視点は違っても歴史は繰り返す。私の履歴書が物語っている。平成15年度関東甲信越地区の計量の歴史が静かに、しかも、確実に前に向かい進み去り、やがて平成16年度が新しく迫り来る。
                                 
 次回からは、事後処理案件の扱いとその進行管理と成果について述べ、その後、舞台をいよいよ自らの計量人生の歩みの一節に移し、回顧してみたい。

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