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  since 7/7/2002

私の履歴書 齊藤勝夫(第18回計量賞受賞者、元千葉県計量検定所長、元流山市助役、現千葉県計量協会・計量士会会長)                 

03年、私が千葉県計量協会長として取り組んだ事業
懸案の関東甲信越計量協会・計量士会の協議会の合同開催に漕ぎつける

第2編 歴史をつくる力

退路を断って事に望む

 旧友の話に入る前に、二人を結びつけるに至った今度の2団体結合の歴史の幕を開けた人がいる。この方がいなければ今日の姿はない。そして、その人の名は、昨年度のブロック計量協会連絡協議会の当番を引き受けられて、平成14年10月3日の協議会の議長を采配された長野県計量連合会の土田泰秀会長その人である。
 忘れもしない。千葉県が当番で、しかも7月3日のブロックの理事会で合同開催を自ら豹変して引き受けた。千葉県2団体の名誉と誇りにかけて引き受けた以上は失敗は許されない。私は自ら持っている知識と人後に落ちない豊富な経験を呼び起こし、緻密に頭脳を働かせ、試行錯誤という常例の熟語の文言があるけれど、錯誤だけは絶対にしない、許されるはずがないと心に決め、こうして退路を断って決断をしてきたのだ。

検討委員会設置を提案

 そこで当日、当然ながら千葉県提案の議題を出し、「計量業界全体の発展を期するため、ブロック会議(計量協会・計量士会)の合同開催について、来年は、同日、同場所で同時開催・同時併催を行うことを目指し、しかるべき委員会を設置して開催の努力を払ってはいかが」と提案した。この提案は10都県の総意を見極め、決意と一心同体に導くべく提案、協議会場で自らブロック会議の持ち方の事例を挙げつつ、提案理由を説明し、結びに、当番県を入れた検討委員会を設けて本年度内(翌年の3月まで)に協議を始めることが望ましいと訴えた。これは平成14年度の当番県長野県の責任権限の行使期間を考慮して遠慮がちに発言したものである。土田泰秀議長は、本題の趣旨に賛否の意見を求め、見定めころは良しというタイミングで、提案通りと裁断された。

4月1日までには立ち上げ必要(1)

 その瞬間、次のような考えが頭を駈けめぐる。明年の3月頃では遅い。2団体をまとめなくてはならない。無手勝流では駄目だ。今すでに10月に入っている。明けて平成15年4月からは、いよいよ千葉県の番だ。4月1日には立ち上がっている必要がある。経験に照らすと年内に2団体の代表者による合同開催の名を打った委員会なり協議会なら、来年度開催が決定している千葉県が主導しても、長野県の責任圏域を侵すことにならない。

4月1日までには立ち上げ必要(2)

 とっさだった。右手を挙げ議長に向かって立ち上がっていた。「議長、できれば今年中に、12月までにしかるべき委員会を設け、しかも、発足させるよう議長の英断をもって決めて欲しい」叫ぶようにして訴えた。土田議長の頭の判断は躊躇なかった。主張通り裁断を下せられた。土田議長の千葉県にできるだけ時間を与えようとする姿勢がわかった。私は再度立ちあがり、議長に感謝の意を表した。
 あのとき「千葉県の当番になったら進めてください」と言われていれば、2団体を融合させる段取りに遅きを期し、齟齬(そご)をきたしたに相違ない。長野県計量連合会の土田泰秀会長、この人こそ2団体合同開催の道を拓いた始祖の歴史をつくった原動力だ。土田泰秀会長この人ありき、千葉県にとって幸せなことだった。

齊藤さん、分かったやろう

 この冒頭言いかけた旧友のことである。さきのような会議の決定を原動力として、「鉄は熱きときに打て」のことわざ通りのような運命的出来事があった。成否を握る男、松本への往復の列車で偶然にも行き帰りを共にした旧友の出逢いこそ、「われに勝運あり」の念を強くさせ、いよいよ私の生来の本能的猪突猛進が始まった。

 私を走らせることになるその人は、東京計量士会会長の白石清さんである。千葉県計量検定所長時代からの気の許せる博学の理論家の旧友。列車のなかとは好都合、二人だけの文字通り膝詰めでの説法である。「白石さん、茨城での計量士会の会議の模様を知ってるだろう。計量協会が合同でやろうと言えば、受けて検討委員会ですり合わせをしてもよいと茨城の皆藤会長はまとめられた。土田会長は年内に委員会を設けて協議開始に道を拓いてくれた。やる以上もう理屈抜きで成功させねばならない。この齊藤が頼むのだ。二人が手を握れば神奈川の熊さんがいる、あの熊山さんだ。よし分かった、と必ず昔のように後を押してくれる。栃木は箕輪さん、柴田さんがいる。群馬は藤田が健在だ。ましてや茨城にはあの皆藤さんだ。我々の血族じゃないか。計量士会側はまとまるよ、頼む」。
 慎重の白石さんも「齊藤さん、分かったやろう」、と口を開いた。
 彼の手を握る。もう合同連絡協議会の行方もこれで決まりだ。胸の高ぶるのを覚える。計量検定所時代に培った人脈がものをいう。人脈の生き方を覚ゆる。2団体の山は確かに「カタッコト」と音を出して動き始めた。歴史はつくられつつある。中央本線臨時列車のなかで。白石さんとの約束が初秋の中央本線の特急列車あずさ号の「カタッコト」という走行音と共鳴していると思えるのであった。

白石清さんと二人三脚

 東京計量士会会長の白石清さんこそ、拓きかけた歴史の門扉を二人三脚で力を合わせ完全に開いた人であり、その力持ちぶりは語るまでもない。白石さんは2団体の「合同開催準備協議会」の席上、常に千葉県開催計画試案を支持し、千葉県が合同協議会を鴨川で開催するまで終始力を貸してくれた。その傍らには、あの日通の斉藤和義さん(日計振の監事)が適切に助言され、さらに動く歴史の潤滑油的存在として働いてくれ、ありがたかった。

企画設営の立案に着手

 ここまで確信できる目算が立った以上、一日も早い企画設営の立案に着手しなければならない。私の頭なかでは、長野県松本市の協議会席上での当番引き受け挨拶で述べた、「千葉県には海があり、長野県のような素晴らしい山紫水明の景勝とはいかないまでも、違った良さがあり、浦安のディズニー・シー周辺や南房州等いくつかなる適地を選びたい」旨を表明したことが繰り返し巡っていた。
 私は主力を鴨川に絞り、浦安のホテル群と勝浦周辺も視野に入れ、身内の最実力者の自重計部会長で副会長の佐藤光央サトウ自動車工業(株)社長に構想を打ち明けて相談に乗ってもらうことにした。協議会の会場選びと協議会の上中下三層建(1本会議の持ち方と運営一括集中方式か分科会方式の部、2講演の位置づけと中身は一般教養向けか経営講座かサービス論かどれにすべきかの部、3研修見学のあり方とそのコースの部、4親睦事業の採否とそのコースの部)のスケルトンを協議した。
 何故佐藤副会長に広く求めたかは、千葉県法人倫理会の会長を長くやられ、多くの各種の大会議、中小会議を主催し、熟知の達人で、経営者として若くして千葉市青年会議所理事長を勤めて、わんさと人材人脈を豊富に持っている実力者だからである。しかも、私が流山市助役時代に法人倫理会の総会に来賓として参列し、その実力者振りが目に焼き付いている正に千葉県計量協会が誇る宝だからである。

事は急げ、また論より証拠

 一方、計量検定所長時代から公私両面で隔意なく諸事万端相談できる共通の永年の親友であり恩人でもある恵藤計器(株)の恵藤太郎社長さん(会長代行で販売部会長)、さらに御実弟の副社長の大野健蔵さん(前計量士会長で現顧問)、大御所の楠本行男さん((株)竹中製作所副社長で計量工業会長)、どう理屈を付けても頭の上がらない掛け替えのない社会的地位に基づく人生の有力経験者のそれぞれの力と人脈の持ち主のこの3人には大いにご協力をいただいた。私の案を踏み台にして試案作成をお願いした。
 事は急げ、また論より証拠ということで、「現地を見てそこで決めよう」という呼びかけに3人が直ちに行動を起こしてくれた。平成14年11月11日(月)に長野県の協議会の事業報告と収支見込決算と議事録の第一次原案提示のためのブロックの理事会が開かれる。そのときに千葉県の開催計画を出そうということで衆議一決、11月8日(金)鴨川グランドホテルに12時集合した。参加者は佐藤、楠本、恵藤の御3人は言うまでもない。

現地視察会

 私の提案とお願いで、県当局から計量検定所の時田孝一企画啓発課長(鴨川グランドホテル千葉営業所長を熟知)がご出席、さらに求めに応じ東京都計量協会(ブロック会長)から森川正彦専務理事も駆けつけてくれた。大会議場、分科会場、懇親会場、その他の諸設備等見聞し、明年4月からは温泉法に基づく温泉付大浴場になる湯と宴会用メニューの試食をしたことは言うまでもない。11月8日を前に、私はホテル側の責任者を呼び、浦安ホテル群や勝浦のホテルの現況を聴取しておくことにも抜け目もなく気配りした。

10月第1週の開催

 千葉県の実施期日は、長野県と同じ10月第1週の木・金とする。理由は第一に中秋の晴天が続く。台風が統計的には少なくなる。第二に覚え易い。第三に11月1日の計量記念日の約1カ月前であり、来賓も出席しやすい季節だ。都県・市は9月議会の開会期間にからむ可能性があることが懸念されるが、第四には計量士会側の従来の協議会が開催されている9月末に近いとの説明に即決。この日でホテルを仮予約。予想参加人員200名。コンベンション大会議室、分科会会場3室も押さえた。

講演会講師の選定

 講演の講師と演題を決める。佐藤社長に話を向けると、「見えないサービスをうまくつかみ、マニュアルにしつつ社員教育をし、お客の不平不満を題在化させ、アクセス的に劣るゴルフクラブのお客に細かいところに手の届くサービスをし、リピートに結びつけているゴルフ場総支配人の話を聞き、自分の会社にどう取り入れたらよいかのヒントが得られる人がいる」という答えが返ってきた。
 私は直感した。協会のオーナーの方々も計量士のみなさんも、相手にお客さんがいる。どう心をつかみ、イメージアップにつなげるか立場は違ってもお客を大事にする共通項がある。「佐藤さん、講師にはその方がいい。演題は、「真のサービス」でどうだろう」と言うと、佐藤さんは即座に「会長いいね。何故良いかは、会議の翌日この鴨川から50分かかるが、その人が総支配人をしているゴルフ場で愛好者がその話を聞いて、実況見聞もできるからだ。ちょうど12月11日、われわれの仲間30人ほどがその人から聞く経営講座が午前11時から2時間(本人が了とする時間で短くもなし、長くもなし)常陽銀行千葉支店で開かれるので、会長それを聞いて、その反応から決めれば一番良いよ」ということに。話は早い、その講師を候補の一番に内定する。問題はご本人が果たして受けてくれるかどうかだ。

これは絶対大丈夫と確信

 講師予定者の講演を聴いてこれは絶対大丈夫と確信、12月11日早くもご本人の承諾を、講演料も決めないで得た。佐藤さんの顔と常日頃の人と人との信頼関係であることは言うまでもない。その日、明年10月2日(木)午後4時から曲げて持ち時間1時間30分でお願いした。もちろん翌日、3日のプレーも20人前後でお願いしたところ、心地よいOKがきた。かくて講演者は本決まりとなった。その人の名は、(株)グリーンクラブ千葉夷隅ゴルフクラブ取締役総支配人加藤重正先生である。一年も前に本人を意中の人とした。

名所見学を5千円で

 あとの名所見学は会長にまかせてもらう。金と時間のかねあいで決めることにする。昨年の松本市での開催においては、秋のもっとも良い季節に絶景の上高地を訪れることができた。見学の会費一万円というのは地元負担を含むサービス的会費である。私たち千葉県も精一杯の企画を立てて実行に移さねばならない。仁衛門島→鴨川シーワールド→鯛の浦清澄寺(誕生寺)→昼食と結構金がかかるが5千円以上は無理。それを承知で5千円でやろう。下見のその日、実力者の佐藤、恵藤、楠本の御三人が笑顔で了承してくれた。

一気呵成に突き進もう

 ここまで、正にとんとん拍子とは、このことだ。あとは、一刻も早く完璧に近い開催計画を会長一人の責任で立案作成して11月11日のブロック理事会に当番県案として出し、2団体代表者会議に近い準備協議会に場を移し、一気呵成に突き進むだけだ。反論あるならやってみな、そう言う人がいたらやってみ、千葉県は不退転を決めているのだ。
 11月11日のブロック連絡協議会理事会で所定の長野県の案件を聞き、ご配慮とご苦労の産物に一言もなし。用意された文書は議事録というより速記録そのものだった。随所に分かりやすく発言者等の顔写真を入れ、正式印刷段階ではカラー写真付きとのこと驚くばかりの丁重さだ。次回千葉県の開催計画は実施計画に近い形式内容で出し、説明した。
 協議会設営企画は当番県の専管事項であるにも拘わらず、ブロック会則上は、すべて会長が招集し、場所および準備は理事会の承認を要することになっている。何たることか。誰が責任を取るのか。形式的には承認を取ったが、協議会当日開催している事前の理事会は千葉県は絶対にやらないことにする。全く不必要なのだから。やらない宣言をその席上で改めてした。

来賓の雛壇席をなくしたい

 長野県で決めた検討委員会の構成を決めなければならない。計量士会側は代表者会議しかない。これでくることは必定(自ら千葉県計量士会会長であるので、計量士連絡会議の会則を熟知している)、協会側の委員候補を本年長野県と翌年千葉県の当番県と計量士会個別連絡協議会時代の当番の本年(茨城県)・翌年(新潟県)に、さらに千葉県提案として、協会時代当番のとき専門部会とパネルディスカッションのミックスで効果的実績を残された神奈川県を推薦した。さらに東京都が加わった。
 あとは、合同開催準備協議会の発足時期だ。計量士会側は当番の茨城県に事後処理案件を頼む形式で代表者会議の招集をしてもらうしかない。(社)茨城県計量協会岩淵さんに篤と話をし、12月13日いよいよ開催にこぎつけた。今にして回顧すると協会側も10都県の代表者全部が準備協議会に臨むべきだった。12月13日千葉県試案をもとに協議し、名称もA・B・Cの三案から常識的にA案が採用された。
 両団体名並列併記に冠にその年度を掲げるもので、計量士会側から試案の計量協会・計量士合同連絡協議会とあるのを、計量士会にして欲しいとの要望で直した。千葉県が万難を排してやろうとした分科会方式は時宣尚早で、次年度そこまで準備する人材確保が難しいとの理由から従来方式とした。来賓等の雛壇をなくし、真の来賓は行政機関とし、峻別するよう努力をする当番県の姿勢を是とした。結果は、会場にステージあり実現しなくて誠に残念である。

議題ない協議会なら開催しない

 私は特に主張した。「2団体合同協議会には、多くの議題を出して欲しい。少な過ぎるようなら千葉県は合同協議会をやらない」と。当然の話だ。「議題がないなら協議会を開催する必要性がないからだ。貴重な時間と金を浪費してはならない。肝に銘じて欲しい。次回の準備協議会には仮の提案議題を持参して欲しい」ともお願いをした。
千葉県の提案予想議題2つを紹介した。それを引き水にするためだった。次回は1月31日とした。

下手に出るにも限度が

 年も明け1月31日第2回の合同開催準備協議会を開催し、次々と千葉県案の説明に耳を傾け、議論し決めていった。東京の白石会長に斉藤和義さん、神奈川の西岳敏樹さん、横須賀さん、栃木の箕輪さん、柴田さん、新潟の捧さん、長野の丸田さん、埼玉の木下さん、茨城の井上さん等よくぞ力を貸してくれた。みんなで歴史をつくっていく。ただし、ただの一回、ある件について慎重論が出た。言うことは尤もだ。しかし、この期に及んで振り出しに戻そうということか、去年2団体が合同で開催する機関決定しているのだ。 第1回目と第2回目とも開催準備協議会の議事進行のため座長を選び進めてきた。必然的に次期当番県の2団体双方の会長をしている私に選任されて懸命に右顧左眄しつつまとめていた。憤然とした私は「そんなに言うなら座長をおりる。誰か座長になって好きなようにやってみたらよいだろう」とまくしたてた。下手に出ていても、ものには限度がある、これ以上下ったらすべて失う。一瞬。会場の雰囲気がしゅんとした。
 「そのままやってほしい」の声が出た。この1回だけの波があったが、あと総て円満に事が進んだ。
 特筆すべき歴史的出来事がありとは言うものの、我々2団体の行く末にかかわる、難題を一人の知恵者で一挙に吹き飛ばし見事な一撃であった。

当番順序は柴田考案方式で

 誰であれ、千葉県の次はどこが当番するか、またその次は、と万人納得する方式が客観的、論理的に成り立っていなければならない。
 第1回目からの最大の命題であり。議論し始めたとき、栃木県の我々の現役時代の同僚である元計量検定所長の柴田靖夫さんが驚くべき「統合協議会開催輪番試案」と標題した表を配布された。
 説明を聞いていてこれ程まで歴史に基づく客観的な表はない。しかも一見して判別できる簡明なものだ。理由はこうだ。先ず、計量協会と計量士会が、独自で当番で行った事実を基本にとる。平成14年度をそれぞれ0と付す。協会長野0、計量士会茨城0とおく。その前の当番県は1を与える協会埼玉1、計量士会山梨1、以後過去に向かって1づつあがった数字を付す。明年15年度の千葉には9を、新潟(計量士会の単独の場合)には9を付し、計量協会に付された点数と計量士会に付された点数の合計の大きい順に並べ返ると千葉県が最大(協会9、計量士会7)16で、次が新潟11と東京11の同点、この場合足した数(2つの数字)で大きい数字を持っている方が優位として早く順番が廻るという判定。
 その結果、見事に文句の付けようのない順序配列表が並ぶ。さすがきっぱりと当番順序が柴田方式で決まって歴史が整然と刻まれる。柴田さん、あなたは知恵という力で歴史をつくり、築きあげた。永遠に残る柴田方式というその名。

来賓を迎える範囲

 当番県へ廻す負担金は従来方式・金額で当面やっていくことも決まり、来賓とは、関係団体とは、どこまで来賓か、当番県の案を説明する従前と違う考え方・扱い方だ。
 来賓は中央は4行政機関(計量行政室長、産総研計測標準研究部門長、計量教習センター長、製品評価技術基盤機構理事長)、地方は10都県計量検定所長、さらに新しく当番県管内の特定市長に峻別する。団体は7つの招聘団体とし、他は報道機関とするの説明に、ご出席の当時の神奈川県計量協会の加島淳一郎副会長「当番県の千葉県の案を尊重しよう」という鶴の一声、重みのある寡黙の判断これで決まる。加島さんの力と重みのある声はいつまでも忘れられない。

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