|戻る|ホーム|次へ

  since 7/7/2002

私の履歴書 齊藤勝夫(第18回計量賞受賞者、元千葉県計量検定所長、元流山市助役、現千葉県計量協会・計量士会会長)                 

私の歩んだ道−公務員として信念を持って

第3編 新しい夜明け、計量法の歩み

B案をベースに遂に決着

 財政課の担当者も入れての協議を経て、次年度もタキシメーター走行検査場の建物も建てることと、中に設置する基準ローラーも設置することを許されることと、計量検定所の天井走行クレーンと機械化の備品にできるだけ予算を付けることを条件に、会議室はギリギリに削られて残り、財政課長は、C案は無理なことを認め、B案をベースにして、B’案として遂に決着した。
 明年6月の計量記念日にできれば落成式を迎えられるよう、特にお願いして、財政課長査定中のB案で旧知の仲の営繕課の近藤課長補佐に実施設計を進めてもらっていたので、予算の付いた額で、B’案をB案の原形位まで戻してくれるよう内々頼んでおいた。ご本人も基礎工事を工夫して頑張ると快く遣り繰りすることを約束し、現地に日参してくれて設計図と積算書をつくりあげ、いの一番で入札執行に漕ぎつけてくれた。

少しでも良い庁舎造ろうと頼み込む

 今日の組織と違い、当時は財政課長段階で建築関係の予算が付けば、営繕課で自前で県庁の技術陣で設計施行を手がけ、依頼する方の熱意と人脈で優先的に取り上げてくれて、できるだけ依頼担当セクションの側に立って仕事を進めてくれた。近藤さんは今でも計量検定所の近くに自宅があって元気で、会うごとに40年前のお世話になったお礼とそのいきさつを話し合って懐かしくも、少々の無理も押し通してくれたよき時代だったと回顧しつつ往時を懐かしむこと、しきりである。
この営繕課の旧知の技術屋さんの話しを出したのは、必死になって少しでも良き庁舎を造ろうと、頼み込む者と任せ放しにする者では、熱の入れ方が天と地の違いがあることと、現地をつぶさに見て、周辺事情にも知恵と気配りを出してくれる、言うならば苦楽を共にしてくれることを身をもって体験したからである。

周辺地域に配慮して照明灯を設置

 話しはこうである。前述したように千葉県の計量検定所の建築用地は、旧軍隊(千葉気球連隊の将校集会所跡)用地で、当時大蔵省関東財務部の所管用地で、周辺は県営住宅に取り囲まれている場所であり、夜は、街灯もまばらで、暗い周辺地域であった。計量検定所を建て、タキシメーターの検査を始めると騒音問題が表面化することを内心では気にしていたので、財政課長折衝時に、検定所の屋上に二基の照明灯を付け、一基は所内敷地に、一基は県営住宅用の道路全面に向けて、しかも、当時としては、朝日が上がる頃消灯し、夕方暗くなれば照灯して明るくなる電灯を見つけて設置させてくださいとお願いしたところ、即座に事情は分かったと財政課長が認めてくれた。ただし、そんな便利な照明があるかなとつぶやいておられた。しかし、営繕課の知人が探して設置してくれた。結果は上々、大変周辺住民から感謝されたのである。
 窮すれば通ずることを身をもって体得したのである。これも現地を知り尽くしていた県庁の営繕関係の責任者がいたらばこそである。ことは小事かも知れないが、解決し、できた一つの典型であろう。物事には熱中することが大事な体験談の一節である。
次は前述の次年度破格の高額の備品費を与えてくれたことと、所員の大増員に成功した経緯に話しを移してみたい。そして計量検定所が旧軍隊将校集会所へ移転し計量検定所の建築と落成式を迎える運びを記してみたい。

何としても備品費を拡充する

 そこで話を前に戻して、検定所の庁舎の建築予算と同時に施設費(重装備の天井クレーン等)と人力から機械化することによる業務量の増加処理策に対処して、増員要員の少しでも激変緩和の一端を荷負わせようと考えた。備品費を財政事情を全く忘れ、一心不乱に前にのみ目を向け、ここぞという気になって今をおいて新庁舎建設時のこのときをおいて、理論的にも、押し寄せる検定要因を取り除き、右から左に解決する道と方策とチャンスはないと、理詰めと目の前の現実を引っさげて財政課長に文字通り力説した。その中身はこうである。
前述の分銅、増おもりの検定申請は毎日のように続いて、検定は単純作業の人海戦術のみが有効手段であり、もしこの作業から解放されれば、有能なわが所員を他の知的、専門的分野の検定に回せて大変助かること間違いないし、検定申請者全般に等しく恩恵をふり向けることができ、検定遅延によりメーカーの事業発展を妨げるという不祥事発生が防げる。

「不作為は行政の恥」とくい下がる 

 法により強制されて所轄管内の知事の検定を受けなければならない規制の関門を通らなければならない選択の余地のない事業者が、通る努力をして計量器をつくって持ってきたら、所員が少なくて、かつ、設備や検定用器具の不整備もあって一日でも遅くなることは、企業振興の面からもあってはならないと自らに言い聞かせて、所長として、財政課長にくい下がっていった。「すべて所長の責任であり、責務である。不作為は行政の恥です。罪なき受検者に対する冒涜となりましょう」と。財政課長はじっと耳を傾けてくれていた。
 備品費拡充のお願いと要望(是非与えて欲しい)は次の4項目に絞り込んで資料をつくり、説得に及んだ。
1、 検定用自動分銅選別機(未だ分銅検定器と当時は呼称することができる状態まで試作品は開発されていなかった。)
2、 タキシーメーター走行検査用定置式基準ローラー
3、 トラックスケール検定用基準槓桿
4、 貨車掛スケール検定用検重車(国鉄のみ所有)の千葉県において雇上げる予算の計上

基準槓桿の導入に心骨注ぐ

 前記の中で3と4について項目は、昭和30年代に入り特に後半期1960年以降、千葉県の臨海工業地帯の創成の効果いうならば、京葉工業地帯の立地が大企業中心で、名高き重厚長大産業の工場が林立し、高度成長の波にのって大幅な活気に満ち満ちた大操業期に入り、原材料の受入れと製品の出荷にと大型はかり(トラックスケール、貨車掛等)の設置が著しく増加し、定期検査の周期も市部は毎年1回の頻度で、ユーザーも計量検定所にとっても、重荷になってきて、経費の増大と検査方法の効率化と弾力化と、できれば簡略化が可能な技術的手法を探求し続けていった。当時としては、画期的やり方の基準槓桿(基準器であって工業技術院中央計量研究所の推奨と助言を受けた。後に本県が設置して全国で2台目となる)の導入に心骨を注いだのである。
加えて、東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県の東京周辺の都県の物流が繁忙を極め、必然的に貨物の計量証明事業者が急増し、トラックスケールの設置台数の著増となって現れ、基準槓桿の採用に拍車をかけていった。その千葉県勢の力強い発展を計量行政の分野からも、ころは良しと財政課長に必要を訴えた。
さらに、同様の理由から、県下で従来は五指で数えられるしかなかった貨車掛も増えてきた。検査方法は、当時国鉄の大宮工場で所有している検重車を使ってしか他に検査方法はなかった。国鉄は民間には貸し出しをせず、しかも、検重車の使用時期は空いているときしか許されない。

明るい展望が広がってきた

 千葉県内工場の定修期を、みすみす徒過せざるを得ない大変不自由さを味わっていた。よし、県が責任をもって借りて、最大公約数の良い時期に集中して、検査を行う方法を編み出し、その経費予算の計上を訴え、庁舎建築が一段した後に、この3と4の項目の実現を許す口答了承をとることに漕ぎつけた。明るい展望が広がってきた。1と2の機種の導入は急務である。問題は、検定方法として確立しきれない時期尚早の点が検定検査規則の適用条文と価格が常識を越える高額であることであった。

施設備品要求は4種類

 ここで、必要にして不可欠の施設備品の財政課長に要求した種類を要約してみよう。
 4種類である。県勢の急発展即ち京葉工業地帯の造成による大企業の進出操業から発生している「貨車掛(スケール)」と「トラックスケール」の著しい増設と使用、いうならば大型はかりの出現であり、新設の検定と使用段階の定期検査の実施の必要性から備品@検定検査用基準槓桿、A貨車スケールの検査用国鉄所有の検重車を、千葉県が直接借り上げて使用するための借り上げ予算を計上して、当時の国鉄の検重車の使用料と操作する国鉄職員4人分の所要人件費の予算化であり、その必要性は漸く口答了承を得て、必要の都度予算をつけてくれる確たる明るい展望という形で広がってきつつあった。前述の4項を1〜4とし後段の大型はかり向けの3と4は要約したように実現に向けて動き出しました。

定置式基準ローラーの増設は急務

 身に迫る緊急性の高くて切実の人員を多く要し手間のかかる1の分銅の数の多い処理と、2のタクシーの増車と2年周期にやってくる料金改訂による路上に県下5ヶ所に設置してある走行検査場によるタキシーメーター走行検定の効率の悪い処理であり、ましてや1台や2台の検定では待たせるしかないし、装置したまま野放し状態になる違法性の高い未検定車の放置となる行政側の責任問題であり、形の違った不作為の行為であり、決して好ましい状態ではない。1台でも即刻走行検定ができる走行検査場(定置式基準ローラー設置)の増築が急務であり、財政課長から計量検定所の本建築が認められて、翌年に走行検査場の増設も許され、次年度に当然予算計上をする手筈まで整序されたが、検査場が竣工すると同時に基準ローラーが敷設してあって検定開始とならなければ無用の長物(財政課長が最も嫌う状態)となる。

しつこくお願いするしかない

 したがってタキシーメーター走行検査用定置式基準ローラーの購入を、検定所建築開始年度に詰めておかなければならなかった。またまた金を要求するのかと渋る沼田財政課長に、不快の念を持たれても、叱られても、しつこくお願いするしかない。担当者は、計量検定所だけに次から次へと予算を付けられないと門前払い同様の冷たい仕打ちであり、立場を替えてみれば一応当然の問答になろう。財政課長には、
「他の機関や出先と違い、年々検定手数料という特定財源収入が著増しつつあり、今後ともその傾向は右肩上がりの趨勢にあり、かつ、国の統括権に直結する貨幣制度と表裏一体の計量制度を維持守る国権の機関委任事務であり、執行責任は知事にあり、最悪の場合は、総理大臣は知事の罷免権をもっています(当時の地方自治法の規定)。それ程、計量行政は他の機関と違います」
 沼田財政課長は、聞くだけ、じっとして耳を傾けていた。答えはイエスもノーもなかった。県下のA地区とB地区のタクシーの台数と伸び率を聞かれた。所長は検定を開始するとき何台必要と考えているか、計量検定所の敷地に増設する検査場に必要な設置台数は2台か3台かと、裏付理論を含めてご下問された。

開所時は2台購入を

 三台設置できるように、最初から三台分のピットを掘り下げておき、開所の最初は二台購入のための発注予算を与えていただき、最盛時は三台設置し、毎日毎日検定できるようにすれば、20年間位大丈夫ですと答え、さらに最初の二台の固定式設置後に、検定所外に設置している路上検査場は、千葉県は夏期になると渋滞による交通事情の悪化のため使用不能になりますので、そのうちに、只今開発中の仮設可能のポータブルのローラーが検定用に認められると思いますので、その手順で予算化していただくよう、話しが核心にふれたときここぞと懇願した。
 「よしわかった。全部認めよう。但し、所長一台いくらするか、本当のところを述べなさい」某計器から内情を詰めておいた。一台170万円位はする。出張して設置し、不都合がでたときの修正費込みの値段である。
「はい。170万円は下らないと承知しています」

基準ローラーは高嶺の花の高額製品

 ここで当時の貨幣価値を解説しますと、昭和38年(1963年)5月所長に就任してそのときの給与が管理職手当8%ついて3万5000円〜3万6000円位と記憶しておるし、当時中小企業近代化資金の貸し付け金が300万円限度(主に工作機械)であったのでローラーの150万円〜170万円程度は適正値に近いと踏んでいた。現在の所長職の方の給与と比較し15倍〜20倍前後と現在の貨幣価値に換算しても、そんなに的をはずさないと思われる。即ち現在価格1500万円〜2000万円前後となり、当時としては試作開発中という事情と一品料理的製作方法の受発注からしてかなりの高額の機械であり、どこの県でもすぐに発注できるような備品でなく、むしろ高嶺の花のような存在といっても、おかしくない程の貴重な高額製品であったことは間違いないし、そこを財政当局責任者が、しかも、赤字再建団体を抜け出して、未だ日がなお浅い時代の決断であったのである。

特定寄附金を150万円集めよ

 答えはすぐ返ってきた。「二台発注してよい。二台で300万円の予算だ。但し、特定寄附金を半分150万円付けてやるよ。千葉トヨペットの勝又豊次郎社長(後日県会議員となられ、沼田財政課長が後の昭和58年5月に千葉県知事に初当選すると同時に中小企業団体中央会長になり、やがて沼田知事の後援会長となり、知事選挙ではいつも私が激励され、政治資金をいただき運動し、五選のときはお互いに苦労した間柄の私の恩人のお一人である。ご逝去のとき知事はすぐ電話をくれ「今亡くなられた。惜しい。知らせておく」五選で当選した知事選の話しをしながら「むすび」を分けて食べ、苦楽を共にした最後のお方である)と吉原鉄次県会議員(議員会長)と相談して、受益者負担で集めなさい。所長の人脈と手腕でだ。できなければ一台だけだぞ」と席を立ってしまった。特定寄附金とは、使途を特定限定して、それ意外には使えない金の寄附を仰ぐことである。
 これは予想していない事態だ。だが、勝又さんとは話しが分かってもらえる半分半分の自信を持っていた。問題は吉原さんという大物県議である。今となってはお二人とも故人になっておられるので多くを語ることは控えることにしたい。案ずるよりは、生むが易しということのように、あの手この手と裏から表から攻めてお願いし、ことは万願成就し、特定寄附金は目算どおり集めることができ、難関を突破することができた。問題は「検定用分銅選別機」の予算化とその選別機の活用段階の問題の困難な遭遇である。
大きな事業を成すときは政治力も必要
 それにしても、タキシーメーター検定用基準ローラーの予算化のとき、政治的配慮を示しつつ、手段方法を選びながら、具体化実現をされた後に知事になられた沼田財政課長と若い時代から知り合っていた間柄がとても幸いであったし、大きな事業を成し遂げるときは、政治的背景(政治力)も巻き込むことがあることを身をもって、身に染みて会得するきっかけとなった出来事である。当時の計量検定所の総務課長に詳しくその経緯を明らかにしていない。今でもである。

苦い自責の念

 さて、上述の「検定用分銅選別機」の予算化とその活用段階の困難な状況の克服に予想外の苦境に立たされることになったことを申し述べたい。物事開発途上段階での採否の決定には、極めて慎重に対処し見極める必要があり、こうなる筈であるという論理と可能性だけで、踏み切り決断することは、大変危険な賭けともいうべきことになるという教訓を得た出来事である。高価な授業料を支払うことに匹敵する代償を支払うことになった苦い自責の念にあれから40年経ても、かられている。

試作途上の分銅選別機を導入

 当時は、新しい挑戦につきものの「生みの苦しみ」と先駆者の苦労と開発者の研究開発費を投入したが、分銅選別機が十分期待どおりの成果と効果を示さない試運転時の出来映えであったとして割り切り、所員の人力の軽減に貢献して役立つと自問自答し納得して、財政課長に、良いことづくめの資料と把瀝ぜめで押し通してしまった。
財政課長の念押しに声弱く
「本当に検定用に人に代わって選別して使えるのだね」。と駄目押し的念押しの下問に
「はい。使えます」と今まで、声高に申しあげてきた声が、心なしか細い弱々しくなってしまった。
 というのは、開発を進めていた当時は唯一のメーカー(Y製衡)の触れ込みは、自動分銅選別機であり検定用の表現はなかったのであり、分銅を送り込むことも人がやり、分銅を取り下げることも人がやり、ましてや、手間暇のかかる検定証印の打ち込みは、機械でできる筈もなかった。
 最初のメーカーの説明と、こちらの要求していたことと、真っ向からぶつかった分銅のコンベア方式による送入→器差判定→合格品のみの篩い落とし→押し出し離脱の処理方式(システム)が不十分(技術的に)で未完成であることであった。だからこそ、財政課長説明時には「自動」の二文字は削り、検定用に使用できるとして「検定用分銅選別機」として、買ってもらうべく予算化を要求した。
「全国で使う検定器が、いの一番に千葉県が導入して開発費込みとはね。ひっかかるものがある。国の補助金の制度が何かないかね」
「機関委任事務だからね」
「ところで肝心要の値段はいくらするのかね」
 最も辛いところをつかれた。十分要求書からご承知の上からの質問だ。
「はい。一号機ですので250万円です」(現在の貨幣価値換算で軽く5000万円以上になるであろう)
「とにかく高額だね。所員2名分はこれを入れると浮くのだね」。
「そのように試算しています」
 そう答えるのが精一杯である。
「機械を入れると人は退職金付の計算だが、退職金がいらないからね。入れて大事に使ってみては」
 良いとも駄目とも言わずに説明は終わった。担当者の言葉は
「認めたことになる。破格で型破りだ」
 内心えらいことになったなとの実感である。なぜならば、看板に偽りありとまでは言わないにせよ、まだまだ即実戦に使える段階には到達していない試作途上の代物である。

費用軽減には役立たず

 計量検定所庁舎新築時に表裏一体の施設備品は当初出発段階としては、ほぼ満額、検定所の建面積はきつく減らされた外は、認められ与えられた千載一遇の機会となったのである。唯一の志半ばの出来事は、検定用分銅選別機の高額設備の予算付与である。破格の高価な予算計上が十分財政課長の温情に報い得なかった技術上の未発達であり、購入した一号機は手のかかる単なる合否の判断機に終わってしまい、実戦用には余りにも貢献しなかった。でも合否の判定には役立ったことはいうまでもない。ただし、所員2名の費用が浮く、軽減されるとの見透しとは、相当の乖離した存在であった。

財政課長の英断が後々まで恩恵

 後日談としては、後の沼田知事は、
「本当はクレーン付の貨物専用の車を与えようとも考えたが、要求しないものを財政当局から言うことは、災害以外ではないし、新しく運転手も手当増員になるし、新しく車庫も必要になるし、車は土木事務所の施設車を当時は優先にしていたので、計量検定所だけを次から次へと認めて、要求しないものまで認めるということを避けて控えたのだ。色々認めたのは、特定財源を持っている国の機関委任事務であって義務的経費と解釈して、他に類を及ぼさないという理屈づけにしたのだ」
 と申されて、種々ご心労を煩わせてしまったことをお詫びしたが、あのとき、そのとき大英断を下されたことは、後々まで恩恵をもたらしていることも申し添えたものである。

他に耳を傾けよということが教訓に

 ここで、自らの歩みで回顧してみて、同じ足跡を踏む者があるとするならば、物事を進めるときは、可能な限り、事前に、話し半ばでも万機公論をおこない、最大公約数を求めて、他の言うことに耳を傾けることが必要であるということが、教訓として学び得た一つの答えだということを知ってほしいと体験上の戒めである。今にして当時のやり方を振り返るとき、余りにも「我が道をゆく、唯我独尊のやり方」でありすぎたと自戒するものである。自戒はしても、決して後悔はしない。座して何もしないより余程結果は上々に前進していると思うからである。公務員として、熟慮検討中の美辞麗句のもとで何もしない臆病にして小心的不作為こそ、忌み嫌われる最たるもので、排斥されるべき基本的、代表的文言であり、行為である。若い時代は少々の失敗は恐れることなく、挑戦することも許される雰囲気が醸し出されてもよいと思っている。
 次に、施設設備品の増強の面ともう一つの二兎を追った所員の増員の面の行末に話を移してみたい。

|経済産業省|産業技術総合研究所|製品評価技術基盤機構|

|戻る|ホーム|次へ

目次へ戻る