計量新報記事計量計測データバンク今日の計量計測情報ニュース会社概要出版図書案内リンク

日本計量新報 2008年5月18日 (2724号)より掲載

私の履歴書 鍋島 綾雄  

日東イシダ(株)会長、(社)日本計量振興協会顧問、前(社)宮城県計量協会会長

目次

21 副会長時代の思い出 2753号

 1969(昭和44)年青葉製作所が金門製作所に吸収されたのを機に、協会の工業部会長を辞任されたので、その後任の部会長を命ぜられ、翌年の総会で副会長に推薦された。会長の鈴木利平氏は薬剤師で宮城県の元薬剤師会長の経歴を持つ75才の高齢のベテランであった。鈴木会長にとっては計量協会の会長は名誉職みたいなもので実務は殆ど私に任せてくれた。車の運転はされないので、理事会開催時に検定所までの送り迎えは殆ど私の役目だった。送り迎えの御礼にこの薬は何に効くからとか、これはどうだとかこうだとか言って袋に入れた薬をくれた。元薬剤師協会会長としてその業界の大ボスだから製薬会社から試供品として送ってきた原価ゼロの薬である。会長は資産家で大変な金持ちだったが、金を残す人はやはり違うものだと感心させられた。

 しかし薬のことは別として鈴木会長に教わって今も実行していることがある。それは梅干にはクエン酸が多量に含まれているので毎朝1個食べると体を弱アルカリ性に保ち、しかも血液をサラサラにするので健康に大変良いと教えられたことである。それ以来、家内の協力で40年近く恵比寿目昆布一切れに梅干1個いれたお茶を二人で毎朝欠かしたことがない。我が家の一日はこの朝のお茶の一杯から始まる。お陰で83歳と78歳の今日まで元気で体調も頗る良い。

 鈴木会長は宮城県薬剤師会の会長をした名士で、自民党県連の顧問もしていたので、副知事室もフリーパスだった。1970(昭和45)年、検定所の場所に議員宿舎を建てたいので検定所を移転させるという計画が持ち上がった。その最中、鈴木会長にお供して石井副知事の部屋へ陳情に行った。

 「1951(昭和26)年、現在の検定所を建てるとき予算の40%を計量協会が会員からの浄財を集めて寄付をした。今度建てる新しい検定所には協会のスペースを確保するという書面を一筆書いて欲しい。」という申し入れをした。石井副知事は申し入れを了承してくれ、翌年完成した検定所の2階に協会の部屋を確保することが出来たが、後々のためにと要請した書面は勿論書いては貰えなかった。

 1970(昭和45)年完成した計量検定所は敷地面積2713平方メートル、建坪1109平方メートル、鉄筋コンクリート2階建て、工費6677万円という立派な庁舎だった。

 我々の要望通り2階の部屋の入り口に「社団法人宮城県計量協会」という看板が掛けられたが、残念ながら専従職員が一人も居ない空き部屋であった。

 議員宿舎の為の移転だから県会議員の後押しもあって予算も十分につき当時地方でこのような立派な建物の検定所は珍しく、モデルとして全国各地から視察に来たものであった。その証拠に宮城の検定所とそっくり同じような検定所をあちこちで見かける。

 1970(昭和45)年以来36年間、協会は検定所の2階を無料で使ってきたが、県の財政の悪化の波に抗し切れず2007(平成19年)度から私の会長退任と同時に遂に使用料を課せられることになった。

 残念なことだが、これもご時勢で止むを得ないか。

(つづく)

目次


記事目次本文一覧
HOME
Copyright (C)2006 株式会社日本計量新報社. All rights reserved.