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日本計量新報 2008年5月18日 (2724号)より掲載

私の履歴書 鍋島 綾雄  

日東イシダ(株)会長、(社)日本計量振興協会顧問、前(社)宮城県計量協会会長

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19 イシダワイド会会長に推薦される 2749号、2750号

 イシダの代理店全国27社の会の名前をワイド会といった。初代会長は神戸衡機の宮坂社長であった。1973(昭和48)年宮坂社長の後任としてワイド会の2代目の会長に指名された。

 その3年前の1970(昭和45)年、未だ海外旅行が憧れだった頃、イシダがワイド会のメンバーを香港・バンコク旅行に招待した。資金繰りの後遺症が残っていた私は辞退したかったが、ツアーの団長をする北吉さん(外販の立ち上げの時世話になった)から是非にと誘われて参加することにした。お恥ずかしいことだが、当時5万円の小遣いを工面するのがやっとだった。他の代理店の社長さん達は50万も60万も懐にしてお土産の買い物に狂奔しているのを見て惨めな思いをしたものだった。家内に指輪を買う柄でもないが、この時初めて小さなヒスイの指輪を100ドルで買ってお土産に持って帰った。家内は100ドルの指輪を素直に喜んで大事にしてくれている。

 それから1983(昭和58)年、心臓の手術をして引退するまでの10年間、イシダワイド会の会長を勤めた。この10年間は丁度電子ハカリが出現し、ハカリ業界が急速に変化発展した時期と重なり、アナログ式のハカリは23万円だったのが電子ハカリになって450万円と一桁上がり、イシダが大発展を遂げた時期であった。

 従ってワイド会の結束も固く、イシダブランドは全国に浸透していった。

 そのワイド会の中で神戸と名古屋と仙台の代理店3社がイシダの御三家と称された時期があった。しかし、その後大阪の代理店が充実し、更に福岡の代理店が業績を伸ばし仙台は今では5位に甘んじている。それにしても全国の代理店の中から会長に選ばれたことは大変光栄なことであった。

 イシダには親会社としていろいろ面倒をみてもらい、日東の今日あるのはそのお陰以外の何ものでもないが、ワイド会のご縁で神戸衡機の宮坂さんにも大変可愛がって頂きお世話になった。

 神戸衡機は代理店としては珍しく販売だけでなく、しっかりした工場を持った代理店であり、鎌長とも関係が深かった。そういう意味では日東もよく似た形態なので親近感を感じていた。しかし内容はあらゆる面で日東より一桁も二桁も上であった。

 私は機会を見ては神戸衡機さんを訪問したが、宮坂社長の経営手腕に度肝を抜かれた。私は宮坂社長の真似は到底出来ないが、日東と似た形態の神戸衡機というお手本の存在に、私は勇気付けられ、しっかりやれば日東も一桁レベルアップすることが夢ではないとの確信を持つことに役立った。

(つづく)

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