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 2002年10月20日(2464号)


■ 田中耕一さんのノーベル化学賞受賞記者発表会(10月11日、島津製作所東京支社)

自分の命と引き替えになった母に感謝「母の魂は驚いているでしょう」

 2002年のノーベル化学賞を受賞した(株)島津製作所の田中耕一さんの東京での初の記者会見が10月11日午後、(株)島津製作所東京支社(東京都千代田区神田錦町1−3)で行われた。田中さんは同日は小泉純一郎首相との面会および昼食会とスウェーデン大使館への挨拶のために上京したもので、マスコミからの強い要望もあって記者会見のはこびとなった。会見のもようはテレビで生中継で放送されたほか、記者団からの質問への回答がユーモアにあふれており、その一問一答がその後逐一話題になるなど、田中さんの人柄が好ましく報道された。

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田中さんの受賞は日本の名誉

 田中耕一さんのノーベル賞受賞の東京での記者会見は(株)島津製作所東京支社のイベントホールで行われた。田中さんが会場に現れると記者会見会場からは大きな拍手が起こった。

 島津製作所からは代表取締役専務の平戸正尚氏、常務取締役の服部重彦氏らが同席。平戸専務は記者会見の席上「産業界から、しかもわが社からノーベル賞受賞者がでたことは非常に喜ばしい」と田中さんの栄誉を讃えた上で記者団に紹介した。田中さんの東京での記者会見は初めてだったこともあり、記者会見会場は報道陣であふれた。

自分一人の力ではない

 田中耕一さんはノーベル化学賞受賞発表から3日が経ったことから「だいぶ慣れた」との感想を漏らし、さらに今回の上京にあたって最新型の新幹線「のぞみ」700系に乗れたと嬉しそうに語った。会場は田中さんの気取らない回答に笑みにあふれ、ときに爆笑も起こる非常にいい雰囲気であった。

 会見のなかで田中さんは、受賞対象の研究は、自分ひとりの力ではなくプロジェクトを組んだ5人の成果であること、会社が4〜5年先を見越した研究をさせてくれたことが大きな成果につながったと強調し、会社と同僚への感謝の気持ちでいっぱいであると話した。

 島津製作所の二代目社長島津源蔵氏は、エックス線撮影器の製作をも手がけ、また国産第1号ガスクロマトグラフを製造した発明家であり、昭和の初期、日本10大発明家に選ばれている。新しい機器開発に関する意欲と研究に従事する社員を支援する企業風土が島津製作所にあるからこそ、田中さんのノーベル化学賞受賞につながったとの見方がされている。

理論の医療分野での活用

 田中さんが今回のノーベル化学賞に選ばれた研究内容の概要は次のとおり。

 たんぱく質のように大きな生体高分子を分析する「ソフトレーザー脱着法」という手法の開発。これは、高分子に特殊な分子を混ぜレーザー光を当てて飛び散った個々の分子が分析器の中で電気をかけた状態で飛ぶようすを測定し、結果から高分子を特定するもの。これにより、たんぱく質の立体構造から細胞内での機能まで解明できるようになった。

 一般の人にもたらす発明の成果として、医療分野での活用が挙げられる。病気の早期発見である。血液や小水を検査機に掛けると病気の兆候が分かるというもの。病気になる前、健康な状態で発見できるため、病気にならずにすむ。また、新薬開発に飛躍的な進歩をもたらした。

 田中さんは、検査機器の小型化・簡易化がはかられれば、町の薬局にも置くことができる。誰もが簡単に検査ができるようになればいいと、思いの丈を語った。この研究成果は、いずれ途上国の医療支援に結びつくものと期待される。

 東北大学で電気工学を学んだ田中さんの受賞につながる研究には、深いところでの動機付があった。それは自分の命と引き替えに産んでくれたお母さんへの思いであり、命の重み、大切さであった。田中さんはこうした母への思いを、「魂が存在するならば(母は)きっと驚いているでしょう」と語った。(関連記事8面)

 2002年10月20日(2464号)

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