2019-11-21-地が裂け山が崩れ洪水が人を襲う日本の自然(ハザードマップは人が住んではならない場所を示す地図だ)(横田俊英)

 

地が裂け山が崩れ洪水が人を襲う日本の自然(ハザードマップは人が住んではならない場所を示す地図だ)


2019年11月に放送されたNHK特集番組でガリレオ・ガリレイは都市を俯瞰した見取り図を描くために地上面の寸法を計測していたこと明かした。ガリレオ・ガリレイは人体の仕組みを知るために解剖を熱心にしていた。心臓の便の動きはカルマン渦の作用によることも突き止めたのだ。カルマン渦の作用から流量を測定するのが渦流量計だ。渦の発生は圧力変動をもたらす。変動の回数を数えて流量を求める。未知の解明と計測とは一体である。

富士山は爆発によって高くなった山だ。八ヶ岳は地下マグマの上昇にともない水蒸気爆発などによって山体崩壊して低くなった。かつては3,000メートル級の山だった八ヶ岳はそれより低かった富士山より高い山だった。20万年前の事実だ。八ヶ岳が山体崩壊した証拠はある。北杜市付近の国道20号沿いの七里岩であり韮崎岩屑(がんしょう)なだれだ。七里岩の由来は七里つまり28kmほどの長さで岩屑が盛り上がっていること。韮崎岩屑なだれは甲府盆地の南の中道町や豊富町付近に達している。八ヶ岳から40kmの距離に達していた。

20 万年に発生した八ヶ岳が山体崩壊と韮崎岩屑なだれの跡地に人が住むようになった。3万年前の地層の長坂町針・前久保遺跡からはナウマンゾウを解体するのに用いられた石器、槍先やナイフの形をした石の道具が出土している。韮崎には縄文中期の坂井遺跡がある。南に富士山、西に鳳凰三山、北に八ヶ岳がみえる平坦地には水が湧き出す浅い谷もある。縄文人はこの場所を好適地とした。時代が下れば武田家は韮崎に新府城を築いた。坂井遺跡は新府城の南に1qにある。七里岩上平坦地は縄文人の暮らしの場所であり、100メートルの崖の上の平坦地は天然の要塞であるために戦国期には新府城や能見城が築かれた。

善光寺平で武田信玄と上杉謙信が相まみえた。川中島の流れは下って信濃川になる。上流は千曲川などだ。千曲川は八ヶ岳などの水を集めて流れる。八ヶ岳は20万年前に山体崩壊して現在の高さになった。赤岳は標高2,899メートルだが南アルプスや北アルプスのような3,000メートル級の山の連なりであったと推定される。八ヶ岳は何度も崩れている。地震によっても崩れる。西暦887年8月22日におきた五畿七道の地震(南海−東海地震)でも崩れた。地震で強く揺すられたことで北八ヶ岳の火山体は山体崩壊した。天然ダムは302日後の仁和4年5月28日(西暦888年6月20日)に決壊して千曲川の下流100km以上の地域に「仁和の洪水砂」を堆積させた。決壊した岩屑なだれの堆積物は下流の小海町八那池から馬流付近の河谷を埋積し、比高20〜50メートルの河成段丘を形成した。段丘面や千曲川の河床には八ヶ岳起源の巨礫が多く残る。千曲川の中・下流は平安時代の条里遺構の上部を「仁和の洪水砂」が覆う。

大規模な山体崩壊は天然ダムを形成する。ダムが決壊によって千曲川流域を岩屑なだれが流下する。洪水は平野を形成する。人が住むようになると平野を利用する。人には洪水は災いである。平地に住むと人は洪水に脅(おびや)かされる。山地に住むと山崩れは恐怖の対象だ。丘陵地に住んでいると活断層が走っていることがある。日本人は農業で暮らしてきたから日当たりの良い平坦地は畑にして人は山にひっついて暮らした。漁師は海辺で暮らした。津波の記憶は直ぐになくなるので何時でも漁師の家は海辺に建つ。危険領域を記すハザードマップとは住んではならないところで人が暮らしている神への冒涜(ぼうとく)の証のようだ。