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計量計測データバンク「日本計量新報」特集記事寄稿・エッセー(2015年一覧)>【高徳芳忠】戦後70年の夏 −計量の戦後史を思う−

日本計量新報 2015年9月6日 (3071号)4面掲載

戦後70年の夏 −計量の戦後史を思う−

東京計量士会 高徳芳忠

高徳芳忠今年の夏は終戦後70年の夏として、皆さん方も特別の思いを持って迎えておられるようである。
 特に安部政権に関しては、わが国が近隣諸国に対して犯した過ちをどのように考え、どのように対処していくかが大きく問われている。
 この話は其方の方に任せておいて、私はここではぐっと小さく計量の戦後史に、わが国の経済的状況、世俗的情緒、等から反省を試みたい。

(1)1951(昭和26)年の頃
 1951(昭和26)年の計量法の計量管理と計量士を取り入れた大幅な改正は誠に当を得た素晴らしい施策であった。戦後の復興の役割を果たすのは工業の発展、しかも効率化・合理化を取り入れるべしとして『計量管理』を推奨したのは大変な英断であったと考える。しかもこれに携わる計量士として重量、温度、圧力、長さ…等の項目別の人材を投入すべしとしたのも徹底した考え方であったと感心する。これに従って各都道府県に計量管理協会が生まれ、各事業所は計量器使用事業場として効率化・合理化に取り組んだ。私はこの改革こそが戦後の高度成長の礎となったと確信している。

(2)1966(昭和41)年前後
 ところが、東京オリンピックを経て戦後も遠ざかってきた頃より「規制緩和」が叫ばれて、1966(昭和41)年の計量法の大改正がおこなわれた。一般的には、行政の効率化と民間能力の活用は大いに歓迎したが、バスやタクシーに関する規制緩和ならともかく、計量行政にもおよび、自動はかり等を規制の対象外としたり、検定所の人員削減、計量士の仕事を減らすに至ってはいささか度が過ぎた感を免れない。やはり人の生活のなかにも「守らなければならないルール」があり、それは頑固に守っていくべきであったと考える。

(3)1993(平成5)年の法改正
 この頃におよんでも規制緩和の流れは弱まるどころか、一段と進んでくる。検定所にも計量士が必要でなくなり、計量士の仕事も『特定計量器』のみであるかの如き新計量法となった。他の計量器はどうでも良いのかといいたくなる。また、一般的な計量・計測の事象を捉えて、生産や効率化・省力に生かすことこそが計量士の使命と考えてきたが、そのような文言がどこにも見られずに淋しい限りである。もちろん
当時流行の国際化・グローバリズムは解説その他の謳い文句には見られるが、その後の施策を見ていると、かつてのメートル法を取り入れた熱意が感じられない。

(4)まとめ
 こうなると「一体政治とは何なのか」を議論したくなるが、そんな余地などは全くない。首相を始め、大臣・局長・部長・室長はどんどん変わるばかり、『新計量法』とは、何を反省し、何を粘り強く守っていくために作られたのかが読み取れない。やたらに「規制緩和」や「グローバリズム」に流されているのみである気がする。
 最近では「自動はかり」と称して「これがはかり?」と思われる代物も現われるようになった。これも40年間放置したままの弊害と思われる。
 2年前に学んだモンテスキュー先生を再び読み返す気はないが、計量界に在るべき哲学が感じられないのが悲しい。やはり計量法とは、取引はもちろん、日々の生活のなかにしっかりと身に付いていなければならない法律である。
 特に本稿の後半は辛口の批評に終わったが、私も計量士として50年、今後も良い計量法が良い社会を生みだすように少しでも頑張っていきたいと思っている。


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