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計量計測データバンク「日本計量新報」特集記事寄稿・エッセー(2015年一覧)>【小川実吉】高田誠二先生の回顧

日本計量新報 2015年5月17日 (3056号)5面掲載

高田誠二先生の回顧

(一社)日本計量史学会理事 小川実吉

小川実吉高田誠二先生の突然の訃報に驚嘆し、永年にわたるご指導ご鞭撻に感謝しつつ想い出を綴る。
 高田先生と初めての出会いは、計測自動制御学会(SICE)温度計測研究専門委員会の持回り実験である。温度計測専門委員会は、1962年10月9日に開始されて1965年9月14日に終了した。この委員会は、@温度定点小委員会、A純金属線溶融法小委員会、B温度パターン小委員会で構成され@小委員会に上司が委員で参加していた。その研究成果の実証として持回り実験が実施された。定点の実用試験と温度目盛の相互試験を目的として、当時の計量研究所で作成したジフェニルエーテル三重点(28.88℃)を1965年11月4日に小委員会委員長の高田先生と研究員の方が当時の北辰電機(現横河電機)に持参された。使用方法の説明を受けて実現を試みたところ、容易に三重点を実現できて0.01℃以内で当時の計量研究所の温度値と一致した。他の研究機関と初めての相互比較が良い成果を収め、高田先生にほめていただき感激した。それは、研究小委員会のテーマであるナフタレン凝固点(79.72℃)の実験を担当していたことが寄与した。
 その後1970年1月にSICE主催の温度計測講習会(広島市青少年センター)で高田先生の薦めで講師を務めた。現場の温度計測を担当して工業用温度計の講師として上司が登録されていたが突発事変があり、高田先生の推挙で代役を務めることになった。大勢の人前で話すのは初めてであったが関係者にフォローしていただき大過なく終えた。講習会の締め括りに質疑応答があり、受講者は現場技術者が多かったこともあり現場のトラブル事例などの質問があり、先生方に縁遠い事例でも、筆者にとっては定常業務の体験があったので難なく回答することができた。無事に講習会を終えて帰路は、ブルートレイン(寝台車)に乗車し講師を勤めた先生方と食堂車で食事しながら、高田先生のPTB(ドイツ国立理工学研究所)での研究のことなどいろいろな話を聞いたのも良い想い出である。
 翌年(1971年)SICE温度計測部会の主査に高田先生が就任されると運営委員に指名されて2年間務めることになる。その頃、当時の日本学術振興会製鋼第19委員会第2分科会に会社の委員(上司)の指名で、出席することになる。同研究委員会では、製鉄所の熔鋼温度計測が重要課題として産学協同研究が佳境になっていた。委員の上司から指示された課題について実験結果を携えて初めて出席し、錚々たる先生方を前にして説明した。質問になると予想しない厳しい問題が出て、しどろもどろになる場面もあったが、そこで高田先生に援護していただいたのは有難く感謝した。そのとき手がけた研究は、「酢酸ナトリウム転移点によるPR熱電対用補償導線の校正方法」で1972年12月学振法に制定された。このマニュアルの名称は、酢酸ナトリウムの性質から液体から固体への過程は凝固ではなく転移であると高田先生の発案で転移点と決まった。この委員会は年に2回の研究会が継続して開催されたので、永年ご指導を受けることになる。
 SICE温度計測部会では、1979年に温度計測の専門書の出版作業が始まった。各分野の専門家が共同で執筆することになるが、著者として加えてもらった。ここでは、高田先生に貴重なコメントをいただいたのを今も覚えている。それは、「月刊誌は一箇月で更新されるが、書籍は廃刊になるまで継続するので文言は根拠を明確に調査し文脈は誤解を招かないよう留意すべき」と説かれた。そのうえに拙稿は、高田先生に添削をしていただき感謝しつつ脱稿でき、諸先輩をはじめとする専門家の英知を集めた書籍は1981年3月に出版されて、1回改版したものの現在も継続している。この書籍の著者紹介で、誕生日が10年違いの同じ日だったことを知り何かの因縁を感じた。その出版記念講演会の折に、10年ごとにアメリカで開催される温度計測シンポジウムが翌年に第6回がワシントンDCで開催されるので団体で参加しようと発案があり、20数名の参加者に筆者も加えてもらい、初めて海外の学会に参加した。
 現在、計測標準トレーサビリティ制度は、JCSS(計量法校正事業者登録制度)をはじめとして産業界に定着している。その先駆けは、1971年4月に始まった、産業計測標準委員会といっても過言ではない。そこでも高田先生は、多くの分野を横断的に取り纏める重鎮として務められていた。1974年に高田先生の指名を受けて温度標準の分科会に加わり、約2年間委員を務めた。この委員会は、1978年2月に将来への提言をして終息した。ここでの成果は、いくつかの議論が加えられ、1993年11月1日施行の計量法に計量標準供給制度の創設となったと思われる。
 1980年に北海道大学教授に転身された翌年だったと思うが、初夏の頃に社用で札幌出張があり時間が取れたので、高田先生に電話したら近くだからと誘われ、地下鉄の駅で待ち合わせて単身赴任のお宅を訪問し、北海道はアイスクリームが美味しいんだと御馳走になった。
 SICE温度計測部会は、1987年創設25周年を迎えて記念講演会を企画した。その時幹事を務めていたので内容を検討して、歴代主査のなかから高田先生にもお願いした。同年11月の講演会では「計量史のなかの温度計測」の演題で講演していただいたが、予稿は手書きのもので、フリーハンドの挿絵が入った直筆の資料はこれ以降拝見することがなく貴重な遺稿とこれからも大事に保管したい。それから疎遠がつづいた。定年を過ぎて社用も少し身軽になった2000年ころ、たびたび投稿していた月刊誌の編集から、温度計測の経緯を含む話題の執筆依頼がきた。定年は会社生活の卒業でもあるから、社業以外に携わった、学会、業界団体などで過ごしてきたことを書いてみようと思い、編集に相談したら諒解が得られたので引き受けた。この執筆にあたっては、前記の通り高田先生との出会いから書かなければと思い、素案をしたためて久米美術館に高田先生を訪ねた。本題は快諾を得たものの日本計量史学会への入会を促されて、即答で諒承した。日本計量史学会に入会したらすぐに仕事を言い渡された。それは、天野清先生の資料を遺族から預っているので整理して纏めることであった。古い資料で持ち運びもままならないものもあり、久米美術館にたびたび出向いて1人会議室で資料の整理をした。その結果は、日本計量史学会の計量史をさぐる会で何度か発表し、学会誌の計量史研究に投稿した。高田先生の誘いで軽い気持ちで入会した日本計量史学会は予期せぬ間に重責を担うことになり、最近は分不相応と自戒しながら業務を処理している。一方、温度計測の技術者として高齢になった現在まで業務に携わっていられるのは高田先生の初心者の頃のご指導ご鞭撻があったことに深く感謝しつつ御冥福をお祈りする。


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