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 計量計測データバンク「日本計量新報」特集記事寄稿・エッセー>高田誠二

日本計量新報 2011年1月1日 (2852号)掲載

木下正雄先生への追慕  

北海道大学名誉教授 高田誠二

 木下正雄先生は、華やかな報道を好まれなかったせいか、話題にされることの稀な方だったが、計測計量の歴史の上で、忘れてはならない先達のお一人だと信ずる。
 たまたま、日本計量史学会の会員・西尾成子さんの力作「石原純をたずねて」(雑誌『科学』、31回連載)が完結して、石原という国際的理論物理学者・歌人・文筆家の生涯が明らかにされ、彼が欧州滞在の初期に木下先生の世話になったことも紹介されたので、ご縁に乗じて、木下先生の学界での役割やお人柄を書きとめておくことにした。紙面の性格上、敬称は略し、文献記載は極力きり詰める。
 計量史の観点からすれば、木下の最大の功績は、東工大教授兼理化学研究所主任研究員の立場で、大石二郎、天野清の2学究を育てたことであろう。大石は氷点の熱力学温度273・15Kの決定実験で斯界をリードした。天野の仕事は、日本計量史学会ではあまねく知られている。
 私が木下の謦咳に初めて接したのは、戦後間もない時期の学術会議の「国際度量衡研究連絡委員会・熱分科会」においてであった。天野は既に他界していたが、大石ほか芝亀吉、山内二郎ら学界人と、玉野光男、米田麟吉以下の中央度量衡検定所スタッフが、木下のリードのもとに議論を展開し、断絶していた国際的な学術貢献を再開するための真摯な努力を開始した。入所早々の私は、末席で議事メモを取りながら、国粋的だった戦時の学校や官僚臭の濃かった検査部門の人たちとは全く異質な、活き活きした国際交流の味を教えられた。というのも、オランダ、ドイツ、英国の諸機関で研究に携わった木下の闊達な経験が一同を刺激してやまなかったからである。
 温度標準の原点である国際温度目盛(1948年)の内容も、理研の国際通だった仁科芳雄や木下を経て初めて我々に伝えられたのであった。
 木下の熱学への寄与は、熱伝導(ミュンヘン時代)、低温(ライデン時代)ほか、霧の透明度(理研時代)といったユニークなものにも及んだ。戦前の講座『低温物理学』は、多角的な講述の末に「低温の世界では神秘の声が聴かれる」という名句を掲げた好著である。
 熱学以外では、宇宙線研究への支援が目立つ。仁科がそれに挑んだ時、石井千尋が木下研から仁科研に移ったのは、木下の言「難しいことは朝永(振一郎)さんたちがやるから、君は器械をかついで山へ登ったり海へ入ったりすればいい」で実現した。一見あらっぽいけれどもユーモアに満ちたこの発言が、日本での宇宙線研究に活気をもたらしたのである。
 木下はまた、理論物理学情報の普及にも熱心で、ハイゼンベルクとディラックの講演集『量子論諸問題』発刊企画について強力な支持を表明した(玉木・江沢編『仁科芳雄』、みすず書房、1991年、P88〜)。
 戦争末期の全科技聯という国策団体の用語整備委員会の熱学分野には、木下・天野・坂井卓三の名が見える。
 木下は英国女性と結婚し、英語に担当であった。英語を書く際に木下の恩恵を受けた人の数は多い(女性の例は久保和子、『自然』1978年12月増刊、P115)。
 ご葬儀の日、私は、ご遺族や弟子の方々がスポーツ寄りの話をされるので少々驚いたが、木下先生は器械体操(!)がお得意で、球技などにも親しまれたらしい。
 闊達な国際人、木下先生の面影は、今後も長く私の脳裏にとどまるだろう。

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