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日本計量新報の記事より 社説 2003/1−4

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  社説・買いたい計量器の開発と周知の情報ツール (03年4月27日号)

   日本のカメラメーカーは世界を席巻し、ことに一眼レフ銀塩カメラは日本のカメラメーカーの独壇場となり、彼のライカもツァイスも影をなくした。銀塩カメラはデジタルカメラに転換しつつあり、ここでも日本のメーカーが世界の先頭を走っており、レンズ交換方式のデジタルカメラが今後急速に普及する。

 日本はカメラ愛好家が多い国であり戦後の高度成長期はカメラの普及期でもあった。カメラの普及時代には人々は競ってカメラと写真に対する知識を吸収し、多くの日本人があたかも職業写真家への憧れをカメラの購入ということに転化し、日本ではカメラが大量に売れた。カメラを大量に売るには人々をカメラ好き、写真好きにするのが近道であり、多くの日本人はどこから発生したのか、このような機運に乗ってしまって全員が疑似カメラマンになった。日本人の一九七〇年代海外旅行は、眼鏡の叔父さんたちがカメラを首にぶら下げての格好に象徴された。

 世界を席巻した日本のカメラメーカーは日本人をカメラマンにするのに成功したのであるが、計量の世界でも同じようなことができないか。いや計量器を多く販売すること、計量を盛んにするためには日本人の多くを計量好きにすることが求められる。

 日本の高度成長期は日本人が品質管理を明確に意識したことは確かであり、ここには計量も含まれ、それは計量管理といわれたが、品質管理ほどには意識されなかった。しかし計量をしっかり行うことが、良いものをつくり出す原動力の一つであることを誰でもが知っている。

 計量の世界ではこうした意識を計量思想と言ってきており、また計量観念とも言い、平たくは計量意識と言う。計量器の販売が成立することは、人々の計量に対する意識を目覚めさせ向上させた結果であるととらえると、商売の対象となる事業所や人々に如何にして自分が扱う計量器に関する意識を向上させるかに尽きることになり、そのための働きかけは様々な方法で多面的に行われていいものである。

 思い出を記録に残したいから写真を撮るように、そこの部分の状態を詳しく知りたいから計る、計れば不明の部分が明らかになり、これまで出来なかったこと、作れなかったものを作れるようになる。計ることを大いに意識させ、それをさらに具体化することが計量器販売に通じる。

 品質管理大国の日本人は計ることを求めており、計ることが好きであるはずだから、そうした意識を後押しして顕在化させるために策を練るのが計量器ビジネスの神髄の一つであり、事業意欲の旺盛な計量器企業は必要な計量器を開発し、販売方法を編み出して事業を拡げてきた。

 日本国民も世界の人々も計量器を買いたいのであるから、買いたい計量器の開発と周知ならびに買える状況を創出すべきである。買いたい計量器の周知と買える状況の創出は、現代に新しい情報ツールが出来ているので、これを利用対象から外す訳にはいかない。 

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 社説・日本の計量制度は不変ではない(03年4月20日号)

 歴史は人とともにある。旧工業技術院計量研究所に在籍し、旧通産省計量教習所長の職を最後に公務員生活を終え、旧日本計量士会事務局の仕事をした蓑輪善蔵氏の歩んできた道には、在職した職場のすべてに旧が付くようになった。計量制度は社会制度であるから社会の変化に影響を受ける。制度は社会とともに変化をするが、技術としての計量すなわち計量技術も変化する。技術の変化は比較的とらえやすい。一方、制度の変化は時間が経過するととらえがたくなる。とくに計量制度は計量法の変化とともに幾度も転換している。人の記憶にある間は何とかわかるけれども、人の記憶から消えたものは文書や写真などによって歴史的事実が記録されていないと何もわからなくなってしまう。日本計量新報紙上に連載されている蓑輪善蔵氏の「私の履歴書」は、人の記憶になかった計量研究所とその前身の組織の様子をありありと伝えており、計量制度と計量器産業その他の今を考えるための資料となっている。

 戦前までの日本の産業技術一般は、産業経済の総力で米国に対する比較にならないほどの劣勢であったことは明らかであり、その戦争も国家の総力戦であったからそれまでの戦争と同じように部分的な戦闘に勝てば戦争に勝利するという図式では通らなくなっていた。米国は壊れないキャタピラと強い装甲鉄板によって日本の戦車を圧倒したが、これは産業社会の水準の差の現れでもあった。レーダーのことも含めて日本と米国の戦争遂行力の差は歴然たるものであった。日本が米国を相手にしての国家総力戦を挑んで勝てるはずはない。終戦直後の米国は世界の富の50%以上を保有していたのである。

 そのような事情であるから戦前の日本の計量技術もその総量においても個別の技術一般にしても大方は米国に劣るというのが実情で、外国の製品を真似てそれをなんとか商品にするというのが精一杯であった。加えて計量器そのものの価格は高く、生産量そのものがさほど多くなかったから、生産される計量器の全部が国などの計量機関による検定を受けるということも可能であった。戦前はもとより戦後も長い間、計量技術の中心は製造技術という内容であったから、関連の計量器に対する相互的な知識と技術は民間の計量器産業よりも計量研究所など役所の側にあった。役所が設計した計量器を基準器として民間が製造するというのもその一つで、ここではすべてに役所が支配的でもあった。この構図は質量基準器など製造の場面で現在まで残っており、細々と食いつなぐために便利であった反面技術革新とは縁遠い状態が構築されていた。計量器産業の民間よりも計量研究所など役所の側に計量器に関する技術が多く集積されていたことは、計量研究所の職員であった者が独立してあるいは転職して計量器産業に従事して成功していることによって証明される。

 GDP世界第2位の経済大国の地位を確保している日本が、計量器産業の面でもそれに相応しい内容を整えているであろうか。計量法の定めによって規制を受けている分野は計量器生産の総量の10%にはるか及ばないことであろう。計量器は産業社会の様々な場面で多様な使われ方をしており、得られた計量値との連動で商品の品質を確保したり、あるいはそれによって合理化・省力化に用いられる場合には、計量器の形式を取らないことが多い。

 計量器が所期の機能を果たしていることを法律が規制の形で関与して確認する分野は法定計量といわれる。計量器は稼働している間は目的に適合して機能していることが求められるのは当然で、法が直接に関与していなくても機能を確認する手段が講じられる。計量のトレーサビリティと関連する校正業務の多くはこの分野に含まれる。

 計量器のうち計量法に規定によって直接に規制される計量器と関連する分野は、計量器の全体と比較すると多くないとはいえ、計量制度に関わって事業している者にとって意識しないわけに行かないことである。日本の計量制度は欧米の計量制度あるいは国際法定計量機関(OIML)の勧告と切り離せないから、その将来像はある程度の見通しはつく。しかし、予測困難なことは日本の計量行政機関の先行きである。行政改革、規制緩和といった事項の実施如何ではどのような展開があるかわからない。国も地方公共団体も慢性的に収入が不足してきているから、計量行政にかかる事務費用を実質的に削減してきている。こうしたことの結果がどのような計量行政機構の変化をもたらすかについては、一部では見えているところもあり、予測困難なことも多い。行政機関が計量法が定めている行政事務をさぼったり捨てたりすることも無いとは言えない。

 蓑輪善蔵氏の「私の履歴書」に語られているように計量行政機関の一つである計量研究所の体制の変遷は計量制度が不変でないことを伝えている。

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 社説・未開拓分野の需要をつかんでこそ企業は栄える(03年4月13日号)

   いまの日本と世界で起きている経済に関する現象の一番大きなものは、途上国でモノ造りが一気に進んでいることである。日本の戦後復興の足取りなど及びもつかない速度で、アジアその他の途上国でモノ造りが一気呵成に進展している。技術も情報という形式に分解できるから技術の移転は情報の移転であり、アジア諸国でこれまで日本で製造していたような高品質の商品が生産されている。日本、米国、欧州の先進国の資本・設備と技術を途上国に投下するとそれまで先進国の自国で生産されていたものが、海外に移ってしまう。工業技術の分野でこのような大きな変化が短時間で起きる様子は産業革命にも匹敵する。日本国内の経済的・社会的な諸混乱はここから発生する。

 日本の計量器産業のうちはかり(質量計)分野では、料理用はかり、ヘルスメーターなどはホームセンターなどで千円程度の価格で販売されている事例が多い。部品の調達は別にしてこれらのはかりは日本で製造されたものである。その性能が素晴らしいものであるにもかかわらず実売価格の低さに日本の計量器産業の状態が見える。

 モノ余り時代においてはコスト競争がついてまわるので、日本の企業は低コストを求めて途上国に生産を移す動きが明瞭である。日本の企業は当初台湾に工場をつくり、ついで韓国につくったが、これが中国に移り、さらに工場はベトナムその他の途上国へと進展している。こうした工場建設は主にコスト競争力に支えられた商品を製造していることの宿命であり、こうした商品を製造する場合には絶えずコストを求めて工場が移動することになる。商品である以上コストを抜きで商売をすることはできないが、コストよりも商品の内容・中身に大きな意味があれば、コストを絶対としなくていいことになる。企業の商品開発に対する知恵を磨くことによって、他社では真似できない競争力ある商品を製造することができることになる。日本に残ってモノ造りをするということはそういうことであり、また開発部門の本拠が日本にあることが多いのはそのためである。

 計量器の種類は多く、つねに新しい種類すなわち新しい概念の計量器が登場してきているから、これが計量器産業が経済社会で正常に機能していることの証明でもある。計量器の幾つかを比較してみると、技術が大きく変化していないものもあり、大きく様変わりしたものもある。様変わりは電子技術とりわけパソコン技術の応用が精力的に行われた分野で起きており、そうした分野では新しい需要をつかみ取って企業規模を拡大させてきた。使用者の欲求や社会の要請にたくみに応えることこそ計量器産業発展の道であり、それは企業発展の道でもあり、計量器産業に従事する個人の取るべき道でもある。

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 社説・計量技術の無限の発展の可能性(03年4月6日号)

  デフレ状態にある日本経済の再生の方向が見えにくい。政府の構造改革とは何をどのように変えることであるか分かっている人はいないであろう。規制緩和というその規制が何であり、それを変えれば需要が起こる分野もないではないだろうが、それが全てであると理解すると、経済とは規制をなくすることで発展するという理屈ができてきて、これは正しくない。

 中国の低価格品が流入するからデフレになるという理屈に対して、日本に実際に入ってくる中国の商品は統計数字で見ると思いのほか少ないという。米国に対して日本が追い上げたとき米国はデフレにはならなかった。アジアの発展途上国の経済の発展が日本のデフレを招くという論理に立つと、どこかの国が発展すると追い上げられた先進国がデフレになることになるが、これも当たらない。

 日本経済の混迷は1にも2にも金融不況からくるものである。銀行は自信をもって金を貸す先を見つけ出せない。ゼロ金利預金と日銀からの融資で国債を買って利回りを上げるというのでは銀行などなくてもいい。銀行の本来的機能がほとんど機能していないのが現在の日本の社会である。こうして銀行の機能停止状態に動力を与えて、錆びた部分に油を注ぐのが政治であるのに、その政治も機能しない。政治家が経済の運営をできないために、大学の教員を内閣に連れてきて経済運営を任せてみたが、これも理屈ばかりで首が飛んでも血も出ない者のやることには自ずと限界があるようだ。

 政治家が政治の勉強をせずに来た日本、経済学者と称する者が経済のことを知らない日本、経営者が経営を知らない日本、銀行家がお金の活かし方を知らない日本が、今の日本の状態をつくりだした。

 日本が知らぬ間にそのようなことになったことと計量の世界のことを重ね合わせると、計量のことを知っていて計量の仕事をしているのかと、大きな自省を迫られる。計量行政機関も民間の計量器産業も、またそこで働くすべての人々が自分の仕事を総合的に振り返って見ることは無意味ではない。知らず知らずに陥るドグマ。人に自分の仕事を説明できない計量人は仕事ができない人である。計量制度を貨幣制度に対比して説明する人も計量制度を曲解している人である。計量制度の古い教科書が正しいのかどうか検証する意義は大きい。計量のもつ可能性に挑戦する人々は未来の計量を切り開く人々でもある。法律と制度は大事であり、計量制度は社会基盤であることは事実である。しかしそうした計量制度を計量技術と無理矢理に結びつけて説くのも間違いであり、計量技術は科学でもあり限りなく発展するものである。計量制度と科学の一つとしての計量技術を分離して考える視点もまた必要であることを指摘する。

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 社説・ある公務員OB計量士の仕事の終止符(03年3月30日号)

 ある会社と顧問契約をしている計量士がさばさばとした表情をしているので事情を確かめると、長年の勤労に終止符を打つのだという。顧問契約の内容は適正計量管理事業所の計量法に基づく計量管理であり、はかりの検査の指導など直接の技術業務も多い。後任に自分の後輩の計量士を指名して、会社勤めを辞める。この計量士は地方庁の計量検定所に長く勤務し、その後計量協会の事務局の仕事にも精力的に打ち込んで、その協会の法人化を実現するとともに財務基盤を強固にした。その事務局も後任に任せ、適正計量管理事業所の指定を受けている企業と契約して計量士業務に従事していた。

 自己の体力と気力に余力のあるうちにということで、契約している企業の計量士業務を公務員時代の後輩にたくした。今後は首都圏の背後に有名なハイキングコースがある新興住宅地の家での暮らしを楽しみ、計量士会などの仲間との交流を楽しむ生活に入る。

 この計量士は計量の仕事への慈しみに満ちた人であり、自分は一歩引いて仲間をたてる行動を貫いてきた。仕事の最後も後輩に活躍の場を与えるなど、その身の振り方は見事である。

 計量士業務は計量法の目的遂行ということで、この業務を通じて会社と社会に役立っていることは間違いないが、工夫も改善もないままにその職に従事し、しまいには計量法と職場にぶら下がって、倒れるまでその職を辞さないという事例に周囲の計量士が大いなる困惑をしている事例がある。計量士の仕事は旧来の業務を単純に遂行するだけでは駄目で、常に時代の状況にあわせて工夫と改善をしなければ、その事業所の指定の返上という事態を招く。計量士制度は法律に基づくものであるから盤石であるように見えるが、指定事業所制度、代検査制度に基づくはかりの検査実施に関してだけ規定されたものであるから、社会状況の変動があると、この制度が根こそぎくつがえることだってないとはいえない。

 計量技術の応用、計量管理と品質管理に関する技術を駆使しての計量士業務であれば、大変動など怖くはなく、多くの計量士がそのような業務を遂行している。計量士は自ら計量管理業務の成果を人に説明できなくてはならないが、それができない人も中にはないではない。

 計量の仕事を慈しみ、自らの仕事に自負心を抱く、ある計量士の「引退」場面に出会って、計量士業務を少し論じた。

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 社説・高度な製造技術は工場から人を消す(03年3月23日号)

  日本の工場が変わっている。コスト競争の進展がもたらしたものだ。工場の自動化は生産技術の発展とともに前進してきていたが、コンピュータを生産システムに全面的に利用することが可能となった今日においてこれが一気に加速した。

 次は神奈川県小田原市にある製薬会社と醸造会社の事例である。

 醸造会社の工場は建設後1年を経過したばかりの最新鋭工場である。大きな工場のなかに人の姿はほとんどない。ビンやカンに詰められた製造物は無人運転のフォークリフトで倉庫の所定の場所に運ばれる。醸造行程の全体は管理室で監視・制御され、工場内にはほとんど人がいない。日本最大規模のビール工場は3交代勤務で運転されるが、1勤務態勢で働く人は20人ほどである。

 製薬会社の荷物搬送と倉庫業務では無人フォークリフトが稼働し人の姿はない。工場のラインに人の姿はまばらで、遠隔監視できない部分を人が直接に受け持つ。この工場の設備には原材料の質量計量にロードセル式はかりが200基以上稼働している。はかりは原料タンクと対をなすような構造になっているので、それを見分けるのは知識のない者には至難である。

 あるモノをつくるという定められた目的のために全体が構成されているのが工場であり、機械と設備がたけたものになるに従って、そこで働く人の数は減る。

 同業他社との競争、海外とりわけ途上国とのコスト競争は、日本国内の工場の自動化・無人化を推し進める。

 日本の途上国との経済競争は、現在は人件費を含む製造コストをめぐる争いのようである。土地価格、工場建物建設価格でも日本は人件費と同様に条件が悪い。一般化した製造技術で一般化した商品の生産は途上国に移転する現象がつづいている。

 高すぎた土地価格は低下に転じている。人件費も低下傾向にあり、このさきバブル崩壊後の土地と株価と同じように人件費の大暴落の起きるのが経済の単純な原理である。日本社会の混乱の原因の一つは人件費のわずかな低下という条件のもとで国際競争を強いられてきたことである。しかし経済が日本社会に課する人件費低減圧力は大きくなっており、人員整理にともなう臨時雇用という形式をとっての企業の人件費削減は、労働者の賃金低下を呼び起こす。賃金低下は消費不況を招き、またデフレ経済の悪循環の泥沼にはまる。デフレの悪循環を止め、これからの脱却に政府の有効な経済政策が求められる。

 日本の製造技術の発達は結果として工場から人を消すことにつながってきた。消された人々の新しい働き口が創造され、同時に賃金の大きな低下を伴わないことが望ましい。日本政府の経済政策ならびに労働政策に手詰まり感があり、国民の政府への信頼も低下している。

 企業においては新商品開発、産業政策的には次世代産業の有効育成が大事である。個人においては飽くなき自己能力の開発が望まれるのであろう。

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 社説・計量管理は事業目的達成のための計量設計と実施(03年3月16日号)

 計量士制度ははかりの法定の定期検査と対をなしており、適正計量管理事業所の指定を受けた者ははかりの法定の定期検査を所定の様式を敷行すれば免除される。適正計量管理事業所は計量士を配備してはかりの管理をすることと、公的機関等の定期検査受検とに要する費用との比較を折に触れてしており、計量士を配備する費用がかちすぎている場合には、指定の願い下げをすることもある。

 製造事業所および流通関係事業所において、事業所全体の活動に計量を上手に組み込むことはその事業目的を達成する上で必要なことである。このことが計量管理と呼ばれていることであり、計量管理の専門知識を備えた計量士は諸部門の技術者ならびに経営中枢とも連携して事業所における計量管理の設計をしてそれを確実に動かして行かなくてはならない。計量士の仕事がはかりの検査と管理だけに限定された場合には、公的機関等による定期検査との費用比較すると、場合によっては計量士の配備費用の方が大きくなることがあるだろう。このことだけを見て計量士の役割を否定したり、適正計量管理事業としての指定を返上するということは、木を見て森を見ないのと同じことであり、計量管理の果たしている役割を知らないことがもたらすものである。

 計量士がしている仕事は計量管理であり、はかりの検査や管理の指揮と実行というのはその一形式である。計量管理は事業目的達成のため最適の計量の設計をしてそれを実施することである。製造分野においては製造商品の品質を作り込むためには計量が適正に設計されることは当然である。また商品に量目表記を付する場合には表記量目の許容上下限に間違いなく収まるような計量の設計をした製造装置を配備しているのである。

 多くの事業所では計量士を含む計量技術と知識を備えた者が、こうして装置の配備に構想・設計のときから関わり、実際の運転と管理という仕事もしている。流通業における計量管理も製造業のそれと本質的に変わりはない。計量管理は無駄を省くことにつながり、また事業所全体の仕組みに計量が適切に組み込まれていれば、その全体の行動には合理性が生まれ、つくりだされる商品やサービスの品質は確かなものになる。計量の設計の品質が低い事業所がつくりだす商品とサービスの品質は自ずと低くなるので、短期的な面として考えられる製造上のロスの増大は避けられない。また長期的な側面からは商品とサービスの品質の悪さから発生する信用の低下が出現する。

 計量管理と計量士の役割は以上のようなことであるので、事業所で働く計量士は計量管理と適正管理事業所の指定の意義を、どのような場面においてもまた誰にでも臆することなく説明することは、計量管理の実を上げることに通じる。

 品質の確かな商品とサービスの背景にはそれに見合う確かな計量の設計がなされており計量管理が実施されているのは、品質管理の初歩的な一般則である。したがって計量をさぼって繁栄した企業はない。また、計量は公平・公正の精神の上になりたっている。表示値をねじ曲げて解釈するようでは、その計量の意味が失われる。現代の社会では企業のたった一つの不正が企業自体の生命を奪う。計量には公正の精神がつきまとうのだから、計量管理にも企業の公正のシステムを組み込むのは当然である。計量管理と計量士の業務には、事業所の業務全体の公正さの管理も含まれているという新解釈を提言する。計量管理の実施は同時に企業モラルの管理でもある。

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 社説・計量協会はすぐにホームページを作ることができる〈03年3月9日号)

  都道府県ごとにある計量協会は時代の要請からホームページをつくらなけらればならないが、以下のようにするのが妥当な選択である。

課題1 どのようなホームページにするのか。

解決策=総会議案書のほとんどを掲載すること。会員事業所の氏名住所などを掲載すること。その他。

課題2 ホームページの内容を簡便により豊にする方法はあるか。

解決策=計量に関係した情報を広く提供しようとする場合には、社会インフラのような形で形成されている情報インフラとしての計量情報を利用することである。計量法ならびに計量器に関する情報は、経済産業省、産業技術総合研究所、計量関連団体のホームページにそれぞれ掲載されているから、それを利用する。インターネットに公開されている情報はこれを社会的に共用しようというものであるから、相互に積極的に利用することが望ましい。日本計量新報のホームページである『計量計測データバンク』はこうした計量計測情報のすべてを盛り込んであるから、これと連携することによって、計量協会などが独自に計量法に関する解説や説明の文章を新たに作る必要はない。これは計量関係の企業がホームページを開設ならびに充実させる場合に共通するもので、『計量計測データバンク』との連携で計量法情報を充実させればよい。

課題3 インターネットとパソコンに詳しい者がいなくてもいいのか。

解決策=生半可な知識を持った人がその気になるのが最悪のパターンで、直ぐできるものが3年かかってしまう。どのようなホームページにするかは、課題1とその解決策に示されていると通りであり、ホームページに背伸びは禁物である。身の丈、身の程の内容にしておくのがいい。

 日本計量新報社では、計量法の解説を含めた内容を盛り込んだ100ページ(画面表示上)相当のホームページを15万円で制作する。協会からは総会議案書、会則、会員名簿などのデータを提供すればそれでいい。内容をどうするか、協議して立派なホームページを1〜3カ月で作りあげてしまう。ホームページ制作に関して遠隔地依頼者としての不便、不利益は一切ない。また計量法と計量関係知識に関する内容をホームページに盛り込むためには日本計量新報社と契約することが最上の選択である。オーソライズされた計量法情報と関係知識をホームページに盛り込むことは日本計量新報社だからこそできることである。

課題4 ホームページの情報更新はどうする。

解決策=日本計量新報社とメンテナンス契約を結べばいい。内容によるが安い費用でメンテナンス契約を結ぶことができる。ホームページの内容の更新は随時で契約となっており、週単位、月単位で細かに内容を更新している協会と企業があり、実績もある。

 東京都計量協会は年6回発行される会報を日本計量新報社とのメンテナンス契約によって独自のホームページに掲載している。内容更新には電子メールで文書を送ること、ファクシミリで文書を送ることなどでできてしまう。少し分かる人が腰掛けでこの仕事をすると、更新のための手続き等が不明になってしまい、逆に悪く作用することが多い。

課題5 直ぐに大きな予算を計上できない場合どうする。

解決策=制作費用が仮に15万円であれば、3カ年決済計画にして、仮支出として帳簿上処理すればいい。それが無理であれば、制作は15万円の内容のものでしてしまい、支払いを3カ年に分散すればいい。

課題6 維持運営費が予算計上できない。

解決策=協会のホームページ制作を広報活動の上で重要なものとして位置付け、これまで計上していた予算をこちらに振り向ける。会員との連絡も電子メールにすることもできるので、可能な会員には電子メールで諸情報を流すことができる。従って通信費をこちらに充当することもできる。 

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 社説・ある企業のインターネットがらみ商品販売は20%に(03年2月23日号)

  企業の商品販売に関して購買者がインターネットで商品の内容を知り、それを価格とともに吟味してから購入するという割合が20%を超えているという数値をある計量器製造企業がユーザーへのアンケートでつかんだ。計量と計測に関係した機器の商品総量は膨大なものであり、このすべてをホームセンターを含む商店に陳列するのは困難であり、どんなに欲目に見ても10%にははるかに届かず、1%程度の展示率であろう。そのために商品パンフレットがありカタログその他があるのだが、こうした規制の商品紹介のための道具立てに加えて、インターネットの世界を通じての商品紹介が登場し急速に普及している。

 いまの時代は自社商品をインターネット情報網に掲載していない企業はないといってよい。インターネットで商品情報を提供し、購買者の閲覧に供することは企業にとっては初歩のことであり、大事なことは商品販売をそのような道具立てによっていかに増やすかである。企業の商品を掲載したホームページは通信販売の仕組みになっていなけらばならないものだが、このようになっていないホームページは即刻改造しなければならない。企業が独自に開設した商品陳列のホームページを通じての商品販売は商品によってはその率が軽く50%を超えることは十分に予測がつく。

 話が翻って商品の流通過程の変化がもたらす現象である。企業や個人の銀行の利用のほとんどは支払いのための現金の入出金である。預金も支払いのための一時的な蓄えに様相が強く、現金受払機の前の行列が長くなるのは振り込みなどで時間を費やす人が多いからである。銀行は預貯金のための現金の出し入れのための店舗を一気に閉鎖しており、代わってコンビニエンス・ストアのキャッシュ・ディスペンサーが急増している。銀行との関わりは企業の普通業務と個人の預貯金に関しては、窓口を通すことは格段に減ることが確実になっており、この先は個人のコンピュータと銀行のコンピュータによる決済に移行していく。

 計量器という商品の流通もインターネットの普及によって変化を受けることになる。ある企業の「インターネットで商品を知って、また調べてから購入を決めた」という事例が20%あったということから、未来を予測するとインターネットの情報網を通じての商品購入割合はうんと向上する。未来とはいわず現実に起こって振興しているインターネットによる情報革命の波に乗ることがビジネスを成功させる鉄則である。

 知らせたい、知って貰いたいといった自分の商品に対する欲望が、インターネットという情報ツールを用いることによっていともたやすく実現する社会になった。商品を売りたいという強い欲望をインターネットにぶつけると、自己のホームページの商品紹介部分の改良と改善に結びつく。商品社会においては自己が生産するあるいは扱う商品を売りたいという欲望の強さの度合いは、企業の競争力と比例する。この社会で発揮すべき真っ当な商品販売の欲望をもっているものが、次世代に生き残る者である。欲望のないものは滅び、欲望の強い者が生き残る。自己愛と自己の商品に対する愛情は、商品販売の欲望と結びつくものであり、商品の改良発展のこの関係の延長線上にある。

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 社説・計量法関係では環境計測分野が拡大・発展(03年2月16日号)

  組織には栄枯盛衰がある。「計量協会の活動が活気に満ちていたのは昭和30年代のメートル法運動の時だった」と(社)埼玉県計量協会会長の松村恒夫氏が2月4日に開かれた同会創立50周年にちなむ功労者感謝状贈呈式の席上で語った。同氏はその後の協会活動の変遷に触れ、現在は協会が埼玉県の指定を受けてはかりの定期検査を実施する指定定期検査機関として新たな社会的使命を担って活動している意義を強調した。

 地方の都道府県ごとに組織されている計量協会組織は、会員数が激減しその減少傾向に歯止めがかからない状態であり、昭和30年代の会員数を100とすると30を維持していれば良い方である。計量法の事業規制にかかわって会員が計量協会に組織されていたということがあり、事業規制の緩和あるいは廃止によって計量協会加入の動機付けの重要な部分が欠落したため、会員の減少が顕著になりその傾向が続いている。計量法は適正な計量の実施の確保にとって事業規制が必要ということで、はかり、体温計、血圧計の3器種販売は登録制とし、その後これをより規制の緩い届出制に変更し、さらに体温計と血圧計の販売届出制を廃止し、現在ははかりのうち一部のものだけが販売届出制の対象となっている。

 地方計量協会は計量法の事業規制の緩和と連動して会員数を減らし、組織の運営費の確保が難しくなっている。すでに会員数が減りすぎたため、組織の体を失い、名はあっても実を失っている地方の計量協会は10指を超えている。そうした組織では役員が意欲をなくしていることが多く、役員としての責任さえ果たせていない。ことに計量協会の場合には役員になっていても、協会が何をしなければならないかその責務を正しく認識し、責務を果たしている人は多くはない。役員として会務執行に意欲を持とうとしてもその動機付けに乏しいのが計量協会という組織である。これがメートル法運動のときにははっきりしていたので、活気もあり、また多くの人々が協会事業に好んで参加した。このへんは今昔の感があるので、会員が元気が出る会運営と入会メリットの創出を考えなくてはならない。一般会員に向けては関係事業に結びつく計量法などの仕組みと新しいできごと等を適宜知らせることであり、このために協会がインターネットのウエブサイトとしてのホームページを開設して、ここからこうした関係情報を発信し、また会員が必要なときに閲覧し、意見と情報の相互交流をする仕組みをつくることである。また会員事業所が必要な場面で協議や勉強会をする仕組みもつくることである。その他工夫すべきことは多い。

 計量協会のような組織は50年近く、あるいは100年を経てた後も、創立時と同じ理念で同じ組織構成員で同じようでいられることは難しい。時代が進んで新しい要素が加わればその要素をこなすような組織になっていなくては大体は組織は消滅する。計量法に関係した世界では、昭和40年代に登場した環境計測の分野がその後徐々に拡大・発展した。(社)静岡県計量協会は環境計量分野の人々を会員にして協会運営しているため他の協会に見られない活気に満ちている。

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 社説・計量器産業が創り出す新しい価値の創造(03年2月9日号)

  企業寿命30年説があり、これは創業から30年するとその事業が衰退することから出たものである。ある時期栄えた産業がそのまま栄え続けることは希である。繊維関係の産業では、ハイテク技術で他社を引き離してしまうか、別の産業部門に移行することなどが生き残りの条件になった。計量器産業部門にあっても昔栄え、今も栄えている企業は同じ計量器産業部門で新しい価値を創り出すことによって生き残り、また繁栄している。新しい価値とは計量器の能力を飛躍的に高める、計量器をそれまでより遙かに安く供給する、これまで計れなかったものを計れるようにする、その技術と商品で新しい計る部門の需要を創り出し発展させることなどである。

 人の目には形のできあがっているものはよく見え、これから形になるものは見えないのが普通である。これから形になる新しい事象および事物等を見ることができるのは特別の人である。しかし、物事ができあがる経過を見ていれば、別の事象の生成・発展・消滅と照らし合わせることによって、それがどのようになっていくかをある程度見通すことができる。次に生まれてくる技術や商品および産業に目を向けて、新しい需要を創造することに挑戦すること、あるいは想像されるはずの需要に向けてその準備をすることは、どのような企業にも必要なことである。このようなことができない、しない、企業の寿命はよくて30年といってよいであろう。

 また企業は一つの事業部門に固執する必要もない。計量器事業の部門も同じであり、ある商品部門の社会的寿命が尽きる前に別の商品部門の製造事業に転身・移行しなければならない。いま生き残り、かつ繁栄している企業にもどこかで苦しい状態があり、その苦しさを脱却する過程で新しい商品や事業部門を創り出している。10年、20年、30年、40年、50年あるいは100年の時間単位で見た場合に、困難なしに発展している企業は一つもない。どんな困難も企業発展の糧である。困難に負けない肝をもった企業であれば困難は絶好の機会になるのだから、負けるもんかと踏ん張ればいい。負けるもんかと踏ん張るとき困難の原因を突き止めておかなければならないし、用意は周到である方がいい。

 計量器産業は規模が停滞あるいは横這いであるように見えても、新創業企業がそこにはあり、他の部門からの参入もあり、また深く静かに周知前の事業を展開している企業が多く、これらの生産額は一般的な統計データに盛られないことが多いので、一概に停滞・横這いと言い切れない。計量器部門にいた企業が他部門の商品を製造している場合にはそれは計量器の生産統計に盛られることはないので、表出する生産統計資料だけに頼って計量器関係の企業は発展していないということはできない。計量器部門が小さな割合になっているにもかかわらず計量器部門には昔ながらの顔で接している企業も多いので、こうしたポーカーフェイスに惑わされてしまう。既成概念となっている計量器部門ではそこそこに見えても別の部門では王者になっている企業が幾つかある。

 生産統計データで見る限り計量器産業は、他の産業同様の推移をしている。良いとは言えない計量器産業の現状は、これまでの商品と事業の仕方では経営はその先々までも困難を伴うと考えてもいいであろう。すべての企業がそうである訳ではないが、計量器産業の現状を銀行やスーパーや百貨店になぞらえて企業構造の大転換をも視野に入れてた未来構想を練っている企業がある。

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 社説・計量協会販売会員の加入利益の創出策(03年2月2日号)

  都道府県ならびに場合によっては市町村ごとに組織されている計量協会の最大組織構成員は、計量器販売事業の届出に係る事業者である。計量法の計量器販売に係る規定が緩やかになるにしたがって協会加入の販売事業者の絶対数が漸減していながらも構成員比率としては特別に大きい。計量協会加入の計量器販売事業者の満足度を増進する事業創出が課題でもあるにかかわらず、有効策が見つからないというのが実情であろう。

 計量器販売事業に関して法的規制の度合いの強い順に免許、許可、登録、届出といった規制を課してきた。規制には歴史的背景があるとしても徐々に規制は緩んできており、現状は届出という一番軽い内容にとどまっている。

 計量法の計量器販売に係る直接的な規制は、実質的にはある範囲のはかり(質量計)だけであり、この販売事業を行う者は当該都道府県の計量行政機関に届出ればいい。計量器販売事業の届け出義務は、ホームセンター、金物店、スーパーマーケットその他当該はかりを販売する者に発生する。

 計量器販売が免許制の時代には免許を与えられる者は少数であり、免許さえ受けることができればそれによって計量器販売の商売が事業として成り立った。いまでは販売事業の届出をしても事業として成立するわけではなく、事業をするための手続きでしかない。また計量器販売を専業とする者の数は少ない。専業者とそれがごく小さな事業でしかない者とが同じ手続きをして、同時にそうした計量器販売届けで事業者が計量協会に加入しているという事実があるので、計量器販売事業者をほとんど専業者といっていい計量器製造に係る届出事業者と同じように理解してはならない。

 計量協会に加入している計量器販売事業者に対して計量協会は加入利益の供与策を講じる必要があり、そのための努力を続けている。協会加入利益の一つは、加入していることによる社会的信用の供与があげられるが、これで満足する会員は少ない。そこで考えられるのがインターネット社会の進行という現状に適合した事業を実施することである。

 現在はインターネット社会であるから、計量事業に係る知識、技術などの必要な情報を供給する当事者として計量協会が機能することが望ましく、すでにホームページを開設して会員事業者等に便益を供与している東京都、宮城、山口などの協会がある。計量協会がホームページを通じて会員利益を創出していくことは情報化時代における事業としては当然であり、組織体であればイの一番に手をつける課題といっていい。個人でも多くの人がホームページを開設して自己存在を主張し、またそれを通じて社会貢献をし、またコミニュケーションの手段として利用している状況に、計量協会の現状を対比すると今なにをなすべきか明らかになる。

 協会会員がすべてインターネットを利用している訳ではないが、それを利用している者に協会事業に係る情報サービスを提供することは必要であり、協会事業の目的である適正な計量の実施を実現するための一般向けの広報としても機能する。計量の宣伝としての「計量思想の普及」のためにインターネットのホームページはこの上なく有効に機能するものでこれを活かすべきである。

 計量協会が自ら作成する個別情報と日本計量新報社が開設している『計量計測データバンク』という計量関連の専門情報とを組み合わせて、会員に供与することによって、会員の情報に関する欲求は大部分満たされる。これから計量協会がホームぺーページを開設するときに考慮すべき最大のことはすでに構築されているインターネット上の計量情報を最大限に活用することである。『計量計測データバンク』を利用することはもとより、日本計量振興協会、経済産業省、都道府県計量検定所等が作成する公開情報としてのホームページを利用することである。

 そうした観点に立てば地方計量協会が独自のホームページを開設するための作業は簡単である。文章の準備は年度総会提出議案と会員名簿を揃えればいい。そうした文書の用意があれば日本計量新報社ですぐに実用に足るホームページを作成する事業を実施している。10万円程度の費用でこれが実現するがより充実した内容を望むのであれば、その費用を何年度かに分散すればいい。山口県のホームページ開設の事例と同じようにという内容で日本計量新報に依頼すれば計画から2カ月で間違いなくホームページができあがる。

 ホームページ制作は事業計画として何年にもわたって練り込むものではなく、いまある協会の事業とその姿を素直に現せばいいものである。また会員に送付する会報などもそのままホームページに掲載すればいい。会員の電子メールのアドレスを調査することは会員の住所や電話番号ならびにファクシミリ番号を知ることと同じ次元でとらえて、これを把握し、電子メールを通じて協会事業や会議の通知をすることも現代の情報通信技術のもとではしなければならないことである。体制の整った工業会等では会員向けの情報サービスとコミニュケーションに電子メールとホームページを活用しているのだから、計量協会もこれに習っていいはずだ。また地域的に遠隔地でも情報のやりとりに不便がないのが電子メールの発達した現代という情報化社会の現実である。

 問題なのはこうした情報化社会という実情にうまく適合できないでいる人々が運営する組織団体であり、アメリカなどに比べるとはるかに劣るパソコンへの対応やその知識・能力である。パソコンを習わない人にはパソコンが理解できない。パソコンと連動した電子メールやインターネット等の情報通信によって実現し発展している情報化社会への対応力に欠けるようでは現代社会のどんな事業をも実施することは困難である。

 目の前に大きく展開されている新しい情報ツールを活かすことはどのような立場の者にも求められることなのである。これを利用しないということは銀行の通帳を持って窓口に出かけて入出金の手続きをしているのに等しい。計量協会加入会員とのコミュニケーションは様々な形で旺盛に実施されることが望ましく、その手段として電子メールならびにホームページを利用することが望まれているのだから、ホームページを開設していない計量協会は直ぐにでも開設に着手したいものである。会員とのコミニュケーションが頻繁になされてこそ会員利益が創出され、退会を食い止める有効策となる。

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社説・田中耕一さんの語り口を真似よ(03年1月26日号)

 挨拶をする人があれば、それを聞く人がいるのである。挨拶する側の人は小数で、聞く人の側は多数である。挨拶をする人は主役のように勘違いすることが多いのであるが、真の主役はその話を聞く人達である。話をする人は主役である聞く人の身になってみることが大事である。そのことを心得ている人の話を聞くとうれしくなる。

 役所の人が来賓に招かれると挨拶の場面がつくられている。役所の挨拶を聞いていて一番うれしいのは手短な話で終わってくれることであり、同時に仕事の内容が要領よく折り込まれていることである。

 こうした場面では思いの丈を話の長さに変換して伝えることはできないのだから、話は要点だけでいい。詳しい内容を知りたい人にはそれが見られるような仕掛けをつくっておくのが親切であり、役所で働く人の務めでもある。挨拶する人はその内容を文章にしてホームページなどに掲出しておくといい。

 話をする人は場慣れするに従って要領が良くなるのが普通で、次第に聞く人を飽きさせなくなる。人を飽きさせない話には自分の経験あるいは地道な調査をネタにしていることが多い。人から借りてきたネタではその人が話をする意味がないのである。

 講演の場は長時間の話しになるので、ちょっとやそっとのネタでは聴衆は付き合ってはくれない。挨拶を講演の場と勘違いする人がいるもので、講演まがいの長広舌を立ったままで聞かされるのでは主客転倒である。

 話をする場として難しいのは、聴衆がすべて社長など会社のトップ達が集まっているところである。こうした場面で社員に聞かせるような話をすることは愚の骨頂であるものの、得てしてそれが行われ、そしてまたそのことに誰も気付かないことである。どんなに大きな会社の社長も会社を一歩出ればみな平等の世界にいるのである。そのことをわきまえている紳士は人に敬愛される。

 真の話し上手は、そのくらいの話なら私にもできると思わせる身構えない話し方ができる人である。話の中に知性、教養、技量をかいま見せてはならない。さらりとした話であっても後で思い出すと爽やかな涼風にも似た心地よさをもたらすものがある。これこそが話の名人であり、そのためには人間が磨かれていなければならない。その域に達する話し手は稀ではあるが居ることはいる。

 計量の世界でも演壇に登場する人は年を経るごとに少しずつ変わる。そうした立場になって新しく登場した人の話は初々しい。そして下手である場合が多いが、離れして初々しさが薄れた後に醜いスレ方をすることもある。場慣れするに従って美辞麗句を羅列できるようになる。実際には慣用句の結びつけに秀でてくるが、大体はそれと同時に話の中身が薄くなる。修飾語を一切廃して文章を作ると内容ははわずかの要素になる。要素を少し増やしてそれに脈絡をつけると中身が濃くなる。卓越した科学者の話はこのような組み立てになっているようで、ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さん(島津製作所フェロー)の語り口にこの典型をみる。

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   社説・計量器流通の新展開の可能性(03年1月19日号)

 世の中は変わる。事務所などで用いる文房具をはじめさまざまな用品がインターネット通販によって供給され、この分野で先鞭をつけたある事務用品企業が、それまでのシェアを一気に覆した。街の文具店、事務用品店を通じての流通が細っている。同じ現象は金物・日用雑貨販売部門にも起きている。計量器流通も同じであり、十年一日ではない。

 計量器と一言で言ってもその内容は捉えようによっては非常に広い。生活関連、健康関連の計量器はホームセンターなど大型店舗で販売される度合いを高めている。需要家にとって便利な販売方法、販売ルートに商品を載せることによって、それまでの需要量を格段に高めることが可能になる。ことに電子式の計量器は機械式に比べて価格が高いという状態に逆転現象がみえる機種もあることから、商品によってはホームセンタールートが主流になっていくものと思われる。巻き尺、直尺など長さ計は旧来の金物店よりも大型のホームセンターを通じて流通するようになっており、ほかの計量器でもこの傾向が顕著なものがある。

 ホームセンタールートに商品を載せようとすると、在庫量を大量に確保することが必要になるから、そうした生産方式が可能な製品か、在庫能力という体力にも似た力が求められる。

 計量器の流通ルートとしてインターネットでの通信販売が現実のものとなっており、大手通販企業の製品欄にも多くの計量器が掲載されている。計量器も電子メールで注文すれば翌日に届けられる「アスクル」時代になっている。さまざまな計量器製造企業の製品のすべてがそのような流通に乗るものではないので、企業それぞれに自前の「アスクル」を創出することが望ましい。時流に乗った「アスクル」の本物のその本体はインターネットに見事な仕掛けを作り、また需要家の手元に大きなカタログを配布してあり、そこから電子メールもしくはファクシミリで注文をとる。自動車輸送の宅配と電子メールの二つの要素が結びついて成立した新しい商品供給の方式である。

 計量器の世界で「アスクル」に匹敵するビジネスを起こす可能性が大きく広がっており、これは確実に前進するので、これがどのような形で成立し、展開するか興味深い。

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■社説・燃料電池自動車の市販開始と技術の可能性(03年1月12日号)

 現代の物流は自動車に依拠しており、将来的にもこの方式は変更できそうにない。化石燃料をエネルギーとして利用しつづけることの困難性が叫ばれて久しいが、このことを解決する決定的な技術が実用化した。燃料電池は発電用に一部で実用化していたが、自動車での実用化のもつ意義は大きい。

 自動車の動力源に燃料電池を利用する方式の実用車を2002年12月に発売したのはトヨタとホンダの2社で、日本のメーカーが世界に先駆けた。以後、各社が追いかけることは確実である。「これは、クルマの未来のはじまり」とホンダは述べている。

 燃料電池自動車の市販車第1号の2台が2002年12月2日、日本国政府に納入された。市販車第1号はトヨタとホンダの2社でそれぞれ1台ずつ納入され、同時に小泉総理大臣が試乗した。納入された燃料電池自動車は、水素と酸素を化学反応させて発生した電気を動力源とするもので、ガソリン車などに比べ燃料の効率性やCO2削減効果も高く、静粛性にも優れている。小泉総理は、挨拶の中で「燃料電池自動車の完成はもっと先だと思っていたが、予想よりも早く世界に先駆けて市販されることになった。日本は自然との共生と経済発展の両方に成功したと言われるよう、今後とも技術開発面での活躍を期待する」と述べた。その後トヨタ自動車の奥田会長、本田技研工業の吉野社長から車の鍵の引渡しを受け、それぞれの車に試乗して官邸内駐車場を一周した。納入式終了後には、福田官房長官と扇国土交通大臣が自ら運転して駐車場を1周し、関係閣僚も熱心に燃料電池自動車をのぞき込んだ。小泉総理は、今年度以降3年間で、全ての一般公用車を低公害車に切り替えることを指示しており、政府を始めとする公的部門は率先して低公害車を導入している。

 燃料電池とは、水素と酸素から電気をつくるシステム。その電気で、モーターを駆動して走行する。水素を燃料にするので、ガソリンを使わない。排出ガスはゼロ。水しか出さない、究極のクリーンカーである。ホンダでは「運転するたのしさも同時にかなえるべきだと考え、レスポンスのよい走りと素直なハンドリングを実現した」と発表している。燃料電池自動車は,20年から30年後にはガソリン車やディーゼル車に代わる主流の車になっている可能性がある。燃料電池による発電の過程は水の電気分解の逆。水を電気分解すると水素と酸素が発生するが、燃料電池は逆に水素と酸素を反応させて電気を発生させる。この電気が燃料電池のエネルギーの源となる。燃料電池自動車は現在普及している自動車にくらべて、環境面に優れている。従来の自動車が燃料から出るエネルギーの10〜20%程度しか駆動に活用できないのに比べて、燃料電池自動車は燃料からでるエネルギーの40%以上を自動車の駆動などに活用することができる。また排出ガス(H2O)がクリーンであるということも燃料電池車の長所。バッテリー電気自動車のように充電する必要がない。

 燃料電池の基本構造はサンドイッチ構造。水素や酸素を供給する2つのセパレーター、2つの電極(燃料極と空気極)、電極を結ぶ導体、電解質膜(イオン交換膜)で構成される。燃料電池自動車では出力を大きくするために燃料電池を積層している。燃料電池は積み重ねると体積が大きくなるので、小型で高出力の燃料電池の開発が行われている。

 燃料電池に用いる燃料としては、純水な水素以外に天然ガス、メタノール、ガソリンなどが考えられている。これらの燃料と高温の水蒸気を反応させることによって、発電に必要な水素を取り出すことができる。ただし自動車に搭載するということを考慮すると各燃料では利点もあり欠点もある。水素を燃料として用いる場合、排出ガスがクリーンであることや、燃料を貯蔵するためのシステムが比較的小型であることが利点となる。欠点としては、常温で気体であることによる取り扱い、インフラの未整備などがあげられる。対して天然ガス、メタノール、ガソリンを燃料とした場合には、燃料から水素を取り出すためのシステムが加わることと効率が落ちることが欠点となる。インフラの整備の面でアドバンテージがある。

 以下は販売されたトヨタとホンダの燃料電池車の概要。

 トヨタの燃料電池自動車はクルーガーベースに作られた圧縮水素仕様のFCHV4。トヨタはハイブリットは燃料電池へのつなぎの技術ではなく、燃料電池自動車にもハイブリットがコア技術となると明言する。回生エネルギーを可能にし、燃料電池をさらに効率よく駆動させるためにもハイブリットは必要だと主張する。さらにトヨタは独自のPEM型燃料電池にこだわっている。したがってFCHV4には、トヨタオリジナルの燃料電池がエンジンルーム内に積まれ、二次バッテリーがリヤの床下に積まれている。燃料電池の出力は90kW、容積あたりの出力が1・2kW/Lとかなりコンパクトになっている。水素ガスは250気圧(25MPa)に加圧され、この状態での航続距離は300キロメートル。近い将来は350気圧にまで高め、さらに航続距離を伸ばす予定である。駆動は前輪なので、FWD(フロントエンジン・フロント駆動)だ。モーターは80kWで260Nmを絞り出す。車両重量は1・95トン。

 同社の燃料電池システムのスイッチを入れると、「READY」のランプが点灯するまで約10秒ほどかかる。この間に加湿器・エアコンプレッサーが作動し、PEMに水素を送り込むアイドル状態を作り出す。ギアはないが、既存のATレバーを使って「P・R・N・D・B」というシフトパターンを採用。Dレンジは通常の走行で使うモードであるが、Bレンジは回生ブレーキがより高まるモードである。結果的にBはエンジンブレーキ、いや違ったアクセルオフによるジェネレーター・ブレーキが最大で21kWも可能。長い下り坂ではBモードで位置エネルギーをたっぷりと回収する。トヨタはハイブリットが燃料電池自動車にもなぜ必要かというと、この回生ブレーキが有効に生かされるからだと主張する。10−15モード走行では、ハイブリットを使うと燃費が40%向上すると述べている。

 市街地走行では快適な燃料電池自動車であったが、高速ではパワーが物足りない。試乗車は安全をみて出力は70%程度に抑えてあるようだが、60−100km/hの加速性能はやはり物足りない。どこかにリザーブパワーを隠しておきたいと感じる。インストルメントパネルには速度計と水温計と燃料系と出力を示すメーターが用意される。水温はPEMに送り込む水蒸気の温度を指している。室内の走行音はエンジンのような振動がない分快適である。ストレート6のエンジン音にも似たエアコンプレッサーの音が聞こえる。

 ホンダの燃料電池自動車のプロトタイプであるFCX―V3は、「ホンダEVプラス」(電気自動車)をベースに開発されたもの。FCX―V3の開発チーフ・エンジニアは「今回のFCX―V3には電気自動車とCNG(圧縮天然ガス)とハイブリットの技術が有効に生かされているのです」とすでに量産化した技術を導入していることを明らかにしている。電気自動車からは駆動システムが、CNGからは高圧タンクの技術が、そしてハイブリット技術からは、電気アシストと回生を受け持つキャパシター(コンデンサー)が生かされる。試乗に用意されたFCX―V3のトランクには250気圧のカーボン・コンポジット製の圧縮水素タンクが搭載され、床下にはPEM型燃料電池が搭載される。

 FCX―V3の心臓部となる燃料電池はトヨタと同じくホンダ独自の燃料電池も開発している。FCX―V3の特徴はトヨタよりも小型なボディで開発しているので、PEM型燃料電池の出力は62kW。車両重量は1750kg。

 スタートはパソコンのキーを押すような感覚だ。システムが起動するのに10秒くらいの時間がかかる。これはトヨタのクルーガーFCHV4とほとんど同じだ。発進はすばらしくスムーズに行われる。キャパシターに蓄えられた電気が燃料電池のパワーをレスポンスよくアシストするから静かな3Lクラスのエンジンと同じ。システムのエネルギーマネージメントとして、メーターパネルにはキャパシターに回生されるエネルギーと放出されるエネルギーが黄色のインジケーターで示される。メーターで見る限り実際のキャパシターの反応は素早い。0・60km/hまでの加速では実用上問題はないが、燃料電池の課題はやはりトヨタと同じ高速時の加速性能にある。市街地走行では満足できるFCX―V3であるが、室内の静粛性でも快適。しかし、燃料電池に圧縮空気を送るコンプレッサーの音が気になる。タイヤからのロードノイズも大きい。音の問題はすぐ解決されるとホンダでは考えている。ハンドリングや加速性能で他社をリードしたい考えのようだ。FCX―V3は最高時速が130km/hと発表されている。目標性能は高いようで「F1で勝つことも燃料電池で勝つことも同じように重要だし、夢を実現するという気持ちでは変わらない」とホンダ役員が述べている。この分野にかける意気込みは大きい。当面の課題は「信頼性とともに、低温時の始動性、航続距離の向上」という。

 市販された燃料電池車はそこそこ走る。これまでに発売されている蓄電池搭載の電気自動車およびこれとガソリンエンジンを組み合わせたハイブリット自動車が販売数量を大きく伸ばしていないので、燃料電池車がどのような発展方向をとるのか予測困難ではある。しかし、化石燃料を使わないこと、排気ガスがきれいなことなど革命的な技術を搭載した自動車であることに違いはない。エネルギー問題に関しては、太陽電池が期待されており、これに燃料電池による発電が事業所や家庭で個別にあるいは地域的に行われるようになることも想像される。

 技術開発を推進するには大きな夢を持たなくてはならない。あわせて挫けない精神あるいは執念が必要である。燃料電池車が持つ利点は明確であるから、自動車メーカーが開発・改良に大きな力を注ぐことを期待すると同時に、利用者の立場にあるもの、国民も政府もこれを後押しすべきであろう。

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  社説 ・日本を担うモノ造り産業と計量(03年1月1日号)

   日本の経済が新しい状態に向けての過渡期現象が現在の経済低迷だと割り切ってみても、政治と行政の側の新しい経済の状態に対する認識が不十分のように見え、内閣の経済政策は成功していない。不況対策のための政府の財政出動は、少し油を注いでは、直ぐに冷やすということの連続で、これでは治りかけた風邪がぶり返すことになり、下手をすると肺炎を起こして重篤になる。日本には経済学あるいは経済そのものに通じた人がいないか、なすべき経済政策について世論を喚起し、国民、経済界その他との合意を形成することができていない。

 日本経済の病根は、銀行などが抱える不良債権である。この不良債権は景気が低迷するほどに雪だるま式にふくれあがっている。不良債権の始末なくして銀行業務の正常化は期待できない。こうした銀行など金融業の不良債権の実態が隠蔽されてきてきた。政府も騙されたであろうが、騙す方とどちらにも責任がある。デフレ経済下、経済規模が縮小し、物価が低落するほどに不良債権が後から後から発生する。

 経済は技術革新を基礎とするイノベーションによって進展する。世界の経済が第2次産業主体から第3次産業主体に移行しつつある。ここでは情報技術を背景にした情報化社会という想像を超えた新しい要素と、国際的な大競争を背景にした国際化を加えて、急激な進展を見せている。

 日本企業は国内的なコスト競争から国際的なコスト競争を強いられ、国際的なコスト競争は途上国などに生産を移す海外生産を普通のものにしてしまった。人々が求めるより良いものをどこよりも易く提供することは企業活動の原点であるから、この道理がさまざまに働く。日本の金融業も日本の政府もいろんな意味で井の中の蛙である。政治家は投票権を持つ有権者の1票のみに目が行き、金融界は担保となる土地資産だけを当てにして融資してきた。バブルに踊ったつけは銀行など金融業だけに来たのではなく、冷静に対処した人々にも国への不安、社会の不安定という形ですべての者に振り分けられて襲ってきている。絶つべき病根が分かっていて、それを切除できないでいる日本は経済よりも政治の方が救いがたい状態にあると言っていい。

 この国の1億2千万人の国民が世界の中で自らの働き場と役割をしっかり見つめ、生き甲斐と希望を見つけ出していくことは大事なことである。日本人の得意分野はやはりこの間やってきたモノ造りであると思われる。計量計測は社会のどのような分野にも関わっていて欠くことが出来ないモノであるが、計測技術は現代の先端的ハイテク技術として象徴的に語られるナノテクと密接不可分でやってきたことであるから、その技術の多面的駆使、応用の観点をあわせて重要な位置にいることに変わりはない。計測技術に関わる分野で仕事をする人々の奮闘と実りある成果に期待する。

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