日本計量新報の記事より 社説 2001/01-04

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■社説・不確かさ概念の普及とその対応(01年4月29日号)

 ここへきて測定誤差を「不確かさ」で表記する事例が増えてきた。計測の信頼性を定量化するのに、これまで「誤差(error)」という概念で取り扱っていたものを、「不確かさ(uncertainty)」という概念で取り扱おうということへの対応の具体的動きである。

 「誤差」は「測定値の真の値から差」と定義されるもので、こうした定義に立脚すると、測定量の真の値が分からなければ、誤差は分からないということになる。計測の信頼性を定量化する場合の誤差概念は、上記のような計測の宿命とも思える要素を抱えていた。

 これに対して「不確かさ」概念は、真の値を想定せずに計測の信頼性を定量化できるものとしてつくられている。「不確かさ」は「測定の結果に付随した、合理的に測定量に結び付けられ得る値のばらつきを特徴づけるパラメータ」(不確かさガイドおよびVIM第2版、VIM3.09)と定義されている。

 不確かさ概念は、1993年に計測に関わる国際度量衡局(BIPM)、国際法定計量機関(OIML)、国際電気標準会議(IEC)、国際標準化機構(ISO)など国際的な7機関が共同執筆の形をとて、ISOガイド「計測における不確かさ表現ガイド」ならびに「国際計量基本用語(VIM)第2版」として発表されたものである。そもそもの始まりは1977年に国際度量衡委員会(CIPM)が、国際度量衡局(BIPM)に対して誤差評価方法の検討を諮問したことに発する。諮問への回答として、作業部会がまとめた案をCIPMは1981年にCIPM勧告「不確かさ表現に関する勧告」として発表した。同じ勧告を1986年に再確認している。これが現在「ISO不確かさガイド」と通称されている文書である。

 この「ISO不確かさガイド」は発表の前後から、今までの誤差評価の方法が大きく異なるため、議論を呼んでいたが、国内外の計測に関わる機関で利用の度合いが増加している。推進役の国際度量衡局が扱う国際比較や雑誌掲載の論文には「ISO不確かさガイド」にそった表記をしている。このガイドは、作業現場から基礎研究の場面にまでおよぶ計測に適用範囲をもつものである。不確かさ概念はなじみにくいが覚えなくてはならないものである。

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■社説・人類の将来は計測によって決まる(01年4月22日号)

 「計測とは何であるか」ということを計測に関係している人自身がよく知らないということは、計測の可能性が知らない人自身には限りなく大きいということでもある。ロボット好学者は「計測がなくてはロボットは動きません」と計測の役割を話す。人類は500万年の歴史をもつが計測した証拠が見つかっているのは13500年前のこととであり、計測の歴史はが保有する人類の歴史に占める時間割合はわずか1%に過ぎない。人類が計測を始めた証拠となっているのは、13500年前のウクライナのゴンツィ遺跡で発見された月の満ち欠けを記録したマンモスの骨である。

 人類は5000万年前に誕生、300万年前から石器を作り、200万年前には狩猟と採取した食糧を根城に運んで、これを分配するようになった。ものを計るようになったのはずっと後のことであるものの、文字を発明する以前に計測の方法は知っていた。ゴンツィ遺跡のマンモスの骨の月の運行の刻線から5進法が用いられていたことが伺い知れる。新月、上弦、満月、下弦、新月の4つの月齢に相当する節目の線が他の1日ごとの線よりも長く刻んであり、この線の反対側には5本目の線が長く刻んである。

 骨に刻まれた印は意味があるものであるが、言語を表記する文字の発明はずっと後のことである。そうすると人類は意味のある印として計測を示す記号を文字よりも先に使ったのである。

 人類は月の運動を観察しその運行の周期・法則をマンモスの骨に刻んで記録した。同じようなことが季節の運行、河川の変化に対してもしていたことであろう。

ゴンツィ遺跡のマンモスの骨にある短い刻線と長い刻線は明らかに記号である。記号の数を増やしていくとより多くの情報が記録できるようになる。文字は言語を記号にしたものといっていいが、文字は組み合わせによってざまざまな意味を記録できる。文字より先に計測の記号があったということは、計測を通じて人類は自然世界を理解するようになったことの証明でもある。

 計測が社会にもつ意味は何であろうか。それは自然法則を知るための手段であり、自然を人類のために役立てるための手段である。計測を利用すれば人類はもっと文化や文明を発展させることができるのである。

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■社説・ナノ技術とピコ計測技術の開発(01年4月15日号)

 計量のことを計測といったりいろいろな表現形式があるが、日本の平易なことばでは「はかる」ことである。はかることを上手く機能させるためには、はかるための社会機構としての計量制度を形づくることが必要であり、計測技術も発達させなくてはならない。計測技術の現実的な形は計量計測機器であり、計測機器の発展度合いが計測技術の状況ということができる。

 社会の発達と平行して人類はものを深く知るための方法として計測を巧みに活用してきた。現代ではナノ技術ということが叫ばれており、国際間でこの技術の競い合いがなされている。米大統領時代のクリントンが情報技術とともに言いだしたナノ技術であるが、ナノ技術を根底で支えるものは計測技術である。作ること、加工する技術と計測技術は表裏一体のものである。ナノ技術のためにはナノの上のピコ計測技術が開発されなければならない。この方面の発達に大いに期待したい。

 ナノ技術、ナノの上のピコ計測技術といいだすとそこにだけ目が行きがちであるが、計測技術は幅広いものであり扁平な矮小な目でこれを見てはならない。

 人間の精神のなかに数という観念がはいったのはそう古いことではない。そして数の観念の発達が計測技術や科学技術の発達と重なっている。ニューギニアのある部族は数は1、2、3まで数えて、それ以上は「たくさん」ということになる。ある種族はそれが20までであるという。数の観念を大きく発展させてきた歴史が計測技術を発達させてきた歴史でもある。

 近年の計測技術では不定量の物を定量に揃えるという発明をして、社会発展に貢献した事実がある。また人体の静電容量から身体の脂肪の量をはかるという発明もなされた。

 何かをしたい、こうしたい、ああしたいという欲望は計測技術の発達や発明を産む。その欲望が顧客からでるものか発明者本人からでるものかは問わないにしても、欲望も必要も発明の母である。

 日本の経済は規模の拡大が滞っているが、これは旧来の技術や製品に人々が飽きたことによるものでもある。計測することによって物事がよく分かるようになるのであるが、新しく物事が分かるようにするのが新しい計測技術であり、計測機器の発明であり、商品の開発である。

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■社説・都計協のホームページが立ち上がる(01年4月1日号)

 (社)東京都計量協会は、情報インフラであるインターネットを活用した21世紀型の協会活動を推進するため、このほどA4判換算で120ページに達する大規模なホームページを立ち上げた。120ページという規模のホームページは、計量関係では日本計量新報社のホームページである『計量計測データバンク』にはデータ量としてははるかに及ばないものの、これに次ぐ規模公開ホームページとなっている。内容的にもオリジナルな情報を大量に掲載しており、品質も高い。

 都計協のホームページは631社の会員事業所の住所、電話、FAX、代表者、主な取り扱い品目を内容に折り込んだ名簿を掲載している。これにより会員事業者は全会員インターネット上に社名、住所等の基本情報が掲載されていることになり、そこには取り扱い品目も記載されているので、営業の面でも実際に役立つことになる。

 ホームページに掲載されている他の情報項目は、組織・役員、定款、協会事業の概要、計量法の解説等計量情報、会報「とうきょうの計量」の全部、協会設立の沿革、50年のあゆみ、過去の叙勲褒賞等各種表彰者、過去の都計協会長表彰者、創立50周年式典のもよう、講習会等催し物の案内の窓、講習会・会議申込の窓、問い合わせの窓、リンクなどである。

 事業関係の紹介内容としては委員会に委ねられた権限が限定的であったこともあって、協会事業や各部会等の内容の紹介への踏み込みが不足していることは否めないが、今後「ホームページ委員会」が継続して活動することになれば、部会その他との緊密な連携のもと事業にも都民の暮らしを支える計量の推進のためにも一層役立つ内容のものとして仕上げられる。

 したがって今後は部会ごとにあるいは事業部の活動推進にあたっては、ホームページがもつ計量計測情報バンクとしての機能を重視して意識的に関係のデータを蓄積することが望まれる。部会ごとの議事録や技術資料をホームページに掲載していれば、会議に出席できなかった会員でも関係情報の入手が可能であり、資料の保管庫としても重宝である。

 東京都計量協会はホームページ制作にあたって「ホームページ委員会」を組織して一年間活動してきた。委員の清宮貞雄氏(委員長)、森川正彦氏(副委員長)、大原誠氏、植村敏実氏と本紙の代表者横田俊英は、インターネットと情報化対応に熱心な人々であり、渾身の力を絞って120ページのホームページを作りあげた。ホームページ制作では、協会手持ちの貴重な情報資源を活用するという考えを当初からもって望んだ。清宮貞雄氏と横田俊英は『社団法人東京都計量協会50年のあゆみ』刊行委員会で作業したこともあり、あゆみ刊行のに際して収集・整理した電子文書となっているデータをそのまま活用する方策をとった。文書活用では森川正彦氏、大原誠氏がデータ変換その他で見事な働きをみせた。ホームページ制作にかかる文章の整理、アップロード等、実際の作業は日本計量新報社に業務を委託した。

 「ホームページ委員会」は、委員が会社業務を一段落させたあとの午後5時半から開始され、情熱的にかつ献身的に活動した。その結果の120ページの東京都計量協会のホームページであり、これに今後協会事業の濃密な情報を加えることによって一層高品質な価値の高いものに仕上がっていくことになる。

 また都計協のホームページは日本計量新報社の『計量計測データバンク』あるいは会員企業、東京都計量検定所、経済産業省、計量関係団体および計量士等個人のホームぺージとリンクされているので、計量計測に関わる現時点でのインターネット上の全情報にそのままアクセスできる。

 いずれにしても都計協のホームページは会員の立場からも、都民の立場からも品質の高い大きな情報量をもった価値あるデータベースの一つである。

(社)東京都計量協会のURL=http://www.tokeikyo.or.jp/

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■社説・計量団体の長の責任を考える(00年3月25日号)

 法人の約束に対する認識に疑問を感じることがよくある。団体・組織には歴史があり、その歴史の中で世の中や人々と直接に間接に約束したに等しい事項が必ずあるはずだから、その約束を違えないようにしなければならないが、団体の役員が変わると約束事が反古にされることが多い。信用とは約束事を守ることの積み重ねで築かれるものである。企業も団体も法人であるが法人は約束を守らないことが多い。

 日本の企業は役員が変わるたびに会社の方針がころころ変わり、前任者との約束を後任者は約束と思わないと、中国人を始め外国人に言われる。日本人の目からも同じことであり、企業以上に団体の場合には前任者の約束を後任者は約束事と思わないことが多く、責任を感じないことは責任を果たさないことにつながる。

 同じ現象を企業が団体役員に人を送り出している場合にもみる。団体の長として活動した企業責任者の後任者には、前任者が退任後にも負うべき責任を果たそうとしない者がいることは残念である。
 計量関係の団体の長の責任として、その団体が以後も着実に発展するように、後任を周到につくりあげるということがある。団体の長の交代に関しては日本計量史学会の会長交代があり、会長の岩田重雄氏は3月31日までの任期を前に後任に会発展の責任を委ねた。日本計量史学会の会長には4月1日から蓑輪善蔵氏が就任する。岩田重雄会長の下で会員数の増加に成功し、同会長の人望により集結した多方面の研究者が同会で研究成果を発表するようになった。

 日本計量史学会は新会長の蓑輪善蔵氏によって次の発展を模索することになるが、役員数を増やして幅広い研究分野の役員が会運営に当たることになっているので、これまでの活動を土台にして着実な前進がはかられることになるはずである。岩田重雄氏は日本計量史学会会長就任に当たって「分不相応の大任であり一期で次の方に必ずお願いする」と公言していたように、任期満了までに体制を確立して新会長に任を委ねている。

団体の長の責任を考える場合に、その就任期間を念頭におくことは大事であり、会の発展の新しい礎を築いたならば余力を残して、任を渡すのが望ましいことであろう。

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■社説・日本の企業行動と即物的実用主義(01年3月18日号)

 企業には文化があり、組織にはその組織固有の文化がある。この文化が崩れるときその組織は存亡の危機に見舞われる。日本の社会や経済は行く先の見通しを持てないうつろな状態にある。日本という国と日本人という民族は何を考えながらここまで歩みを進めてきたか。銀行も生保もゼネコンも目先の利益につられて行動したため、自己を滅ぼしかねない泥沼にはまってしまった。組織が企業であれ団体であれ国であれ、その組織の目的と使命を見失ったままとる行動は危うく、それが崩壊を招くことが多い。

 日本は戦後復興のなかでの成長現象が続いてきたため、多くの日本人はどんな組織でも生き延びるという誤認や錯覚を抱くようになった。計量の世界の戦後を、計量器製造業者の数の視点から概観すると、限りない淘汰、生き残りのための攻防戦であった。モノサシなど長さ計の製造事業者で終戦直後から事業活動をしてきていて生き残っている者は少ない。他の事業にも同様の傾向が顕著であり、そうした生き残り戦は今なお続いている。

 企業が生き残っていくためには、その企業が確かな自己認識を持たなくてはならない。企業や組織がおのれ自身を良く知るということは決してたやすくない。おのれ自身を知るためには、個人でも組織でも自己の生い立ちを含めた歴史を良く知り、その上で深い省察をしなければならない。自己認識のための思考は、日常でもすべきものであり、また立ち止まって時間をかけたより深い思考を加えることも必要である。おのれを知るということは人間も組織もなす行為のうちで一番難しいことである。

 企業も組織もおのれを知らなければならない。企業や組織がおのれを知ることは、所属する構成員の帰属する共同の意識ともいうべきアイデンティティという言葉で表現される文化を持つことでもある。企業はあるいは組織は、組織を構成する人々も含めて企業としてもアイデンティティを持たなくてはならない。企業のアイデンティティは、その企業が明日を生き抜く力の一つになる。

 組織の責任者がかわったとき、その組織は一つの危機に直面する。危機に直面したので責任者がかわることがあるが、そうでない場合でも組織のリーダーが新しくなったときにはその組織は発展する可能性と没落あるいは崩壊する可能性を同時に内包する。

 本当に役に立つものは派手ではなく目に見えにくいものであることが多い。少なくとも戦後の日本人はアメリカ文化の影響か、即物主義と実用主義にかたよってしまい、長い時間を通じてみれば有効なことを放り出した。このような精神土壌があるものだから後先のことを考えられなくなって無知蒙昧の経済行動に走ったのである。

 企業行動の背後に英語が沢山並ぶ突撃の鼓笛が聞こえるときには警戒を要することも事実であろう。

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■社説・計測の辻褄とトレーサビリティ(01年3月11日号)

 当たり前のようにモノをはかる貴方、その計測は果たしてそれでいいのだろうか。

 はかるということはそれを何かと比べているのであるが、比べることの元になってるのが計測の標準である。だから貴方の計測は標準と比べてどのぐらいの正確さのズレがあるかということを知っておくことが大事である。

 計測器に目盛りが細かく付されているからといって、その計測器が目盛りの細かさに比例して正確であるという保証はない。世の中の計測機器はその計測機器が扱う計測量の標準とある正確さの関係をもってつくられている。計測機器をつくる側はどの程度の正確さでのものであるかということを予め想定しているのであるが、それを使う側になるとその計測器が想定した正確さを度外視して使うことがある。計測器をつくる側の知識と使う側の知識は同じであることはなく、使う側に必要な程度の知識があればいいのであるが、世の中を見渡すと使う側の知識がおぼつかないと感じさせる。

 モノをはかることと計測のトレーサビリティとは同一の概念の中に組み入れられていなければならないものである。計測機器を使う世の人々は多くの場合その計測器を信じすぎており、また不確かなはずの計測値を鵜呑みにすることが多い。すべての計測機器とすべての計測結果には誤差が含まれていることを知らなければならない。

 いつか埼玉県所沢市の農地のダイオキシン濃度がテレビで発表されて、当該農地から産する農産物の販売に影響を与えたことがあったが、このとき発表された測定値は信ずるに値するものであったか疑わしい。測定器の正確さ、また測定値の信頼性など測定条件そのものに検討を加える必要があるにも関わらず、どんなはずみかで表示された測定値がテレビ報道にのると世の中を騒がせてしまうのもである。

 その意味では計測に関して人間はもっと賢くならなければならない。

 以下に引用するドイツの小話に出てくる「パン屋と老婆」の質量計測の話は、計測の確かさ、更にいえばトレーサビリティの本質を衝くものであって面白い。パン屋と老婆の間での辻褄は見事にあっており(コンパティブルである)、おあいこなのであるが、社会性をもたないものである。

【ドイツの小ばなし】「老婆とパン屋」(コンパティブルだがトレーサビリティ不足だった質量測定の例=日本計量新報社刊『トレーサビリティのすすめ』から引用)

 ドイツにこんな話がある。
 農家の老婆がパン屋の主人に訴えられて、役人の取調べを受けた。

 訴えによると、老婆が1キログラムと称して毎日パン屋に届けるバターの目方は、実に850グラムほどしかないのだそうである。そこで役人がたずねてみると、老婆は立派な天びんを使ってバターの目方をはかっているのだが、困ったことに、孫が分銅をおもちゃにして見失ってしまった。

 「けれども」と老婆は自信を持って答えた。「わたしはパン屋で黒パン1キログラムを買い、それを天びんの片方のさらにのせ、それと釣り合うだけのバターをもうひとつのさらにのせて、パン屋に届けております。目方が違っているはずはございません」と。目方をごまかしたのは、実はパン屋のほうだったのである。

 この話は、ものの量ということをめぐる権利義務の問題や、量をはかる時の単位や標準の問題に関して、軽妙かつ辛らつな風刺をなげかけているように思われる。このばあい、天びんもはかり方も正しかったのだからどこにも間違いはないのだと解釈する人が、あんがい多いのではあるまいか。パン1キログラムとバター1キログラムの値打ちがたまたま等しければ、取引の上での権利義務には問題がないと言えるかもしれない。しかし、あずき、もち米、あるいは金、宝石、麻薬などの話を思い出してみるならば、この、どこか牧歌的なドイツ小話とは比べようもない、どす黒い係争事件が現代社会のどこかでたやすく発生しうることがわかる。

 社会における物資の健全な流通のためには「分銅をおもちゃにして見失ってしまうこと」は、やはり許されないようである。

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■社説・法隆寺五重塔心柱の伐採年確定と計量史学(01年3月4日号)

 聖徳太子ゆかりの奈良県斑鳩町の法隆寺五重塔の心柱が伐採されたのは594年であることが、奈良県国立文化財研究所の年輪年代測定法による調査の結果確定した。法隆寺は607年ころ聖徳太子が創建したとされており、日本書紀の670年(注:この日本書紀の記載については干支を一巡さかのぼらせて610年とする説もある)の年次の4月30日には「夜半之後(あかつき)法隆寺災あり一屋も余すことなし」とあり、法隆寺は火災により焼失し、711年ころ法隆寺五重塔が再建されたとされている。聖徳太子が建立した最初の法隆寺遺跡が発掘調査で確認され、若草伽藍址と呼ばれている。法隆寺焼失の記録を疑問視する説があって、それは若草伽藍址の出現で否定されたのであるが、このほど判明した法隆寺五重塔のヒノキの心柱の伐採年が594年と確定したことで、670年に焼失したのち711年ころ再建された法隆寺五重塔の心柱の伐採年と再建年との差が117年もあることにはどのような意味があるのかという新たな謎を解き明かすことが必要になってきた。

 年輪年代法とは、一年ごとにできる木の年輪は、日照、雨量、災害などの条件で幅に違いが出るので、一定の地域では年輪幅が同じパターンになることから、出土資料などの年輪幅の変動を、既につくられている標準パターンと照合し、その木の伐採された年を知る方法である。この方法はデータが蓄積されるに従って地域ごと、樹木ごとの年代測定の精度が向上している。

 年代測定の方法として様々な方法が考え出されてきており、人類が文明をつくりあげた数千年前までの年代測定の方法を抜き出すと、
@天然放射性核の崩壊を用いる方法(3H法、14C法、210Pb法、137Cs法、その他)、
Aフィッショントラック法、
B熱ルミネッセンス法、
C年輪年代法、
D黒曜石の水和層法、
E考古地磁気法
などがある。
 考古学あるいは歴史学は自然科学分野の助けなどにより、新しい事実を確定してきて近年になって大きな成果をあげている。そうした成果の一つとして日本人はどこからきたか。つまり日本人の起源あるいは日本国の起源はどこにあるか。また日本の文化と中国、朝鮮の文化との関わり。さらには都道府県ごとの住民の人種性、文化的特色などの細かな部分も分かるようになった。それはアイヌ語と東北弁など現代日本語との関わり、朝鮮語と近畿地域の言語の関連などにも及んでおり、日本人の過去、すなわち履歴がかつてないほど綿密に分かるようになっている。

 計量史学という学問分野、研究分野がある。計量史学は、計量に関するすべての歴史的事実などを解き明かすことを通じて人類の豊かな未来を切り拓く糧にしようとする学問であり、他の学問分野と連携によって人類の過去の姿を詳しく知るために方法の一つとして役立つ。

 遺跡の柱穴を足がかりにそこで使われていた尺度の割り出しや計測技術、あるいは建築技術の水準を探る研究がある。また遺物として残された分銅の質量標準の決め方から、古代文明同士のつながりや影響の度合いを割り出す研究も進んでいる。使われていた計量の単位、尺度から民族や人種の歴史を知ることができる。それは日本列島に住み着いた古代人にはどのような系統の人々がいたのか、その人々がその後日本列島のなかでどのような移動の経路をとって現代につながっているのかを明かす手がかりになる。

 法隆寺五重塔の心柱の伐採年代の確定に年輪年代法という計測の手法が利用されたことで、考古学分野における計測学あるいは計量史学の役割が日の目を見たことは喜ばしいことである。

 日本へ伝来した進んだ文化である仏教によって国を治めようと試みた聖徳太子は、日本における最初の思想家、哲学者であったといえる。17条の憲法は儒教思想の色濃い人の生きる道しるべを示したものである。

 聖徳太子の時代になって日本は中国で大きく育った文明を受け入れることをした。この頃には日本に受け入れるに足る社会状況が備わりつつあった。法隆寺建立に前後する602年には、僧観勒(かんろく)が渡来して暦法、天文、方術などを日本人に教えた。また612年には味摩之(みまし)が渡来して伎楽を教えた。法隆寺建立に先立つ飛鳥寺の建立(開始は588年、完成は596年)にあたっては、百済から工人たちが渡来しており、渡来系技術者の指導によって寺社建築が行われた。法隆寺建立でも類似のことがあった筈である。仏教の伝来は538年(552年説もある)とされており、その後の日本における仏教文化に関係した格段にすぐれた建築技術、農業技術、思想・哲学、医学等が日本に急速に普及した。

 百済経由の中国文化すなわち日本からすると驚愕すべき高度なテクノロジーおよびフィロソフィーは、6世紀の日本に移植され、飛鳥文化の展開を可能にする前提条件となった。聖徳太子の治世(摂政)のもとで、それまでの大陸の新文化の消極的な受容から積極的摂取に変化した。

 中央集権国家としての骨格を形成する基礎を築いた聖徳太子は、日本思想史上最初の哲学的思想家として評価されるが、太子の死の直後から仏家によって超人間的な権化として偶像化された。

 太子が死んだ直後に、太子が属した蘇我一族を滅ぼした藤原鎌足の藤原一族には災禍が連続したので、これを太子の怨霊のためだと考え、その怨霊を鎮めるために法隆寺を再建した。法隆寺再建にあたって蘇我氏の象徴であり、日本における仏教発祥の象徴でもあった飛鳥寺の五重塔の心柱を移設したのだというのが、哲学者の梅原猛氏の説であり、そのことは同氏の著書『隠された十字架』のなかで主張されている。
飛鳥寺五重塔の土台石が昭和31年から始められた発掘調査で確認されている。

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■社説・産業設備概念の計量計測器と景気影響(01年2月18日号)

 2001年が動き出して間もなく3カ月になる。この間各種会合で交わされた計量関係者の言葉を拾ってみよう。

 行政関係では通常国会にダイオキシンなど極微量物質も計量を計量法に取り込むための計量法改正を提出するための準備にかかっており、無事通過させるために全力を尽くしていることを、担当の経済産業大臣政務官政務官の西川太一郎氏が力説した。地方公共団体関係では指定定期検査機関の指定への関心が高まっており、その是非について周囲の状況を伺う動きがはっきり出ていた。また地方庁は検定検査規則の技術基準のJIS化が検討されていることなど、計量法の構造改革の動きを慎重に見極めたいという動きがある。見極めができた分野に関してはその後の対応は急であり、地方庁は計量行政分野を身軽にして行こうとする傾向が明確化している。

 東海地区のメーカー代表からは、工業技術院計量研究所が実施している型式承認試験および基準器検査の実施体制が現状から後退する方向で案が出ていることに対する懸念が表明されていた。計量研究所の独立行政法人化移行に伴う行政サービスが現状から後退することに伴う事業への圧迫を警戒する声は他の地区の関係事業者からも聞こえてきた。

 計量器工業に関する団体では、現在の経済情勢下で大事なことは製品のコストダウンにつなげるべく全ての関係事項の洗い直しであると団体長が力説した。計量器産業は景気後退の底を打ったと思われる受注動向の数字が出ているとはいうものの、計量計測機器が分析機器、環境測定機器、電気測定器、精密測定器など広範囲に及んでいることか、底打ち宣言を一斉に出せる状況ではなく今なお浮揚感にとぼしい機種も多くある。技術革新が一巡して閉塞感が充満した機種では泥仕合がつづいても生き残れる企業構造に転換している所もあり、こうした分野では製品価格が1970年代から変化していない。従って需要先産業の好不況が関連計測器の販売と企業業績に直接響くことになるが、それでも地を這って生き抜く企業家魂は健在である。

 計量器産業に関しては、地を這う生き方を余儀なくされる業種があるとはいうものの、他の産業分野が構造変化あるいは技術革新または景気後退に大きく影響されて事業者の激変があるのに比べればまだまし、という声もあるがそれはその企業がまだましな企業であるということであって、計量器産業は景気一般の好不況に影響される度合いが旧来とは比較にならないほど大きくなっている。

 その原因は計量計測機器が取引・証明分野の度量衡器という概念から産業設備・装置という概念に変換していることにある。

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■社説・情報化社会と企業・団体のホームページ製作と運営(01年2月11日号)

 現代は情報が力となってすさまじい勢いで伝搬する。雪印乳業の食中毒事件は、事件発生後の経営者の対応の悪さが災いして3事業所か4事業所の閉鎖を招くことになった。食品会社であれば食中毒等の事故を発生させない生産管理体制こそが大事であるはずだが、このHACCP認証事業所は原因の特定をする機能を備えていなかった。計量管理は生産等に計量計測技術を最大限に利用・活用することであるが、事業所の計量管理体系の中に停電事故と製造過程の乳製品の品質との因果関係を含めた知識が盛り込めていればこの事故は防げていたはずである。計量管理とは計測データを元にした計測情報体系がでもある。この事業所の場合には製造体系に間違いがないものと決めつけていたことが、事故後の対応を誤まらせたことになる。世の中の多くの事業所が、この事業所と同類の感覚でものづくりをしていないとは言えないので、他山の石としてとらえていることであろう。

 完璧なはずの管理体系の中に盛り込まれる人為的な要素を元にするミスが含まれることは、1月に発生した日本航空機の管制ミスによるあわやの衝突という事態があった。その時点で完璧と考えてもそれはそのように思っているだけであるから、管理体系の中に改善の要素を多く盛り込んでおかなくてはならない。
 情報それ自体が大きな力になっているのが現代であることを雪印乳業の食中毒事件とその後の事業所の閉鎖が物語っている。

 知識あるいは情報の伝達の方法が、紙から離れて電子メディアに移行しているのが情報技術と情報インフラが整備された現代という情報化社会の現実である。iモードでピコピコとやっている現象が、個人のパソコンでピコピコとやるような新社会がそこまで来ているのに、これへの対応力が不十分なあるいはそれを持たない人々や企業や団体がある。紙の面積に制約された旧来型の情報伝達から、インターネットを核とした新しい情報化社会における情報伝達は情報量の制約から解放されており、また情報伝達速度も格段に向上しリアルタイムになっている。

 インターネットに少し通じた人は、物事を調べるのに本や辞書を用いない。インターネットの検索機能を使うと、初歩の用語解説から博士論文やノーベル賞レベルの論文にも時間を要さないで接することができる。現代は社会のあらゆる知識・技術などの情報がインターネットの世界に構築されている。その情報の質と量は急速度に向上している。

 計量計測関係企業の企業情報、計量計測関係に従事する個人技術者のパーソナル情報、計量計測関係団体の団体情報もすべてインターネットの世界に登場し、ここで情報の交換がなされ、この情報をもとにビジネスや事業がなされる。

 計量関係団体情報に関係すれば、団体の目的、事業、会員その他の情報はインターネットの世界にその団体のホームページを通じて登録される。会議の通知、催し物の案内その他が電子メールを含めた電子情報として流すことができる。出欠の返事なども電子メールで行わなくてはならない時代になっている。
 計量計測関係の事業者、従事者、団体のすべてがホームページを開設しなければなあらない時代が現代である。ホームページがすべての問題を解決する訳ではないが、ホームページがなければ情報社会に対応できないとという新たな問題を抱え込むことになる。

 知識や技術やさまざまな情報は結果として社会の生産性を向上させることに寄与してきたが、コンピュータとその体系かされたシステムであるインターネットは同様に社会の生産性を向上させることになる。事務所でしかできなかった仕事が自分の住まいでできたり、どこででもできるということは、事務所に出かける時間を節約につながるだけでなく、生産性向上に関してもっと大きな可能性を含みもっている。

 発展途上のパーソナル・コンピュータは、それを使えるようになるにはトレーニングを要する。マニュアルを読めば自分で何とか操作できるひとはコンピュータとの相性がいい人である。コンピュータになじめない人も周囲に詳しい人がいれば手取足取りで何とかなる。そうした環境に恵まれない人は誰かいいインストラクターを探さなくてはならない。いいインストラクターとの巡り会いがパソコン生活を確かなものにするといってよい。求めなくてはそれは実現しないものだから躊躇することなく行動すべきである。

 同じことがホームページ製作にもいえる。できそうでできないのがホームページ製作であり、その更新である。これもいいインストラクターやパートナーととの巡り会いが幸不幸の分かれ目になる。パソコンやインターネットと依頼する人事情を知らない者とパートナーになると、目的と離れたホームページを製作してしまうことになる。地方計量協会の幾つかがホームぺじ製作に動き出している。動き出してはいるものの一番乗りはまだいない。3月末に一番乗りが出そうである。

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■社説・日本経済を元気にさせる方法は何か(01年2月4日号)

 日本の経済は、海外に資本進出あるいは技術輸出をしている企業が多いことから四つの島の内の日本列島内で起きている経済現象だけをみて、日本の経済が良いとか悪いとか言えない向きがある。しかし、四島内で暮らす一億二千万人の人々で営まれる日本経済という視点に立つと、日本経済の現状はどんな状況にあるだろうか。

 アメリカの経済成長は瞬間的な現時点ではゼロ成長の状況にあると一月にグリーンスパン米国連邦準備制度理事会議長が発表している。日本のGDPでみるとの日本経済は穏やかな回復過程にあるとはいうものの、その実態はあるいはゼロ成長の状況にあるかも知れない。アメリカの株価はこれまで高値を付けてきてはいたものの、大分以前から高所恐怖症に病まされている。株式市場に集結した資金は、米国経済のゼロ成長に嫌気を覚えていることであろう。この十年ほどの米国経済のインフレなき経済成長をみて、景気不景気のサイクルがなくなって成長は永遠に続くだろうというニュー・エコノミー理論などが台頭していたが、これは株式市場に資金を集めるための謀略臭い。米国経済は失業率の増大、労働者の賃金の低下がはっきり現れており、景気後退の陰がはっきりしてきた。

 日本の景気状態を示す指標は幾つかあるが、GDPが一番はっきりしたものである。また株価と地価は経済の繁栄を示す証拠になる。現時の日本のGDPは旧来型の公共投資に依存して維持されているものだから、このつっかえ棒がなくなったら途端に危うくなるものと割り引いて考えなくてはならない。

 十年前の日本の経済は、貿易黒字によって獲得したドルをもとに大量に発行された円が洪水のように株式市場と不動産に流れ込み、史上空前の資産インフレをもたらした。こうした状況下で株式市場と不動産市場で投機的行動に出て生き残った者は少ない。実力を離れてオーバーシュートした株価と不動産価格で金銭的取引されたものの多くは不良債権になった。サラリーマン世帯でも最高値付近で住居や株式を購入した者が少なくなく痛手を受けており、企業の同様な株と不動産取引は失敗に帰している。それから十年、日本の経済はまだ元気になっていないし、十年前の熱物に懲りている。

 政府は銀行、生保等に武士家族の借金棒引きの徳政令にも似た救済措置を講じたが、それは国民の反対の声が聞こえてきて中途半端な内容のものでしかなかったように思われる。しかし、そうした政策によって日本の金融危機は回避されたが、今なお中小の金融機関には過剰債務を抱えて立ち直れないところが多く、また多くの不動産、ゼネコンは破産状況にあることを株価が示している。大手銀行や生保の不良債権の始末をうまくつけることが日本経済にとって重要な課題であるが、国民感情がそれをなかなか許さない。

 日本の経済の繁栄を株価と地価が証明するという前提に立つと、公共投資よりも不良債権の始末こそが一番の景気対策になっているように思われる。銀行等は、そうして一度救っておいてから後々に税制その他でペナルティーを課すということだって政策としてはある。サラリーマン世帯の住み替えを含めた住宅購入、資産形成の一形態として株式購入を復活させるには地価と株価が、ある水順に戻ることが前提になる。また景気が回復する株価と地価の上昇を誘引もする。

 日本経済の場合には地価の前に株価が上昇することになるはずであるが、現在の株価低迷の原因は、経済の先行きに対する見通しが明るくないことからきている。

 ところで経済大国になった日本はGDPの八十%以上が国内消費である。日本にが陥っている経済不況は株安、不動産安を背景とする消費不足によってもたらされたものである。景気刺激にならない従来型の公共投資の効果は薄い。現在の不況が消費不況であることがある程度分かっているのだから、住宅価格、株式価格がサラリーマン世帯が買った時の水準まで戻れば、景気はたちどころによくなることは、アメリカで起きた現象からも確かな証明性を持つ。

日本の産業構造は依然として物造り型であり、多くの分野で世界最高の水準にある日本の産業界はこれまでにもまして貿易黒字のもたらす輸出を続けることになるであろう。世界の基軸通貨が米ドルであることのによってもたらされる矛盾はいろいろな形で現れるが、この矛盾を解決することは当面難しい。

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■社説・活発に動き出した指定定期検査機関制度(01年1月28日号)

 平成5年5月20日に日本の現行計量法の骨組みが改正・公布されて8年が経過しようとしている。地方分権計量法が施行されたのが平成12年4月1日であったので間もなく1年になる。

 計量法の執行にかかる事務のうち検定、検査、立入検査などは、都道府県知事等が機関委任事務として実施してきた事務であったが、この機関委任事務制度が地方分権制度の施行に伴って廃止されて、地方公共団体が自らの責任で実施する自治事務となった。

 定期検査および立入検査など住民と密接な事務は、特定市制度のもとで指定を受けた特定市町村の長が実施してきた。計量法は自治法における人口20万人以上の特例市制度、人口30万人以上の中核市制度と整合するように改正され、市が申し出ることによって、知事の権限の相当部分が一括して市に委譲されることになっており、その中に計量事務が含まれている。

 旧計量法のもとで特定市の指定を受けていた特定市町村は、定期検査ならびに立入検査実施のための設備と人員を確保しているが、特例市および中核市の指定を受けようとする市の場合には設備、人員とも体制整備が急にはできないことから、状況に見合った独自の方法で対応する事が多い。

 特例市の独自の対応とは、計量法の指定定期検査機関制度を利用して、当該市に関係する計量関係団体を指定して定期検査を実施することである。指定定期検査機関制度を利用する動きは、特定市でも広がっている。定期検査機関に指定する対象は計量関係団体の場合が多いが、計量法の改正で株式会社組織の検査機関を指定することができるようになったことから、ある市では入札方式により株式会社組織を指定している。またある特定市では、これまで市が実施してきた定期検査業務を、代検査方式により当該市の計量団体に全面的に委託する。将来的には指定定期検査機関制度を利用して、計量団体に定期検査業務を実質上全面的に移管する計画である。特定市における定期検査業務に職員自らが当たる事例が徐々に減少する傾向が現れており、この先数年でこうした体制がもっと広がりそうである。

 指定定期検査機関制度は一部の地方公共団体が実施していた検査体制を法が追認する形で制定された制度であるが、今後この制度を採用する自治体が増えるにしたがって、地方公共団体の計量関係職員が減少することが明らかである。計量法の執行に係る事務が民間の手に大きく委ねられることで、自治体職員の実数は減じることになるだろう。しかし、検査業務に関わる人の手数は減ることはない。公務員が実施していた計量法関係事務の執行が民間人の手に変わるということである。民間の人々が指定を受けて定期検査を実施する場合でも、その確かさや信頼性の低下を招くことがないような制度内容になっているとはいうものの、指定する側の監視体制は同時に重要になる。

 現行の計量法は事務の執行は、指定製造事業者制度などを含めて、ISOの品質保証制度との連携をとるなどして、民間の品質管理能力を利用する制度内容に移行している。
 社会制度としての計量制度の軽快かつ円滑で適正な実施のためには、指定製造事業者制度と指定定期検査制度は、車にたとえれば両輪になっている。

 消費者の生活物資購入にともなう計量の安全の確保は、洋の東西を問わず社会安定の基礎事項であり、また消費者の生活権に含まれるものであるから、あだや疎かにしてはならないものである。

 正確さは文化である。消費者の物品購入が内容どおりの計量であることは当たり前であるが、当たり前のことが当たり前に実現しないのは野蛮社会であり、計量が正確であるということは文明社会の証でもあり、正確さは社会の安定や平和のシンボルになる。

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■社説・質量計平成13年問題への対処の現状と課題(01年1月21日号)

 日本の計量法の骨組みが改正・公布されたのは平成5年5月20日であったが、それから8年が経過しようとしている。この法改正によって特例措置がとられた質量計の措置の期限の日の平成13年10月31日が間近に迫っていることから、関係者の対応があわただしくなってきた。

 計量法は取引および証明に使用する計量器に対して型式承認制度とあわせて検定を実施しているが、それまで検定制度の対象になっていなかった一部質量計に関しては当該計量行政機関に届け出て、「届出済証」を貼付することにより、平成13年10月31日までは、平成3年10月以前の年月が表示された検定証印とみなされ、2年ごとの定期検査に合格すればそのまま取引および証明に使用することができる仕組みになっている。計量法は取引および証明に使用される蓋然性の高い計量器を特定計量器に指定して、型式承認制度を設け、また器差検査を中心とする検定を実施している。計量法が改正された後、移行のための猶予期間が設けられており、その期限の平成13年10月31日が8カ月後になった。

 当該質量計を取引および証明に使用しないのであれば、引き続いて使用して差し支えない(使用者は自身が許容する精度や性能を保有していることを確認して使用するのが原則ではあるが)。取引および証明に引き続いて使用しようとする場合には二つの道を選ぶことになる。一つは原則的対処方法といえるもので、都道府県知事に申請して型式承認改造検定を受けることによって引き続いて使用するこができる。型式承認改造検定に合格した質量計は定期検査で不合格になった場合でも、修理し再度検定を受け合格すれば継続して使用できる。もう一つの方法は、都道府県知事に申請して型式外検定を受けることである。この型式外検定は特例措置にまた特例措置を上乗せした特例措置(平成12年5月8日公布の計量法施行令の一部を改正する制令=政令第221号・通産省、および同日付け計量研究所による「届出済証を貼付した非自動はかりの検定についての技術マニュアル」)であるものの、その後の定期検査で不合格になった場合には取引および証明に使用することはできない。新たな型式外検定を受けることができる質量計は、原則として型式承認改造ができないものであり、現行法の基準に適合するような修理を行い、検定を受けることになる。

 届出済証貼付の対象となった質量計は、
@秤量が30kgを超え2t以下の電気抵抗線式はかり(2tを超える特殊なものを含む)、
A新たに検定対象になった電気式等のはかり等である。
届出済証貼付の当該はかりの取引および証明への使用期限が迫っている現在、その多くは買い換えられているようであるが、引き続いて取引・証明分野での使用を希望するユーザーは少ない数ではあるものの現に存在し、型式承認改造検定あるいは新たな型式外検定を受検している。型式承認改造検定あるいは新たな型式外検定の受検が少ない理由は次のとおりである。
@届出済証を貼付したはかりが、製造後相当年数を経過して更新期にはいっていること、
A型承改造検定を受検するのに同等性能の新品購入のための費用投入効果との差が少ないこと、
B新たな型式外検定を受検してもいつまでも定期検査に合格し続ける技術的保証は十分でないこと、
C新たな型式外検定に合格する条件を満たすことが難しいこと。

 計量法が電気式はかりに関して、
@秤量が30kgを超え2t以下の電気抵抗線式はかり(2tを超える特殊なものを含む)、
A電気抵抗線式はかり以外の電気式はかり等、
の2項目に関するはかりを検定対象にしていなかったのは、事情があったものとしても、検定対象外のこうしたはかりは一部のメーカーといくつかの製品を除いて検定対象製品に較べて品質と性能の面で下位の状態にあったようである。一部製品、一部メーカーの製品は検定対象商品を上回る性能・品質を保有していることも事実であるものの、一般には価格に釣り合う性能となっており、ユーザーもどちらかといえば価格を優先して製品を選択してきた。

 届出済証貼付のはかりの使用期限が8カ月後に迫ってきた現在、今なお相当数の当該はかりが、新規計量器に更新、改造修理後の型式外検定受検、型式外検定のいずれかの手当がされていないままでいることから、期限を間近にして混乱が生じることがないよう早めの処置が講じられなければならない。ある地方公共団体(都道府県知事)は、平成13年10月31日までに届出済証貼付はかりの新たな型式外検定を申請することにより最大2年間は引き続いて取引・証明に使用できるように措置しているという。最長2年の間に型式外検定を実施する体制を築いた上での措置である。

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■社説・経済産業省の発足と新しい計量の世界(01年1月14日号)

 1月6日、通商産業省がなくなって新たに経済産業省が発足した。従来、通産省機械情報産業局計量行政室が一括して所管していた計量関係の行政は、新組織の下では二分された。
 その一つは、計量行政のうち計量法に書き込まれている分野は、経済産業省産業技術環境局知的基盤課計量行政室が所管する。計量法の実施に係る行政分野であり、その中身は「適正な計量の実施を確保すること」という計量法の目的と同じである。

 もう一つは、計量器産業の振興と育成に係る分野であり、計量器の生産、流通事業と輸出入統計調査等は経済産業省製造産業局産業機械課が所管する。

 大きく分けると以上の通りであるが、従来通産省計量行政室が所管していた電気の取引に関する計量は、外局の資源エネルギー庁の管轄になる。

 また4月からは工業技術院計量研究所、同電子技術総合研究所など計量の標準の研究と供給を任務としてきた関係機関が独立行政法人産業技術総合研究所となり、通産省計量教習所はここに所属する。計量法の規定に基づき校正サービス事業者の認定業務をしてきた製品評価技術センターは、独立行政法人製品評価技術基盤機構になる。

 以上のように計量行政に係る政府組織・機構は大きく変わる。計量法は昨年4月から地方分権制度を敷くに至っていることから、この1月以降の中央省庁の再編成に伴う計量行政機関の所管組織の変更により、計量行政の運営が旧来とは変わる。したがって当座は旧来の計量行政や計量器産業振興の組織に乗っていた計量関係従事者は、所管組織との付き合い方に慣れるのに時間がかかりそうである。

 計量行政に係る政府組織が大きく変更されたことから、先に地方分権制度となった日本の計量制度はの実施に係る計量行政は、辻褄が良く取れ規律だった内容を確保するのに大きな力を注ぐことが求められる。地方分権制度になって地方公共団体の計量行政の裁量の枠が大きくなったことが、結果として地域の計量行政を後退させるように作用し、特定市等地方公共団体の計量行政組織は規模を縮小している。

 以上のように地方分権制度の発足と連動して、地方公共団体における計量行政組織の規模の縮小傾向と適正計量の実施の確保を通じての住民サービスの低下傾向があるので、政府組織における計量行政組織の変更が、結果として国民への計量行政のサービス低下を将来することを懸念する。

 計量制度は国の礎の一つであり、計量行政の適正で円滑な運営は経済の繁栄と国民の福祉向上に結びつく。
 計量制度を運営するための計量行政費用は国と国民にとっての必要経費であり、その額はそれほど驚くものではない。都道府県においては一つの公立保育園の運営費以下であることが多く、現代政治は広い意味での住民福祉行政への意識が低下しているから、計量行政分野にこのことが持ち込まれないように大きな配慮をしなくてはならない。
 政府関係の計量行政組織の大きな変更と地方分権制度の施行という新しい行政機構の誕生ということで、しばらくは混乱や戸惑いが生じることになるが、そうした事態を早期に収拾することとあわせて、理想により近い計量行政が営まれるために関係者が奮闘することに期待をかけたい。

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■社説・2001年が21世紀初年である意味(01年1月1日号)

 本号の発行日付は西暦2001年1月1日となる。21世紀初年となる西暦2001年はキリスト生誕とされる日を起点に数えているもので、先進工業国を中心に国際協定を結んで人類のかなりの部分の人々がこの暦を使って生活している。とはいうものの他にイスラム歴もあることを知っておくべきである。

 日本国においても明治6年までは太陰暦を使用していた。明治6年以降も太陽暦と太陰暦を併用する慣習が続き、また西暦と皇紀を併用する習慣があった。皇紀は神話をもとにしたものであり、その他の暦法の起点については科学的根拠が乏しいとことは否めないもののの、日付の数え方は科学の法則に従っている。

 2001年が21世紀の初めの年であることを日本人が共通認識にしたのはここ2、3年のことであり、それまでは2000年が21世紀の初めの年であると思い違いをしている人がほとんどであり、それほどにこの方面の認識は低かった。そうした人々の一斉の「ミレニアム」合唱は微笑ましいし、2001年はどのような言葉の花が咲くことか。

 西暦を暦法としている日本国においては21世紀の初めの年が今年であるから、その初めの年に縁起を担いで願掛けめいた思考と行動をするのは自然であるものの、初年であるから何かが起こる、という思い込みは大概錯覚である。暦の日付は一般には縄目の目印と同じものであり、0も1も2も3も日付としての意味に差はない。日本の明治維新も第二次世界大戦の終戦も暦の区切りのところで起こった訳ではない。2001年に何かが起こると考えるのは、1という数字にとらわれるあまりの思い過ごしである。

 とはいっても人間は、2001年に何か始める区切りにしたり、慣習を変える契機にしたがるものであり、日本国政府は2001年1月6日付けで省庁再編成を実施しする。

 計量計測機器産業と密接な行政分野である通商産業省は廃止されて、その主な所管を経済産業省に移し、一部を環境庁に移管する。また工業技術院傘下の試験研究機関は平成13年度には国立研究機関から独立行政法人の組織となり、国立試験研究機関のほとんどが独立行政法人産業技術総合研究所となり、計量研究所は「独立行政法人産業技術総合研究所計測標準研究部門」の名称に変わって引き続いて業務を継続・遂行する。

 計量標準に時間があり、SI(国際単位系)の七つの基本単位の一つになっている。人類は時間を含めた計測技術を発展させてきており、時間計測の高精度化の追求の結果、時間の定義を光の速さをもとにして定めるようになった。

 時間を精密に計測できるようになると地球の自転の速度が一定でないことが分かり、日付は地球の1回転をもとに定めているため、原子時と人類の協定時とのズレを補正する必要から1月1日もしくは7月1日に原子時を地球の自転の揺らぎに合わせて調整するようになった。地球の自転速度のがゆらぎは自転が遅くなる方向にあるため、ときどき原子時に1秒を加算をして調整している。この加減算のことをうるう秒というが、うるう秒を実施した協定世界時と国際原子時との差はマイナス32秒に達している。この1月1日にはうるう秒を実施して協定世界時の調整をすることはない。

 時間には細かい時間と巨大な時間があり、人類は必要に応じて時間の表現をしてきた。地質学的時間は100万年単位で表現するし、宇宙の歴史は150億年程度であるから、1億年程度の単位で表現することも普通に行われる。日本の縄の文古代は1万年から2万年前のことであり、西暦は2001年である。その1年の区切りと1年にどのような意味を持つものなのであろうか。

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