日本計量新報の記事より 社説2000/05-08


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■社説・蛾チョコ、蝿トマト、芋虫キムチを作らない工夫(00年8月27日号)

 缶詰などの密封食品に虫や異物が混入する騒ぎがよく伝わってくる。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌等マスコミが取り上げるからよく伝わるのであるが、食品等への虫、異物混入はこれまでは今ほどの騒ぎにはならなかったはずである。良い悪いの判断はにわかにはつけがたいが、時代はこれを悪とすることで固まってしまったから予防措置を講ずることが食品加工業等には求められる。

 この間に発生した関連の事件はトマトジュースに蝿が混入していた蝿トマト事件、チョコレートに蛾の幼虫の蛾チョコ事件、キムチに芋虫の芋虫キムチ事件、ミートソースにボルトが混入していたミートソースボルト事件、その他があり、製造企業は関連商品を回収するという対応を迫られた。

 社会が食品に対して虫の混入を許さなくなったので、食品製造企業はその予防策をとる必要が生じてしまった。どのような技術によってそれを実現するかということで、食品関係の設備企業は腕の見せ場となった。予防対策としては、虫等の異物の混入を完全に閉め出すこと、あるいは混入した場合にはそれを確認し排除することがある。また虫など異物混入を防ぐことができない、あるいは虫が混入してもそれを確認できない缶詰等密封関係商品は製造しないことも対策のなかに含まれる。

 ミートソースにボルトが混入していたミートソースボルト事件などは、製造ラインの最終工程で缶詰等の質量を測定し、質量の異常値から混入を確認して排除可能であり、こうした技術はすでに確立しているから製造企業の怠慢は明らかである。米や穀類に混入した石やガラスを確認し排除する技術は計量計測関係企業が独自に開発している。こうした技術の延長線上で、あるいはそうした発想力を活かして虫の混入の防止や混入缶詰等の排除技術につなげることは可能なように思われる。虫が混入していたらその製造企業の缶詰等の出荷全商品を回収するという懲罰的強制を社会が課す状況下では、予防設備に投資することはコストに十分見合うという状況を作り上げている。

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■社説・品質ISOマネジメントと小規模企業(00年8月13日号)

 国際規格ISOマネジメントシステムの認証取得の波が小規模企業に及んでいる。品質保証関連と環境関連のマネジメントがあり、現在の認証取得状況は品質七に対して環境一の割合である。計量計測関連企業の当面の認証取得活動の対象は品質マネジメントであり、すでに従業員二十名以下の企業でも何社かそれを取得している。

 質量計(はかり)をビジネスの中心にして、製造、修理、販売、メンテナンス、検査等を神奈川県内を主な商圏に手掛ける従業員二十名の優良企業である潟<Wャーテックツルミ(横須賀健治社長)は、この三月二十七日付けでISO九〇〇一の認証を取得している。同社では神奈川県の技術アドバイザー制度ほか、神奈川県および川崎市等の公的制度を積極的に利用することで直接持ち出しの費用二百万円以下で認証を得ている。

 この経験に学ぶために東日本計量器工業協同組合は「中小企業のISO認証取得体験について」の標題で潟<Wャーテックツルミ横須賀健治社長の話を聞いた。なぜ認証取得に動いたかの動機付け、品質マネジメントの内容、認証のためにすべきこと、認証取得で得られたもの、など関係事項を細かに聞いた上で、組合員企業がISO品質マネジメントとどのように関わって行くかの判断材料を仕込んだ。

 聴講した関係企業は従業員数は十名から三十名程度であり、講師の企業とほぼ同等であることから潟<Wャーテックツルミの経験は「取るべきか取らざるべきか」を判断する絶好の標本であったが、話の全体から認証取得は京浜工業地帯で大企業を相手に事業していること、代表者の品質への意欲的な取り組みの結果であることが判明した。聴講後の感想として、「認証そのものの取得に動くことは難しいがISOマネジメントの手法は積極的に社内の品質管理と保証体制に織り込んで行く」という発言が聞かれた。

 ISOマネジメントのコンセプトは@権限と責任の明確化、A是正措置と予防措置、B方針管理の経営への取り込み、でありこれら三つのコンセプトを「経営戦略のツールとすること」が大事であるとされる。認証済み企業の中には「管理負担の増加ばかりで収益につながらない」という悩みを抱える企業があることも事実である。

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■社説・はかり需要家満足のための企業努力(00年8月6日号)

 計量法は取引と証明に関して適正な計量の実施の確保をすることを目的にしており、このための仕掛けを法による縛りとして様々に形作っている。質量計に関していえば検定制度と定期検査制度を骨格としている。検定は平成五年改正の計量法が指定製造事業者制度を創設して、製造事業者自らの手による検査が役所が検査するの同等の法的効力を持つように変えた。同じ法律は定期検査に関しても指定定期検査機関制度を創設して、指定を受けた者が役所に代わって定期検査を実施することができることにした。

 検定と検査の二つの制度に加えて、取引・証明に係る特定計量器に指定されている質量計の販売に関しては、販売事業の届出義務を課し、はかり需要家に対してしかるべく製品が供給される仕組みを作っている。

 取引・証明に使用されるはかりが、需要家の手に渡る直前で法的に適合した製品であるようにするために設けられたのが計量器販売事業の届出制度であり、この制度がよく機能することが望ましいが、現実は十全とはいえない。それは販売事業届出制度については、法令に適合したはかりの販売を担保するするに十分な関係知識を確認する術を計量法令が持っていないからである。適正な計量の実施の確保に関して、こうした網の目の粗い部分から漏れて供給される質量計(はかり)が現実に存在し、それは無検定はかりや定期検査漏れのはかりとして取引・証明分野で使われることになる。適正な計量の実施の確保に関して法令に遺漏なきことが望まれるゆえんである。また先の事例は計量法の目的実現は役所単独の直接的業務だけでは達成できないことを物語っている。

 取引・証明分野であるとないとに関わらず計量器販売事業は、コンサルティング販売が求められるものである。計量器の需要家に知識が十分に備わっていればよいが、そうでない場合には計量器を販売する者の能力が法令適合を含めて全てを決めてしまう。

 特定計量器としてのはかり販売に関しては、届出販売事業者であることが法令上の条件であるというものの、それだけでは十分ではないことも事実であり、販売時業者間では需要家の満足を高めるための差別化をはかる努力が行われている。

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■社説・現代は情報の電子データ化移送時代(00年7月30日号)

 「カメラのレンズキャップを外したら光が入るのではないか」という思いがけない質問に遭遇して唖然とした。「計量の仕事をしている」と話してもすぐ理解されることは少ない。「軽量ですか」との問い返しは笑えない現実の話しである。

 インターネットやパソコンへの理解となると先のカメラの話しの比ではない。最近、近しい友がワープロを買ったら、「何故パソコンを買わなかったのか」と別の友が詰問する場面があった。「今時ワープロを買うなどということは愚かしいことなのだ」と詰問した友は強く主張する。ワープロはパソコンの機能を文書作成用に特化したものであり、様々な機能が付加されているものの、実際にはプリンターが組み込まれている便利さによって買われる。ワープロを買った友はまた「バカ」とも言われた。そばで聞いていて気の毒であったが、もう頭が固くなっていて、融通がきかないようにみえる。パソコンに対する知識の不足、扱うことへの自信のなさから、それまで使っていたのと似たようなワープロを買ったまでのことである。
 パソコンもインターネットもビジネスマンの学習課題で、それを扱えるようになるかどうかは仕事ができる人になれるか、できない人になってしまうかの分かれ道になる。それは企業経営者についても同じである。従業員二百名規模の若手経営者は、ここ何年か努力によってパソコンに習熟、企業経営の全ての情報をパソコンに入れて管理している。技術部門、営業部門、総務簿門、様々なプロジェクトなど全ての事項がパソコンによって確認でき、システム商品販売を含む全ての商品の販売を客先でパソコン画面を用いてプレゼンテーションできるようになっているのだ。必要に基づいてとはいえ、現在のパソコンに対するビジネスマンの一般的知識水準からすると驚きであった。

 パソコンとインターネットを利用すると、工業会などが生産統計など様々なデータを扱うとき、送られてきた書面記載のデータを事務局で打ち込む作業を省略できる。情報のかなりの部分が電子データとして通信で移送される時代になっている。本紙の計量計測情報の巨大な蓄積湖「計量計測データバンク」の利便性は大きい。

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■社説・作業手順の誤りにも気付く知的直感力(00年7月23日号)

 雪印乳業の牛乳および乳製品の細菌汚染問題が発生したことから、食品関係における一種の品質規格であるHACCP(Hazard Analysis Critical Control Point)の有効性に疑問が投じられるとともに、このような品質規格の認証を取得することと、その企業の商品の品質とが必ずしも直結しないことを露呈した。品質関係の国際規格には、品質管理および品質保証に関するIS0九〇〇〇シリーズ、環境マネジメントと環境監査に関するISO一四〇〇〇シリーズなど、国際標準化機構の規格があり、厚生省関係ではGLP、GMPその他がある。これらの国際規格は品質など規格の目的を実現するために管理手順等を文書で明確にし、記録を残す方式を採用している。

 日本の企業は関連の規格の認証取得に懸命であるが、その主な動機は規格そのもののすぐれた特性に着眼してはいるものの認証取得が他社との差別化につながることや、時代の流れとして受け止めビジネスのライセンスと考えているところにあるようだ。小規模企業などでISO九〇〇〇シリーズの認証取得のための活動を通じて、業務権限の明確化・分掌化や管理手順を定め文書にすることなど、品質保証体制を確立できるという大きな効果があることは事実だ。しかし各種の国際規格証に関する世の中の動きは、その規格の認証取得そのものが目的化して、規格を満足させることを手段として自社製品の品質を向上させることには意識が十分にいっていないようだ。雪印乳業の牛乳の細菌汚染事件などは、製造工程に従事する作業員がバルブを洗浄しないことがもたらす結果を予測できなかったのだから、食品製造における安全および衛生上の観念が欠如していたことになる。

 ものづくりの本質に根ざしながら、マニュアルや規格がすべてでないことの意識をどこかで持つことが大事である。現代人は電卓の普及により、それ以前の人々が苦労して見につけた暗算の能力を低下させている。また漢字を書く力もワープロの発達で低下し、テレビ等の視覚映像を通じてのニュースその他の情報を受け取ることになれたため、文章を読む力も低下させている。「読み、書き、算盤」の力が低下するということは人間の知的直感力の低下につながるのではないかと懸念する。

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■社説・計量法令の検査等の事業と民間企業の参加(00年7月9日号)

 企業は商品を、それを求める人が満足する価格で販売し、その販売価格の総額が原価の総額を超えるから事業を継続・発展させることができる。顧客の要望を満足させることができない商品は販売価格が原価を割ることになる。

 小売業は売上規模をデパートからスーパー、さらにはコンビニエンスストアへと変えてきており、これは顧客の求めの変化を販売形態が反映した結果である。だから景気指標にデパートの売上金額の対前年同月比をとるのは消費動向を正しく反映するための手法ではなくなっている。

 多くの人々の心の中には「企業の目的は利潤であるから、利潤こそが統べてであり、利潤のためなら企業は悪いことでも何でもする」という思いこみが潜んでいる。企業が利潤をあげられるのは概して成長分野の商品を扱うことであり、戦後の日本の産業と経済は繊維から鉄、自動車、電機機器、コンピュータなどと巡ってきており、この分野で仕事をした企業が利潤をあげ、企業規模を拡大してきた。

 商品生産は人類が社会を形成して以来変わることなく続けられてきたことであり、将来にわたって変わることがない普遍の原理のように思われる。自由な商品生産と適正な競争社会を維持するための機構として国の役割があり、国民の福祉実現を含めた国としての目的達成のために、国と地方公共団体が機能を分掌している。

 企業が活動を続けているということは、その企業の事業が社会の需要に適合しているからである。商品を作り、あるいは扱うという場面で見た場合には労働に区別はなく、同様に人間は等しく平等であるのが自由主義社会の基本原理である。

 企業の利潤追求に対して社会一般に、それを暴利を求めることという観念ができているように見えるのは、様々な企業犯罪は必ずニュースになり、他方全うな企業行動を通じてあげた業績の結果としての高利潤はあまり派手なニュースにならないということに主な原因があるように思われる。

 利潤追求のためなら企業はどんなことでもするという一般観念は、公務員は違法なことは何もしないという観念と対置することによりバランスする。一度できあがった役所の仕事は、社会的な需要がなくなったあとも、関係公務員が給与のために必要であるから、自動的には廃止されない。社会的需要のなくなった役所の仕事がその後も続行するので、役所は役所に勤める職員のために仕事をしているように見えてしまう現象を生むことになる。

 役所の仕事と民間事業所の仕事区別をなくするような措置を計量法はとった。計量法は基準を定めてその基準に適合した仕事をすることであれば、これまで国や地方公共団体が実施していた業務を株式会社等の民間企業が実施することができるように制度内容を変えた。

 計量関係法令で定められている業務を民間企業が実施するためには、料金体系の変更を余儀なくされる。国や地方公共団体が実施していた業務は一般に料金体系が低いように見えるが、それは設備費、人件費を除外して形成された料金体系になっていることに由来するものであり、設備費、人件費は税金でまかなわれており別の形で料金を取っているのと同じことである。

 計量関係手数料が低料金になっているのは、計量器が取引証明の仲立ちをすることから計量器の保有者に対して一般的な原価を適用できないからである。計量器の検査等に民間企業が参加できるようになったときに、このような費用面のことをどうするのかは解決すべき課題である。

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■社説・規制緩和政策と現職通相の落選(00年7月2日号)

 衆議院議員総選挙が実施された結果、計量計測機器関係事業と縁の深い通産省の現職大臣が落選した。他に複数の通相経験者も落選しており、大臣経験者に対する選挙民の態度が昔とは大きく違ってきている。現職の通産大臣や大臣経験者が落選の憂き目を見るのは東京都選挙区など都市部に見られる現象である。都市生活者は国等の要職にある人物を自己と対等と考えている。小選挙区制度という選挙制度が選挙民のわずかの気まぐれで現職の有力議員を落選させる性質を持っていることも要因である。

 しかし現職および前職の通産大臣が総選挙での落選は寂しい。現職通相の落選は選挙民の業績や通商産業行政に対する理解の不足にあるのか、景気低迷や情報通信技術を核とする社会革新に結びつく重要技術の米国に対する立ち遅れを理解の上での不信任であるのだろうか。現代の通相の仕事が選挙民の人気に結びついていないようだから、二〇〇一年を期しての通商産業省から経済産業省への移行後の仕事に期待する。

 立法、司法、行政の三権分立が民主主義の原則の一つであり、近代社会制度はこの原則のに基づいて形成されている。立法は国会の仕事であるが、法案立案に行政職員が深く関わっているのが日本の現状であり、行政は政治と深く結びついている関係からか、公務員経験者の国会議員が多いのは偶然ではない。

 日本の政治と行政の現実は「官僚」と呼ばれるキャリア行政職員を政治家に一番近い職種にしてしまう。通産省職員経験者に国会議員が多いのはこのためである。

 現在の日本の行政は地方分権と規制緩和の二つの言葉をキーワードにして急回転している。地方分権の下での計量行政に関しては、一部の地方公共団体は計量法の定めにある業務を実施しない傾向が散見されるので、計量行政事務の放棄は何としても阻止しなくてはならない。計量行政事務の不実行の主な原因は地方公共団体の計量行政への理解不足にあるので、関係者の積極的対応は急務である。

 規制緩和政策に関しては外圧によるものであり、政治家も規制緩和は経済の活性化と直結するとこぞって説いているが、はたしてこれは論拠として確かなことであろうか。規制の国際整合は道理でありそれに越したことはないが、日本における規制緩和の実施計画には動機の純粋性にも疑念がある。現況の環境パニック、健康パニックに関係しては新たな規制の制定はフリーパスである。

 日本にある規制にはモラルに係わる内容のものもあり、計量法上の規制的規定の多くはこの線上にある。普通であればモラルとして処理されるべきことに、法的強制力を持たせなくてはならないことは日本的遅れであるものの、これは国情でもあるから考えなしに否定できるものではない。

 「規制緩和」が社会正義であるという病的なまでの思い込みのままに、計量行政が強引で理不尽な数合のされるのではないかという思いは杞憂であろうか。

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■社説・情報通信技術の革新と計測器の校正管理(00年6月25日号)

 情報通信技術の急激な革新が続いている。電子メール、インターネットが広く展開し、電子メールは企業間のあるいは企業内の連絡に絶対的に欠かせないものになっており、インターネットは今後どのような展開を見せるのか、インターネットビッグバンの姿を想像するのは難しい。それは旧来のメディアとか通信技術の概念を超越したものだからであり、現在でもインターネットを十人の人が語るとき、その知識の程度で会話には大きな格差があり、共通項は単なるインターネットという用語であるだけといってよい。

 電子メールとインターネットの急進展は時間と場所を超越した労働を作り上げてしまう。何時でもどこででも仕事が出来てしまうので所定のオフィス等に固定された労働から解放されるという事態が発生する。サテライトオフィスあるいはホームオフィス(在宅勤務)という労働形態が少しずつ進展しているのがそれである。米国においては日本に先駆けてホームオフィス(在宅勤務)が一部の職域でかなりの程度一般化している。経理・会計事務、ハード設計・製図、ソフト設計、デザインなどはかなりの程度ホームオフィスでの業務になっており、特に多いのはワープロでの文書作成、執筆、データの入力である。

 筆者の知るホームオフィス(在宅勤務)の典型としてドイツ人翻訳家がいる。郊外の自宅で依頼されるドイツ語、英語、フランス語を日本語に翻訳、あるいはこの逆のことをして生計を立てており、週に三度ほどは駅前の飲み屋に姿を見せて飲み仲間と日本語での会話を楽しんでいるが、これはあるいはドイツ人の文化なのであろうか。このドイツ人は朝は午前四時から昼頃まで翻訳をして、ビールを大ジョッキで八杯は飲むので、その日の収入がかなりの程度消えるのであるが平気である。仕事の用は電子メールで済んでしまうということであり、これが現代である。

 もののある現場にいなくても良いという環境が情報通信技術の急進展で大きくできあがりつつあるその先に実現するものは、計量計測機器に関していえば、遠隔的計測であり、同時に校正等である。事業所内計測機器の校正等管理が実現する先には、計量法が定めている定期検査なども人が現場に赴かないで実施されることの可能性を含んでいる。

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■社説・情報化社会とホモ・エコノミスト概念(00年6月18日号)

 情報が欲しい、情報が欲しいということが現代人の口癖である。情報に遅れることは企業の将来を左右するほど情報の持つ価値が大きくなっているのが情報化時代の今日である。日本の今日は情報技術の技術革新が急進展している時代であり、製造分野、流通分野等あらゆる産業分野が情報技術と連動しなければならないので、この方面の対応は急務である。また分業が進んで相互に依存する社会組織が細分化しているので、細分化した組織の間で連絡を絶えず密にしないと現代社会は動かない。組織間の連絡は、技術が高度化すればするほど、それに対応するためにも行わなければならないものである。現代社会は巨大な連絡社会でもある。

 連絡という行為によって人から人へと伝えられるものは情報である。「情報(インフォメーション)とは意味のある記号のあつまりである」と定義したのがE・バークレイだ。情報という言葉は無造作に用いると物事の混乱の元になる。情報といいたいところを目的に応じて別の言葉で表現してみると当事者間での会話は通じやすくなる。次は情報に関するある会話である。「情報が欲しい」「その情報とは何のことでしょうか」「計量法の改正内容です」「もっと具体的には何のことでしょうか」「先ごろ改正されたはかりの平成十三年問題のことです」「はいそれでわかりました」とここまで話さないと「情報が欲しい」という人の真の意図が分からない。情報という言葉は安易に発してはならないのである。

 経営学者P・ドラッカーは『経済人の終わり』のなかで、古典経済学における「ホモ・エコノミスト」(経済人)の概念が崩れつつあることをにおわせていた。ホモ・エコノミストはものを相手にしていたが、現代の経済人はものよりも情報をより重要な相手にしているようにみえる。情報のもつ価値が飛躍的に高まった結果である。

 以上のような展開をみせる情報化社会にあって企業や個人が対応すべきことの原則ははっきりしている。情報の分類と整理である。記憶に頼れないほど量の増えた情報は分類し整理して保存しなくてはならない。

 どんなに難しいようなことでも分類してみると簡単なことであることが分かる。分類して保存すれば怖いものなし。保存したデータを取りだしてみればどんなことでも分かってしまう。

 インターネットのホームページは知識を含む情報の保管庫でもある。情報が分類され整理され保管されている金庫(バンク)を利用することによって、情報化社会におけるホモ・エコノミストはインターネットによる情報バンクを利用することによってこそ確かな経済活動を行うことができるのである。

 日本計量新報が有償販売している『計量計測データバンク』とはそういう性質のものである。

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■社説・計量制度は産業社会の基本ソフト(00年6月11日号)

 六月七日は旧計量記念日である。一九九三年(平成五年)十一月一日に施行された計量法の全部を改正する法律第五十一号(通称は新計量法)にちなんで計量記念日は十一月一日に変更にされた。計量記念日の前には度量衡記念日があり、これは四月十一日であった。六月七日の旧計量記念日は一九五一年(昭和二十六年)に度量衡法を改正して計量法が公布された日であった。四月十一日は一九二一年(大正十年)に、メートル法を主としこれに統一するための度量衡法改正案が公布された日であり、度量衡記念日あるいはメートル記念日と呼ばれており、現在も国民的記念日として多くの手帳などに記載されている。

 計量に関する新しい記念日「世界計量記念日」が追加され、その記念日の最初の年を迎えた。その日は五月二十日であり、一八七五年(明治八年)にメートル条約が成立した日である。この年の九月、外務省が同条約加盟を上申したが許されず、十一月には駐仏講師を通じて加盟勧誘があるも日本国として不加入を決定。日本がメートル条約に加盟を決めたのは一八八五年(明治十八年)七月のことで、翌一八八六年(明治十九年)四月十六日にメートル条約加盟を公布(勅令無号)している。帝国憲法が発布されたのは一八八九年(明治二十二年)で、この年に国際度量衡総会第一回総会が開かれ、国際原器による単位の定義がなされた。この年の十月に日本は国際度量衡局からメートル原器とキログラム原器を受け取っている。

 過日の五月二十日は一八七五年(明治八年)にメートル条約が成立した日であるの第一回記念日であったが、これが決定されたのは一九九九九年十月七日の国際度量衡委員会であり、十月十一日からの国際度量衡総会で公表されている。偶然なことであるが計量法の全部を改正する法律第五十一号(通称は新計量法)の公布日は一九九二年五月二十日であり、「世界計量記念日」(Worid Metrology Day)と同じ日である。日本の計量記念日と世界計量記念日と二つが存在し、それぞれの記念日に計量を強調するのはそれを受け取る側にとっても紛らわしいことであることから、本紙では世界計量記念日の周知をためらっていた。今後この取扱いを日本の計量関係者がどのようにして行くのか、知恵を見せてもらいたいものである。

 六月七日は旧計量記念日は主権在民の戦後民主憲法に対応した計量法を記念したものである、十一月一日の現在の計量法はということになると、一九九五年の新計量法のどのような特徴にあげることができるかというとその論拠にとぼしいので、1の数字が三つ並ぶことから計量を象徴するということが強調された。

 六月七日を何時までも記憶に残す意味もあって東京計量士会(奈良部尤会長)はこの日に総会を開くことを習わしとしている。度量衡記念日も旧計量記念日も現在の計量記念日も計量に関する法律の公布や施行の日を当てているが、どちらにしても計量法の記念日である。

 国民に計量法の記念日を強く訴えるとしても、計量法は国民のために何をしているのか、計量とは産業社会のためにどのような役割を果たしているのか、簡潔明瞭に説明できる言葉が欲しいものである。

 そこで一言。「計量制度(計量システム)は産業社会の基本ソフト(OS)であり、計量技術(計量テクノロジー)やその他の産業技術等は基本ソフト上で動くプログラムやそこで処理されるデータなどの情報と同じものといってよい」

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■社説・公務員を不幸にしないための情報公開法(00年6月4日号)

 本欄で警察の非国民性と非民主制を実例を挙げて何度か取り上げたのは、その体質が他山の石とするにしても酷すぎるからである。案の定、栃木県警が殺されかけている青年を見殺しにした。応対した警察官は懲戒免職になるが、同類の事件は山ほどあるから全国の警察官を山ほど懲戒免職にしなくてはならない。腐りきった警察の体質は警察だけにあるのではなく、役所すべてにあると見てもそれほど荒唐無稽な見方とも言い切れないように思える。

 公務員は国民の利益のために働くべき人々であるが、伝統的な官僚主義に権威主義が加わり、そこで働く人々の多くが国民を小馬鹿にしたような感覚を持っているように見える。栃木県警の警察官は切実な思いで警察に助けを求めていることをあざ笑う応対をした。これでは堀国家公安委員長もしかめ面をいくらしても間に合わない。森総理大臣の神の国発言の根本には国民主権が忘れられているといってもよく、本人曰く所の「政治生活」が泣く。政治家の議員活動を政治生活などという当たりがそもそも間違っているのであって、議員活動なり政治家としての活動というべきである。

 おらが村の出身の政治家やスポーツ選手など有名人は誇りである反面、失態が続いたりすると恥に転化する。ある人はミスターGを見ていると同郷人として恥ずかしくなる思いだと述べた。それを聞いたI県出身者はおらが村出身の総理大臣だって恥ずかしいと対応した。

 栃木県警、新潟県警、京都府警、神奈川県警の恥ずかしい実体と計量行政とは無縁であるものの、同じ村にいる者にとっては恥ずかしいことのようである。

 国民主権、住民主権のもとで行政の任にある者は自分のことよりも主権者の利益を優先して物事を考えなくてはならない。専門知識のなさや着任後日が浅いからといって事なかれ主義を通すことは罪悪である。まして地方分権時代においては行政情報を地域住民と共有し、住民参加の行政を展開しなければならないのだから、行政情報はどんなものも公開すべきと考えて間違いはない。行政情報を公開しないことはそれを知りうる人々によって政治や行政がねじ曲げられるということに他ならない。情報公開法は行政の透明性の確保と不幸な公務員を作らないための道具立てでもある。

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■社説・インターネットと計量計測情報(00年5月28日号)

 優秀な日本人のあなた。あなたはインターネットを使っておりますか、使えますか。失礼なことを申し上げているとは存じますがインターネットのまねごとはできても使いこなしとなりますとまだまだというのが実情のようであります。インターネットはここ数年で急速に普及したものですから、その概念を把握すること自体が難しいようです。

 新時代はビジネスに必要な知識や技術その他のニュース等情報はインターネットを通じて入手できます。ビジネスの世界における意志決定もインターネットという新しい情報通信手段を用いることによってすさまじい早さで行われるようになりました。情報伝達とコミュニケーションの即時性、同時性の実現によって情報化社会はさらに進展します。

 江戸時代には江戸と京都あるいは大坂に駅伝制度ができていて、江戸と大坂の情報の伝達速度は速いものでも六十時間ほどでした。電信電話の発明でこの情報伝達の速度は飛躍しましたが、インターネットはそれに匹敵し質的側面においては情報革命を引き起こすものといってよいでしょう。

 新概念のものが出てきますと、その理解にはそれなりに時間を要します。電気と電灯などがそうでしたが、インターネットはそれ以上のものであるようです。私どもではインターネットを通じて情報を販売しておりますし、ホームページ製作の事業をしておりますが、インターネットに関する知識の生かじりの人々が多いことを実感します。インターネットはアクセスすればそれなりに情報をもたらしますが、本格的に必要な情報にアクセスした来ビジネスのために利用するとなると、利用者側の訓練は不十分であるといえます。今後とも一層のパソコンの操作の容易性が向上することは間違いがありませんが、学問に王道がないようにインターネットに熟達するのには地味な努力を積み重ねることが大事であります。

 本紙がインターネット上で発売している『計量計測データバンク』はオールマイティといえる計量計測情報のデータバンクであります。ぜひともインターネットに習熟して最大限にご利用いただきたいと存知ます。

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■社説・計る世界の広がりと未知への好奇心(00年5月21日号)

 計るということ言葉でくくられる世界はどのように広がっているか。人間生活に直接・間接的に係わる世の中のほとんどの事象は計ることとつながっており、またある分野は計ることを実現するための研究を続けている。より精密に計られ、緻密にコントロールされている計測分野がある一方、はかる術が分かっていない分野もある。また計る対象として認識していない分野もあり、水質、大気、土壌の汚染の程度などがそうであった。計ることを象徴していることにスポーツ系の乗用車のコックピットがあり、車速、エンジン回転速度、その他の計器類で埋め尽くされている。スポーツ車のコックピットには演出性あるが、より快適で安全でスポーティな走りを追求すると、そこに計ることが多く加わるのであろう。

 人類は文明の誕生の以前から夜空を見ては月の満ち欠けの周期を記録していた。そして物の長さを計る技術を獲得することと平行して文明を生み出してきた。従って文明は計ることと不可分であり、現代の文明は計る技術の発達の度合いの到達点でもある。計る技術と計るための機器の発達は、ほぼ時間的同一性をもつから、計量計測機器の全体は現代文明を映す鏡でもある。文明の発達は人類の知識総量増大であるから、文明が発達するほどに人間個々が蓄えられる知識の相対的大きさは小さくなる。

 インターネットを中心にする情報技術の急速な発達は、個々の人間が保有するのに困難な知識を補うことになるから、知識不足で知らない世界を何とか繕うのに役立つ。インターネットは情報ツールとしてはこれまで存在しなかった果てしない能力を持つものであるから、情報に関しては個人と法人との格差をかなりの程度埋めることになり、達人にかかれば個人と法人の情報格差はなくなる。今まさに情報化社会であり、情報そのものが大きな価値を持つ時代であるから、この社会を上手に生きるには、自分の専門の領域に精通することと同時に、外の世界を知ろうとする好奇心が大事である。企業も個人好奇心を失わないことが元気でいられる秘訣であるように思われる。

 現在計量の世界で起きていることは規制緩和、地方分権、自己認証制度の広がりであるが、そのほかに何が進行しているのだろうか。

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■社説・地方の計量行政と計量協会の機能(00年5月14日号)

 計量の世界には計量行政機関としての都道府県計量検定所、市町村の計量検査所などがあり、計量士資格者に加えて計量計測機器製造・修理・販売事業者、関係する消費者などで構成されている。計量行政の目的は計量法が定めるところの適正な計量の実施の確保であり、その範囲は取引と証明に関する計量ということになる。計量法が直接に規定する方目的は非常に限定的であるため、計量あるいは計測が本来持つ社会的・技術的機能とは矛盾する。

 計量計測を純粋なテクノロジー視点から見ると、計量と計測は技術面からは産業や学術・分化と広く深く関係し、計量と計測の技術の発展がそれらの発展を促し支える。国の仕組みは政治や経済の仕組みであり、それは社会システムでもある。計量制度は社会システムの根幹となることから、国家は誕生と同時に計量制度を何らかの方法で定めている。古代にさかのぼるほど計量制度は権力の象徴の度合いが強く、計量制度は徴税の便宜とも結びついていた。また取引の公平さを確保するためにも一元的な計量制度が必要であった。

 現代の計量法を骨格とする計量制度は後者、すなわち社会システムとしての性格を色濃く持っているが、計量と計測のテクノロジー視点からはそれでは不十分である。テクノロジーとしての計量計測の機能を存分に発揮させることが社会と国民生活の発展に結びつく。計量制度ならびに計量計測技術の未発達な地域や国の経済振興がないことを見ればこれらの大事さが分かるであろう。南米やアジアの途上国では国家そのものが計量標準を持ちいていない事例があり、また近代的・現代的な計量制度を確立できていない状況がある。

 このことは人ごとではないのが地方分権時代の計量行政である。地方公共団体に委ねられた適正な計量の実施の確保をすることは簡単ではない。適正な計量の実施の確保別の言葉でいえば 住民の計量の安全の確保に自治体が十分に責任を自覚している状況ではないからである。

 計量法の直接的目的である「適正な計量の実施の確保」に加えて、計量と計測の振興・発展を推進することが必要であり、そのために行政機関を含めた計量計測関係のすべての機関や人々が取り組むことが求められる。計量計測関係者は先にあげたように行政機関、計量士、計量器事業者ならびに関係する消費者で構成されるが、各々では達成できないことを互いに協力して実施する場として計量協会があると考えられる。

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