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日本計量新報 2016年10月16日 (3123号)

日本語を読み、書き、物事を処理するに足る知識と教養を身につける

使い始めたタブレット端末で調べ物をしているとどれもが外国発の情報であり英文であった。困ったと思うと「和訳しますか」という問いかけがある。操作すると日本語訳がでてきた。専門の言葉であるので訳文には不足があるものの役には立つ。このようなことを知らないので、使っているノートパソコンには英文和訳・和文英訳のソフトウエアやブラウザの拡張機能は入れていない。知らなかったのではあるが、この方面のソフトウエアの進展は凄まじいのであろう。平たい新書版ほどの、アンドロイドOSで動くソフトの英和変換機能がスマートフォンには組み込まれていて英語を忘れたか知らない者でも英語を日本語に読み替えて理解することができる。こんなんなら英語を学ぶ意味は普通の人にはないのではないか。

計量の世界の先達である初代度量衡委員で空飛ぶ博士と呼ばれた<RUBY CHAR="田中館愛橘","たなかだて あいきつ">の時代は英語ができることが学問をするために必要なことだった。英語は外国人夫人に学んで慶應義塾に入塾そのあとに東京大学理学部ができた翌年の1878(明治11)年に入学した。理学部にはイギリス人教師のジェームス・アルフレッド・ユーイングとアメリカ人教師のメンデンホールがいて英語で授業をしていた。ともに理学と工学の博識でユーイングは電磁気学を地球物理学を担当した。日本の理学分野の学問の始まりにこの2人が大きな働きをした。田中舘は882(明治15)年に東京大学理科物理学科を第1期生として卒業、1888(明治21)年、公費でイギリス・グラスゴー大学のケルビン卿のもとで学び、1891(明治24)年に帰国し東京帝国大学理科大学教授に就任している。この時代の英語は物理学分野の学問を修得するためのものであった。

日本語と英語の変換・翻訳ソフトウエアはコンピュータの演算能力の発達が基礎になっている。これを基にして翻訳をするためのプログラミングほかによってアンドロイドOSで動く日本語・英語変換ソフトができあがる。ほかの言語の翻訳ソフトもできている。そのソフトウエアの利用者数とそこから得られる手数料がどのようになってるかは知らない。かつて電卓は高価格だった。給与と同じくらいのときがあり、その3分の1ほどのときもあったが今は子供の小遣い銭よりはるかに少ない販売価格になっている。この方面の価格現象であり、価格低減の速度は速い。

少ない費用によって大きな稼ぎをすることができれば商売は成功する。売り上げが一定なら費用を小さくすることだ。こうしたことが生産性運動で叫ばれた。それが工夫でなされればよいが人の動きを最小限にすることでそれを成し遂げようとし、そのために人の心も縛った。生産性運動は人の管理の運動になった。商品開発と市場開発の観点は物づくり現場に与えられなかった。

労働生産性とは売上高に対して何人働いているかで計算される。国の労働生産性は国民総生産(GDP)÷就業者数で計算される。日本のGDPは減少する。日本の就業者数も減少する。日本の人口は下手をすると明治初年の3万人に減る。第2次大戦直後の7000万人に落ちていきそうである。福祉や介護の労働需要は大きいのに賃金は低い。コンビニエンスストア、スーパーマーケット、ホームセンターの主要な働き手は高校生や大学生そして一般の主婦などである。賃金は低い。日本の労働生産性はこうしたサービス産業の分野では低いことになる。名の知れた酒場では800円のウイスキーを10倍以上の値段で売る。それは100倍であることもある。接客に従事する女性の報酬は高い。このような特別な分野もある。

新卒者が就きたがる職業とその会社は40年すると衰弱することが多い。いま輝いて見える会社と職業はやがてはくすむ。働く人あるいは人にとって大事なものはなんであるか。その人が獲得して備えた能力である。読み・書き・<RUBY CHAR="算盤","そろばん">は人としてのたしなみであり、江戸時代以降の日本人はこの修養に努めてきた。このことはいまも変わらない。その意味で日本人は駄目ではない。和文英訳ソフトが普及すると英語を学ぶ意味がいぶかられる。日本語を読み、書き、物事を処理するに足る知識と教養を身につけることに重きをおいて、そのことを財産として生きていくことが大事であるように思われる。

 

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