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日本計量新報 2014年8月3日 (3020号)

考えない、知識がない、やる気がない、ことの後におこる事態

人はいろいろだ。考える人と、考えない人がある。工夫をしなければならない場面で、工夫をして何とか乗り切る人もいれば、工夫ができないで自滅する人がいる。知恵は大切だ、だから知恵をだそうということになっても、知恵のかけらもでてこない。おそらくその人の頭脳は鬱(うつ)のような状態になっていて、物事を前向きに考えることができないのであろう。そうかというと自分の保身や言い訳のためなら悪知恵は泉のようにわく。人はそのようにできているらしい。
 周囲を見渡すと仕事の場面で工夫をして知恵を発揮する人は10人に1人いればよい方で、10人のうち9人は知恵とはどんなことかさえ考えたことがないようなそぶりをしている。知恵をだす者は実際にはその程度であり、その知恵者を取り除くと、代わりに知恵をだす人がでてくる、という法則じみたことがあるらしいが、これは疑わしい。
 知恵などという難しいことではなくて、考えることが日常できていれば物事は何とかなる。この仕事は5時間ですませているがこれを3時間でやってしまおう。仕事の過程に不要なことはないか。不要なことがあれば取り除き、ほかのことで置き換える。そのように考えるのだ。
 考えろといってもほとんどの者は考えない。考えない、思わない者は、いつしか職場から排除される。その職場から排除される前にその職場がなくなることがある。恐ろしいことに計量行政でこのようなことが起きている。ある地方公共団体の所長は、よく考える人であった。市民の暮らしに計量行政が寄与するように、多方面の業務を計画してこれを実施してきた。そうした仕事を生き甲斐にしてきており、こうした考え方は善良な地方公共団体の計量行政職員の皆がもっていたことであった。計量行政にかかわる知識は、計量教習所(当時)で学び、先輩の薫陶を受けて、またハカリの定期検査ほかの業務で現場にでていくことを通じて習得してきた。その人が定年で職場を去った後に起きたことはどのようなことか。考えない、思わない人々が多くなった。やる気もない、知恵もないという人の割合が増えた。そのような状態が3年ほど続いたあとに、その職場は計量検査所という名前をもぎ取られた。組織も係の名があるほどの小規模になり、計量の名がかすかに残っている程度になった。人員と計量行政を運営するための費用は極度に小さい。
 市町村などの計量行政機関は特定市として、ハカリの定期検査などを主体とする業務をおこなっている。ハカリの定期検査を指定した計量協会か民間団体に実施させていれば急には行政の不始末が出現しないとはいうものの、指定して定期検査を実施する者に対して、それをおこなうに足る費用を出さなければやがては指定定期検査機関が運営できなくなる。役所は正規職員の身分をそれなりに保証しているのと平行して、年収が200万円ほどにしか届かない非正規の人を用いている。このまま進行すると地方公共団体が指定する指定定期検査機関が非正規の職員並みか、それ以下の状態におかれる。
 ある地方公共団体の職員は指定定期検査に対して、自分たちが業務の発注者であると述べた。取引と証明分野のハカリの定期検査はその全数が把握され、検査されなければならないのに、その半分ほどしか検査されていないという実態を知っていてのことなのか、意識と知識と認識の在り方に疑問がもたれる。意識されない事柄は消え去っていく。計量行政の知識をもつ職員が減り、あるいは消えると、やがては計量行政がその地方公共団体から消えてしまう。このような恐ろしい事態が進行している。

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