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日本計量新報 2012年6月3日 (2919号)

作業の正確さ、忍耐力、持久力は日本人の特質である

日本人の食卓にのぼるワラビ、ゼンマイ、ふきのとう、タケノコ、栗、キノコ、山芋、イチゴ、鮎、山女魚、岩魚、沢ガニ、などは縄文時代から食べてきた食物であり、北海道にいた縄文人は海獣を主食にしていた。熊、イノシシ、シカ、ウサギなどは簡単にはとれないので主食にはなっておらず、信州などの内陸部ではドングリ、クルミなど殻の固い木の実を主食にしていて、ドングリを川の水に浸けて晒していた痕跡が確認されている。これらに牛、鶏などの肉が追加されているのが現代の日本人の食である。

 そのころの中国は、すでに代数の初歩を解いているような先進国であった。日本は文字ももたず統一的な政治体制もなかったが、その後2000年ほどの間に独自の文化をもつ民族国家として成長した。

 幕末に日本にきたロシアの提督プチャーチンの副官で作家のゴンチャロフは日本人は中国人であると述べて、違いのないことに疑いをもたなかった。韓国人も中国人も日本人も同じ祖先をもつ民族であると多くの人が考えていた。日本人の先祖は沿海州からサハリンにかけて散在する少数民族であるらしいことが、日本人とこの地の少数民族にだけATLウイルスのキャリアがいることなどから推測されている。日本人の源ともいえる縄文人は驚くほどに精巧な土器をつくっていた。この時代の竪穴式住居は平安時代のころまで同じ形式でつくられており、山の炭焼き小屋でもこの方式の休憩所を使っている。縄文時代の人口は10万人ほどであった。朝鮮半島から水稲技術をもって渡来した人々が縄文人と混血して現在の日本人の形質を形づくっていった。弥生時代と弥生文化が成立すると、水稲の生産性の高さに比例して人口が増える。以後、古墳時代から現代まで日本の歴史と文化は続いていく。

 古代、現在のレバノンに相当する地域に住んでいたのはフェニキア人であった。地中海に面したイスラエルの隣に位置するこの地からフェニキア人は地中海を渡り、現チュニジアのカルタゴなど各地に植民地を形成したが、紀元前10世紀にはアッシリア帝国に飲み込まれ、民族としてのフェニキア人は消滅した。ついで新バビロニアが、紀元前525年にアレクサンドロス大王のマケドニア王国に、古代末期にはローマ帝国に征服され、7世紀には東ローマ帝国を破ったアラブ人に征服されてアラブ人が住民となりイスラム世界になった。

 このレバノンの首都ベイルートに日本のあるファスナー企業が工場を建て、現地の女性数十人を雇って現地生産をしていたところ、賃上げ要求のストライキが発生、このとき、7人の日本人が数十人の被雇用者と同じ量の作業をしてしまった。この事例を紹介した曾野綾子氏は、日本人の「仕事に対する正確さとか頑張りというのは、やはり、地球上に希有のものと言ってよろしい」「目に物を見せてやるという変な闘争心が沸き起こってそれで物事を成し遂げてしまうというところもあります」「小徳が日本人にはとても行き渡っています。盗まないとか、怠けないとか」と述べている。

 小学校の全国的普及が一番速かったのがドイツと日本であり、小学校の教育をつうじて忍耐力と持久力が備わったと考えることができる。また日本では縄文時代から鍋、釜、食器に装飾の細工をする文化が日常に行われていたことでもある。物づくりと作業の正確さ、忍耐力、持久力は日本人に備わった民族的特質であるようだ。

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