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日本計量新報 2008年11月2日 (2747号)

知らなければ何の感情もおこらない、計量法知識のない行政職員が沢山いる

タイプライターの使用は、いまでは特別な人だけの趣味の世界になっている。タイプライターは文字を打ち込むハンマーの数を制限しなくてはならないから、漢字を取り扱うのには不便である。英語のアルファベットでは、大文字小文字を別にすればわずか26文字でおおよそのことが表現できるから、文字打ち込みのハンマーの数に制限があったタイプライターとの相性は非常によく、タイプライターはアルファベット表記のためにある機械であるといってよい。
 鋳型でくりぬいた判子のような形状の文字ハンマーとこれをレバーの機械仕掛けで操作するタイプライターは、永久不滅の文書作成装置であるように1970年代までは思われていた。コンピューターの発達はパーソナルコンピューターへとつながり、そのパソコンはとんでもない速さで進歩をつづけていて、その文書作成能力はタイプライターと比較すると億とか兆とかいうくらいの倍数ですぐれている。
 最近のパソコンは、キーボードだけではなく人の声を聞いて内容を意訳して上手に表現することができるところまで発達している。日本語文書を英語やその他の外国語に翻訳することも実現する。日本人が通常もちいる漢字はほとんど、どのような漢字でも拾いあげて表記することができるし、大きさも自在に変更できる。タイプライターの時代には予想もつかなかった文書作成能力を、パソコンは備えているのだ
 タイプライターの26文字を基本にしたハンマーですべての文書表現をしてしまいたいと考えた人々にとっては、日本語の平仮名と漢字の混交文書は何とも癪(しゃく)の種で、取り除いてしまいたいと考えたとしても不思議ではない。
 日本語を日本語のままで世界に通用させようとして、日本語のローマ字表記を唱えた人もいる。しかし、日本語は音(おん)だけでは細かな意味が通じないことがある。言葉の意味が通じなければ、実質的なコミュニケーションはできない。
 ともあれタイプライターの機能を優先して、この機能の制約のもとで日本語の表記をいじり回さなかったことは、日本語の進路にとって非常に幸せなことであった。
 明治政府は幕藩体制から近代国家に切り替わるにさいして統一的な日本語にするために共通語をもちいる政策を採用した。夏目漱石が小説の世界で表現した日本語の言い表し方がその後の日本語の書き言葉に変革をもたらした。

 折しも文部省国語審議会の活動をうけついでいる文化庁の文化審議会国語分科会漢字小委員会は、常用漢字から「錘」「匁」「勺」「銑」「脹」の5字が日常生活に使われることが少ないということで削除対象にする方針である。
 常用漢字は、あくまで「目安」として示されるものであり、日常的に使う漢字を常用漢字のみに制限するものではないが、公務員(行政機関)に対しては新常用漢字に盛り込まれた漢字の範囲内で使用することが求められることが多く、実質的に制約が生じる。また、常用漢字は学校の国語教育課程と連動するので、常用漢字から外れた漢字は学習対象としての地位が低下する。そうすると、「錘」(すい)、「匁」(もんめ)、「勺」(しゃく)、「銑」(せん)、「脹」(ちょう)は、社会から遠ざけられがちになる可能性がある。
 「錘」(すい)という文字は計量法の関連法規にさまざまな概念の計量器またはその器具として記載されていいて、これを「すい」という平仮名で表現するとなるとその意味が汲み取りにくくなるという不便が生じる。「匁」(もんめ)、「勺」(しゃく)なども同様の問題点が挙げられる。文化庁の文化審議会国語分科会漢字小委員会の国語政策の在り方の基本方向などを詳しく知ることができれば、述べることは沢山あるのだけれども「錘」(すい)を「紡錘」とだけ認識し、「銑」(せん)を「銑鉄」など鉄の制作過程の非常に重要な用語としてとらえられないことなどは、子供の理科離れというよりも大人の理科離れ、文系学者や文化庁行政職員の理科知識の不足を露呈するものと察せられてならない。

 計量行政においても同じことがいえる。国民や事業者が守るべき計量の行為にたいして、十分な知識が行政職員に備わっていなくては、適正計量の実施を通じた計量へ国民の信頼確保を実現することはできない。検査(定期検査)されないハカリがあっても平気でいられたり、検定期限切れのプロパンガスメーターを意図的に継続使用する業者に、何らかの指導なり改善を求めることさえしない計量行政機関がある。こうしたことが、文部科学省や文化庁の行政職員の理科知識の不足と同様、よい結果を招来しないことは明白である。
 知らなければ何の感情もおこらない。現在の計量行政機関の元締めとなる地方公共団体は、計量法がなすべき行政事務に目をつむっており、現場に配属される職員には、計量法の知識が著しく不足した者が沢山いる。事態は深刻だ。
 ハカリの自主検査によって定期検査に代わる検査体制をとっている適正計量管理事業所がこれを放棄して行政検査に委ねるようになると、日本のハカリの定期検査制度は破綻をきたす。地方公共団体は、そもそもそのようなハカリの定期検査をする仕組みになっていないからである。
 そのような状況下にあって賞賛されることは、計量管理や品質管理に対するしっかりした考えを持ち、ハカリ(質量計)をはじめとするあらゆる計量器を適切に管理し、国際的にも通用する確かな証明性を持った品質管理体制を築いている企業があり、国内・国際舞台で活躍して大きな業績を挙げていることである。
 計量管理を重荷と感じ、この経費を浮かせることで利益を増やそうとする姑息な考えをもつ企業は、取引先はもとより国民の支持を得られずにその事業から退くことになる。大企業であるトヨタやパナソニックは、計量管理においてどこよりも優れた伝統を持っているのである。


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