トレーサビリティの土壌
学術会議提言の実現に向けて

−多賀谷宏(コンサルタント)

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日本計量新報98年1月18日号

山 高きが故に貴からず

 お正月のカレンダーや年賀状には富士山をあしらったものが多い。わが国最高峰というだけではなく、明快で美しい単一の頂きをもつ山容が広く周辺各地から眺望できることで多くの人を魅了し、それがまた海外からも高く評価される由縁であろう。単純明快ということはそれ自体が人類共通に響く美しさを持つようである。

 私は日本産業技術振興協会(技振協)時代に何度か、米英仏独等から大使館付き科学アタッシェ等を招いて国際シンポジウムを開催したことがある。それらの運営を通じて強い感銘を受けたのは、米国の国家公務員だけが事務局が用意した講演謝金を絶対に受取らなかった事である。欧州や中国の官僚制度の影響を根深く残す日本と、多民族国家としての度重なる洗礼を受け独自の行政機構を造り上げたアメリカとの、もっとも大きな文化の違いが、こんな所にも端的に顕れているように感じている。

 経済力や軍事力をチラつかせて何かというと「制裁」を振り回すなど、米国の鼻持ちならぬ面はたしかに少なくないが、政治形態の差を越えて国家公務員がこうした他国に見られない厳しい自己規制をかけている点は、日本も率直に見習うべき一つではないだろうか。

 環境・産業・金融・情報・貿易どれをとっても今や地球全体がある意味で一つの多民族社会を構成しつつある中で国境を越えた説得力と倫理観を持たなければならない時代になっており、昨年末の「温暖化防止京都会議」でも発展途上国に対する欧州とアメリカの譲歩を通じて世界に強い印象を与えた。

 今後、多国籍化ないし業際的な対応と理解を強く求められる計量界も明快な国際理解を目指すべきで、行動指針やターゲットもしくはライバルをどこに視るかは、日本との産業構造・人口比・GDP構成内容などを熟慮し、かつ基本的な目的(国家標準設定の充実)と補間的な手段(指定・認証等の制度整備)との重みを見誤ることなく資源配分を心掛ければ自ずと見えてくるだろう。

 ちかごろ私の見聞きするところ度量衡畑、電気計測畑を問わず、実態に詳しい標準研究〜管理技術者の間では、昨今の欧州の標準関連行政機関の動向やトレーサビリティへの道筋づくりに疑念を持つ人が多いようである。欧州が抱える問題には様々な事情もあるようだが複雑曖昧さは多民族間の共通理解を得難い。歴史的精神文化の高さのみでは現代の広い産業技術の裾野のレベル維持や向上・変革への共通理解には直接繋がらないという事なのだろうか。

ある日の桜井健二郎さん

 ところで長いトレーサビリティとの付合いを通じて私にとって忘れ得ぬ人は数多くおられるが、その中でも故桜井健二郎博士は先ず最初に挙げておかなければならない人であろう。

 十年あまり前になるが、ある日の昼休みのこと、遅い昼食を共にした同僚達と新橋の第二十森ビルにあった事務所へ戻る途中、後から呼びとめられて振返ると、そこに人なつこい顔があった。なんと電子技術総合研究所(電総研)電波電子部長を辞められて光産業関連の研究組合のヘッドになられた桜井健二郎さんだった。事務所がお近くに設立されたとは承知していたが思いがけない再会だった。

 こんなことがその後も数回あったが、当時私の仕事は新エネルギー関連や通産省の技術政策がらみの調査が主体になっていたり、かつて桜井さんにお世話になった計測やトレーサビリティ関連からは暫し遠ざかっていたこと、そして何よりこの時の先生は時代の最先端技術オプトエレクトロニクス研究所のリーダーだったので、とてもご挨拶に伺う気もないまま過ごしていた。ところがその空白を全く感じさせない笑顔に出喰わし私はすっかり恐縮してしまった。往年カミソリのような鋭敏な風貌を強く印象づけられていたので、この時の暖かく柔和なお顔をみて新たな懐かしさがこみあげてきた感じでもあった。

 しかし後で聞いて判ったのだが、このころ先生は寄り合い所帯のとりまとめと新研究所の方向付けにたいへんなご苦労をなさっていたようである。あたら天下の鬼才をこのような雑務で夭折させてしまった官僚機構の制度疲労を思ったものである。せめてもの救いは没後この分野で優れた研究成果を挙げた若手研究者に贈られる賞に桜井健二郎の名が冠せられるようになったことであろう。

洞察力と先見性の人

 話はぐっと遡るが一九六三年前後、氏は直近の在米研究時代にNBS(現NIST)やNCSLで目のあたりにした、企業が自己責任で国家標準への接続性を確保するという、まったく新しい計測標準の信頼性維持システムの考え方、つまり米国でのトレーサビリティ関連情報を日本に最初に紹介した人である。

 洞察力とすぐれた先見性の持主だった氏はまた生産現場で測定する人が自分の責任において信頼性を確保し、最終的にはなんらかの形で国家標準への接続性を保つという、まったく新しい計測標準信頼性維持への捉え方つまりトレーサビリティの概念が将来、日本にとっても重要な役割をもつことを早くから見抜かれた方でもある。帰国後、氏は産業界や行政をはじめ各方面に説かれると共に、計量研究所(計量研)の高田誠二第一部長や電総研の石毛竜之介標準計測部長にその具体的行動計画立案を示唆されたのである。

衝撃的な情報に触発

 この頃私は計量研の企画部門にいたが、計量研の担当範囲内でもすでに力計(確か航空 機の負荷バランス測定用のストレンゲージ式のものだったと思うが)の検査成績書交付時に、納入先が駐留米軍関係 だった申請者から、「米国NBSに相当する日本の国家標準との接続性が存ることを明記」してほしいとの当時としては異色の要求があったことを鮮明に憶えている。

 この時代、私はメートル条約(国際度量衡委員会)がらみで、国内連絡調整機関としての機能を持つ日本学術会議第5部国際度量衡研究連絡委員会(度量衡研連)への計量研窓口でもあったが、当時よく使われた産官学という言葉の中の「産」の意向の吸上げ機能がこの委員会には欠けているのが常々気になっていた。

 桜井さんからもたらされた衝撃的な情報に触発されて早速、高田・石毛両部長をはじめ、その頃駐米日本大使館での第二代科学アタッシェを務め上げて帰国したばかりの東京工業試験所石坂誠一次長、それに前記度量衡研連の「時間」標準問題で面識をいただいていた郵政省電波研究所の佐分利義和部長など多数の方々のご支援を得て、産官学構成による「国際標準研究連絡会議」の設立計画を立案し工業技術院に予算措置を求めることにした。

 研究予算以外での新規要求は無理かとも思ったが、淡泊で諦めの早い私にしては珍しく根気よくアタックしたので、当時工業技術院研究業務課で計量研担当だった柘植方雄氏(現地熱技術開発0x01F1社長)にはこのとき随分と御迷惑をかけてしまった。しかし氏のご尽力のお陰で予算も確保されスタートできるに至ったし、この会議設立時の人脈が後年、技振協で日本版NCSLを目指した産業計測標準委員会の設立、さらにその枠で行なったトレーサビリティ体系調査事業(昭和四十九年度)の「体系調査委員会」の編成時にも大いに役立つことになった。

その後の学術会議から

 ひるがえって昨一九九七年の計量界のトップの話題を挙げるとするなら、私としては前出の日本学術会議「第5部」報告として「標準の研究体制強化についての提言」(平成九年六月二〇日)が打ち出されたことを挙げたい。理由はその中に標準研究の在り方、方向付け、成果の活用、供給体制の整備、省庁の縦割り排除による標準関係施策の一貫性確保と一元化の必要性等々、大筋として実に我が意を得た内容が盛り込まれていたからであるが、それだけでなく提言の最高責任者‥第5部長として、学界からではなく内外の産業界を熟知される内田盛也=ウチダもりや先生(工博・0x01F1帝人顧問)の名をそこに見い出したことで一層嬉しくなったからである。

 実は私がトレーサビリティ関連業務を一時離れた技振協時代の後期、ちょうど先進諸国間の技術開発政策の対比や日・欧・米の特許制度比較問題などの委託調査に専念していた頃であるが、この分野の先達でいらした先生には何度もご指導とお力添えを頂いたことがあり、今も尊敬感謝申上げている方でもあったから、その名を思いがけずもこの標準研究体制の改革検討という場で再発見できたという喜びと共に、人の出会いと縁の妙をあらためて感じたからでもある。

 流麗と評すべき内田ぶし?は不思議に接する者を元気付ける力をもっており、名伯楽を迎えて一九九八年が日本のトレーサビリティの屋台骨を支え、成長への肥沃な土壌をも提供することになるであろうこの提言の実現に向け、確実な一歩を進める年になることを切望してやまない。

 (コンサルタント)

NBS・国立標準局、のちのNIST・国立標準技術研究所。NCSL・全米標準管理ラボ連絡会議。文中の役職名はいずれも当時】

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