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第200回NMS研究会報告(2014年10月)

(3065号/2015年7月19日掲載)

アシザワ・ファインテック(株) 塩入一希

 2014年10月4日(土)、品質工学会会議室で、第200回NMS研究会が開催された。NMS研究会の開催200回を記念し、参加者の自分史の振り返りと討論をおこなった。

1、品質工学・NMS研究会との出会い「自分史を考える」(アルプス電気(株)、上杉一夫)

 アルプス電気へ入社してすぐモールド金型設計に従事した。サプライヤーに言われた収縮率で造るものの修正が当たり前であった。管理職となって全数検査でスペックを満たしていてもクレームで返ってくるというのも経験した。品質工学との本格的な出会いは会社で導入が決定され、渋々通信教育を受けることになったときだ。矢野氏に「アルプスは先駆的研究をしていない」と言われ、見返すつもりで辿り着いたのがバーチャル設計であった。今思えば過去の苦い経験も品質工学を知っていれば解決できたことも多かっただろう。もうすぐ定年を迎えるが、定年後も品質工学に携わっていきたい。

2、自分史を振り返る(アシザワ・ファインテック(株)、塩入一希)

 大学と大学院では物理を専攻し、ニッチな研究がしたくて粉体装置メーカーに入社した。品質工学との出会いは父から、「今は設計ではなく品質の時代だ」とタグチの名を知らされた。「基本機能を評価する」という考えがまさに物理だと感じたため品質工学には共感を覚えた。シンプルな物理で記述することで、技術者のアイデアを早く安く評価することを実践していきたい。

3、橘鷹(トヨタ自動車)の自分史(トヨタ自動車(株)、橘鷹伴幸)

 レーシングが好きでトヨタ自動車に入社した。初めはエンジン設計を担当していて品質監査室へ異動となった。耐久信頼性の確立を支援するのを仕事としていたが、新規部署創設とともに評価技術の開発へ変遷していった。その頃に先輩社員から「2014年の品質工学大会で発表するぞ」と言われ、品質工学を猛勉強することになった。品質工学を学ぶに当たって、「入力と出力の関係性を評価する」という考えはすんなりと受け入れられた。トヨタは試行錯誤の末に○×評価をすることが多い文化であるが、これからは、部品やシステムの機能を考えて判断するように変えていく。

4、NMS研究会200回を振り返る〜自分史を振り返る(ヱスケー石鹸(株)、秋元美由紀)

 大学では化学を専攻していて、化学に関わりつつ自身が実際に使う商品を扱いたいと思い化粧品メーカーに就職した。その会社では1因子実験が基本で、年に数回程度不良や手直しが起こっていたがあまり違和感は覚えなかった。現在の会社に転職したときに品質工学を初めて耳にした。従来方法とは違うというがどう違うのかよくわからなかった。実際に試してみようということで、2012年の大会発表した事例に着手した。それでも品質工学の良さを実感したかといえば、まだまだである。やって良かったと実感できる開発をするために実践に取り組んでいく。

5、なぜ品質工学に興味をもったのか(日本水環境学会、窪田葉子)

 大学の研究から企業での業務までに学んだことは「分析方法によって結果が異なる」ということだ。PCB(ポリ塩化ビフェニル)処理に関する業務は特に苦しい経験をした。行政による基準値や測定方法の設定は無茶苦茶だ。親油性の物質を水での溶出試験で評価するように定めたり、超高コストの検査機で測れないような評価に定められたりした。タグチメソッドに出会いはするもののPCB処理での実験は未処理が許されない。試行錯誤の末に非効率で非目的的な事業から離脱。その後も品質工学を実践していこうと、学会入会するため著名な矢野氏へ直接電話して入会した。そして、NMS研究会にも参加するようになった。MTシステムを用いて化学物質の危険有害性の指標化に挑戦する。

6、自分史(コニカミノルタ(株)、近藤芳昭)

 大学から大学院までに計算工学を学び博士を取得した。東工大では数値計算で著名な矢部孝氏や青木尊之氏に学ぶ機会を得た。2003年にコニカへ入社。社員教育のなかに品質工学があったがあまり興味を持たなかった。しかし、アルプス電気の「シミュレーションを用いた試作レス開発で一発完動」の事例を聞いて一気に印象が変わった。2014年の発表大会には複合機の全体シミュレーションで受賞をするに至り、これがきっかけとなり社内で相談を受けることも増えた。実践を重ねて会社に貢献したいと思っている。

7、NMS研究会200回を振り返る(花王(株)、坂本雅基)

 東京転勤をきっかけにNMS研究会へ2010年から参加するようになった。NMS研究会内で発表された内容と、会報に送った自身の感想を振り返ってみた。評価とQE推進には恒常的に興味があるが、テーマ設定とQEの位置づけについては興味の対象が変遷していることがわかった。テーマ設定については研究開発への応用からシステム選択、テーマ選択、そしてマーケティング分野へと興味が移っている。また、QEの位置づけは学問としてのQEから社会貢献のためのQEへと考えが変わっている。今後は妥当なテーマ設定のための要件の理解を課題に取り組みたい。

8、自分史((株)コマツ、細井光夫)

 物理修士を修了して、1983年にコマツに入社した。入社してから電気研究所へ配属されて制御関係の業務にあたった。その後、ロンドン大学インペリアルカレッジに留学し、帰国と同時に機構制御研究室へ配属となっていた。特機(防衛庁)技術研究所へ出向、業化推進部、経営企画室を経験した後、2008年にコマツウェイ推進室へ配属された。そのとき立林氏のセミナーを聞いたのが品質工学との出会いである。記憶にはあまりないがセミナー受講後にはすぐにグループ会社へ品質工学を売り込んだ記録がある。2013年には総合研修センター兼開発本部に配属となり、年間200日出張しながら品質工学をグループ内で実践していくという今の生活になる。今後は研究部門へQEを導入し、生産部門までを包括的な支援の実践に取り組んでいく。

9、伯楽に振り向かれた駄馬の場合(セイコーエプソン(株)、畠山鎮)

 ロボットの開発がしたいと思い電通大へ進学するものの難解な数学に挫折する。授業のなかで矢野氏に出会い課題について何度か褒められた経験を基に品質工学を学ぶことを志す。卒業後はJUKIに入社して制御プログラムの条件設定に直交表を用いることをおこなった。その後、仙台小林製薬へ転職し、在庫管理や装置保全でオンラインQEを実践する。最適化によるコストダウンの成果を得たがそれにともなう大きなレイオフを目の当たりにした。品質工学会で出会った高田氏に誘われエプソンへ転職をする。品質工学を盛り込んだLPI手法を確立させてさまざまな工場で実践する。結果、億越えのコストダウンを実現する。これまで事例報告ばかりだったので、今後も実践を続け成果を研究報告していく。

10、200回を振り返る(キヤノン(株)、吉原均)

 大学では工業経営を学んでいた。キヤノンへ入社後は生産技術部門の金型のCAD/CAMの担当をする。当時、無人化工場構想のもと、マシニングセンターによる金型の無人加工に取り組んでいた。数年間のCA/CAMシステム構築を進めたが、生産現場では納期は全く短縮しないという事実を目の当たりにした。結局、部分最適に終始していたのだ。品質工学は1996年にその存在を知る。1999年に会社では開発効率向上活動が始まり、推進事務局となって、品質工学にも取り組みを開始した。2001年からパラメータ設計の推進をおこなった結果、確認実験までおこなえたのは28件ほどであった。今後、10件の大会発表を目標に品質工学の実践を続けていく。

11、NMS研究会200回を振り返る(芝浦工業大学、齋藤之男)

 初期のNMS研究会には学生の卒業研究発表をさせていた。自立精神の強い学生を何人も輩出していたと思う。NMS研究会の過去を振り返りながら今の日本の教育を眺めると、問題が数多く存在する。受験勉強では多くの教科の底上げを狙うが、それでは一芸に秀でた子供を評価できない。そこでAO入試ができたのだが、勉強をしなくなった学生が受験に来るだけで本末転倒である。「大学経営3000人説」というものがあり、大学は規模の拡大のために学生を増やすが、それにともない学生の質が低下している。大学教員として、大学の改革を提案していきたい。

12、安藤の振り返り(ヱスケー石鹸(株)、安藤欣隆)

 大学を卒業してまず洗剤屋に就職し、「アルミ食器を腐食しない洗剤」の研究をしていた。カレーや醤油で汚れた布地を実際に洗浄して評価していた先輩社員を横目に、自分は洗剤の機能は油の分散性だと思い着色した油を試験管のなかで水に分散させて評価していた。そして原料を端からスクリーニングし、後で用途に合わせて調整するような製品ラインナップにすれば良いと考えて試験管実験をしていた。この取組は裏方では成功したが、会社が外資に買われて道半ばで退職することになった。現在はマネージャーという立場でもあるので20代30代に思い描いたことを実現していくタイミングだと考えている。そして会社内では部下達を巻き込んだエコシステムを構築し、社外では商社を巻き込んだ評価の推進によるエコシステム構築を進めている。

13、「自分のQE史を振り返って次になすべきことを見定めてみる」(コニカミノルタ(株)、田村希志臣)

 1990年にコニカへ入社し、コピー資材の開発に従事してきた。大まかな業務の変遷は製品設計開発から評価技術開発、要素技術開発となり現在は新領域での要素技術開発をしている。コニカで田口玄一と矢野宏による指導会が始まったときが品質工学との出会いである。矢野に「なぜみんな同じ問題を持ってくるのか?」と言われたがその意味がわからなかった。あるとき、指導会のおこなわれる会議室の片隅に座り、1日の様子を見ていた。すると、高速機用、エコ型用、…と用途が違うが同じ問題であることがわかった。商品設計は技術開発の結果を受けてチューニングするものと気づかされた。これまで25件の論文を発表して、約半分が受賞した。技術者の地位向上をめざし、マクロ視点での技術開発、新技術領域への展開、そして思考力強化プログラムの開発に取り組んでいく。

14、品質工学の受容(東京電機大学、中島達夫)

 東工大応用物理1期生であった。大学では熱雑音温度計の研究をしていた。東亜合成へ1965年に入社し、化学工業技術へのコンピュータ計算導入を業務としていた。久米明正との出会いが品質工学との出会いでもあった。1971年から田口先生の実験計画法指導を受けていた。その後、久米さんと一緒に実験計画法の講師を社内外でした。1993年に学会へ入会し、編集委員や審査部会を歴任。退職後、東京電機大学講師となり、NMS研究会へ参加するようになった。今後も品質工学の発展に能動的に取り組んでいく。
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