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私の履歴書 守浩三(前千葉県計量協会会長、前京葉計器会長)
私と計量の始まり
はじめに
平成14年4月16日は私にとって、終生、忘れ得ぬ日となった。それは千葉県計量協会理事会の席上で会長退任を表明したからである。それに先立ち、11日には兼務をしていた千葉県計量工業会の会長を退任して、楠本行男副会長を後任として私が指名し、当日の理事会において満場一致で承認された。
理由は、私は平成14年のお正月に数え年80才を迎え昭和55年に会長就任以来20年を超え、この際若返りを計ること。同様に16日の理事会では次期会長に予定していた恵藤計器(株)恵藤太郎社長が突然病に倒れ、代わりに千葉県計量士会の齋藤勝夫会長が満場一致で決まった。
全国でもまれな計量検定所長OBの計量協会長誕生である。社団法人化と指定検査機関を目指す千葉県としては、最良の選択であろう。
江戸川計器の事業を継承
思えば、昭和48年暮れ、江戸川計器の社長が亡くなり、京葉瓦斯(株)に工場売却の話が持ち込まれた。
当時の千葉県総務部長の皆川さんから人の採用の話があり、さっそく工場、土地、人員及び内容を調査の結果、買収を決断し、京葉瓦斯(株)菊池社長にお願いした。社長は、需要家とガスの取引証明に使用するメーターを、自ら供給することは、大変意義があると決断された。
翌昭和49年2月に京葉配管設備(株)の計器工場として発足、さらに10月には社名を京葉計器株式会社として京葉配管設備(株)から独立、私が社長を兼務した。
齋藤勝夫氏との出会い
ガスメーター製造修理の会社を新しく興すことは大変なことで、さっそく通商産業省、計量研究所、千葉県計量検定所などへ事業認可手続きを始めた。
千葉県計量検定所長は県内産業育成のため、従業員のためと、国へ県へと迅速果敢に行動された。そのお陰で僅か2ケ月後に事業を開始できた。
時の検定所長の名は齋藤勝夫。このたび私の後任の千葉県計量協会会長その人である。これが私の30年に及ぶ計量人生と連れ添っていただいた斎藤さんとの、数奇的運命的な出会いであった。
その後、私は平成2年6月に千葉県知事表彰、同6年に通商産業大臣表彰、同9年秋の叙勲に際しては勲五等瑞宝賞を授与された。この栄誉に輝いたことは齋藤氏を始め関係各位のご指導の賜物と心から感謝している。
健全経営を続ける
当時私は京葉瓦斯(株)常務取締役から京葉配管設備(株)の専務に就任して2年目、時に年齢は50才であった。その後の京葉配管設備(株)は、名称を(株)ケイハイと改め、年商100億円の企業に成長し、平成14年には35期の中間決算迎えた。京葉計器(株)も同様にただ一度の赤字を出すことなく、健全経営をつづけて平成14年には28期に入っている。
私は平成12年3月、胸部を切開して心臓血管のバイパス3本の手術をした。この年の12月、親会社から両社トップに優秀な人材を得て、社長の座を降り、両社の会長に就任した。
千葉計協顧問に
平成14年6月18日も私にとって忘れ得ぬ日の一つとなった。
ポートプラザ千葉において、計量協会総会が千葉県商工労働部長臨席の下に盛大に開催された。その日に私は齋藤勝夫氏と会長を交替して名誉会長に推挙され、その委嘱状をいただいた。私はこれで永久に計量人の仲間入りを果したと感じた。
この席上で私は齋藤さんに我社、京葉計器(株)の相談役を委嘱する旨を披露した。また20日は私のために真名カントリー倶楽部で盛大な送別ゴルフ大会が開催され、我が計量人生に心から賛辞を贈りたい心境である。