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私の履歴書 蓑輪善蔵(日本計量史学会会長)                 

佐原で造り酒屋の分家の長男として生まれる

佐原小学校時代

 

 

 私の年代は1931年9月18日に起こった柳条湖における鉄道爆破事件即ち満州事変発端の年に小学校に入り、1937年7月7日盧溝橋で始まった日支事変の年に中学校に入り、最上級生になった1941年12月8日には第二次大戦が始まっています。物心つく頃から戦争の歩みの中に身を置いてきたことになります。

 1931年に小学校に入りましたが、佐原小学校は家から200m位の所にあり、運動場も広く子供達の遊び場の1つでした。私は3月生まれの早生まれでしたので,3年生まで弱年組の男女組でした。佐原は伊能忠敬の出身地であり、小学校時代は毎年4月半ばの忠敬記念日に、諏訪公園にある銅像の写生をさせられていました。

 小野川の上流には田に水を引くための堰があり、田植え時期以降になると堰は閉ざされ、その上流は2m位の深さがありました。私なども小学校2年生位から背の立たないここで泳いでいました。

 男女組が解消された4年生の頃に家と小野川との間にあった水田が埋められ5、6年生用の校舎が建ちました。丁度5年生になった時その校舎が竣工し、この校舎に入ったため、この時から家の裏庭から学校に行けるようになりました。

 放課後の遊びは専ら校庭でしたが、町内に年上で野球の好きな人達が何人かいたためか、近所の子を集めて野球チームが作られたのが丁度5年生の頃で、私も初めから参加させられ6年生までショートを守っていました。昭和11年の2・26事件の日は佐原でも深いところで50cmもの雪が積もっていました。

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