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私の履歴書 蓑輪善蔵(日本計量史学会会長)                 

日本計量士会での仕事

計量士登録事務

 当時は計量課OBの大橋一郎さんが計量士会に席を置き、国の業務である一般計量士登録の作業をここ計量士会で行っていました。これには後の話があって、大橋さんが亡くなった後もこの作業が続いていて、計量士会では松枝さんを臨時職員として雇用、この作業を続けていました。そのためですか計量法制定後の計量士資格認定の資料、計量士登録の正本、副本ともに計量士会に保管されていました。しかし、このことは若し事故でもあって、これらの資料が紛失したらとんでもない事になります。数年後ですが計量課長に話し、計量士登録の正本を計量課に移し、その後この事務は総て計量行政室に移りました。

共済からのお土産

 通産省を退職した時、共済組合から記念品として旅行券が支給されましたので、伊勢志摩への旅行を計画し、家内と2人、私としては始めて伊勢神宮参拝を果たし、賢島で2泊しましたが、食べ物に飽きたのか、退屈だったのか昼食にラーメンを食べに行った事もありました。このとき三重県の松本克一さんにお世話になりました。家内と2人での旅行はこれが二度目でした。

「交代の話は聞いていない」

 5月28日に開催されたマツヤサロンでの総会は、溝呂木さんも出席していましたが、議長は藤田さんだったように思います。専務理事が本宮さんから私に代わることになっていましたが、ここで、ハプニングが起きました。溝呂木さんが、専務理事の交代を聞いていないし、承認できないと言い出したことです。困ったのは副会長と専務理事、既に4月に長野計器に行き、その了解は取れていたのですが、記憶に残っていなかったのでしょう。その時のことは余り記憶にないのですが、原さんの話ですと、私は帰ると言ったらしい、私はそんな事を言ったとは思っていませんでした。 副会長や専務理事の説得でなんとか納まりましたが、溝呂木さんのお守りも大変だとの印象でした。この総会で、会長溝呂木金太郎氏、副会長原善造氏、吉藤忠次郎氏、藤田武夫氏、専務理事蓑輪善蔵となりました。

計量士実態調査

 計量士会にきて最初の事業が、委託費での「計量士の実態調査」。一般計量士と環境計量士を含めてのことでしたので、(社)日本環境測定分析協会に環境計量士を分担して貰い、調査を実施しました。委託費は最初600万円でとの話が、最後は200万円になり葉書による調査になってしまいました。このときの計量課の担当は、後に計量士会の専務理事を務めた監理班長伊藤政一さんです。この調査は渡辺修一計量教習所長を委員長とする委員会を組織して実施し、計量研OBの黒田さん、松本さんのご婦人2人にアルバイトをお願いし集計などをして貰いました。

夜打ち朝駆け

 6月12日に中部7県計量管理協議会が能登の和倉で、翌13日には関東甲信越地区計量協会協議会が越後湯沢で行われ、計量士会から私がこの2つの会議に出席させられましたが、どちらか一方は本宮さんが出席してもよかった筈、随分ひどい話とは思いました。と言うのも12日の会議の後、翌日の朝早く発ち漸く協会の会議に間に合うスケジュールだったのでした。さらに7月3日の東北北海道計量大会に出席、8日には石川県山中温泉での理事会と、忙しい事でした。

バイメタル温度計問題

 北海道の消費者協会から、百貨店に並んでいる湿度計の示度が極めて不揃いであることを指摘された計量課は、その対策として、いわゆる一般家庭で使用されている湿度計の、品質向上を図るため委員会による検討を行う事とし、バイメタル式と称する湿度計は、団体は金属製温度計工業組合が適当として、湿度計メーカーに金属製温度計工業組合に加入してもらい、この組合を事務局として委員会の運営を行いました。計量課の担当は小杉さんと野村さんで、委員会は電総研OBの加納さんとメーカーそれに計量研と私が加わりました。最終的に計量士会に補助金による検査装置を作り、標準を統一することからはじめ、抽出による検査を実施することになりました。湿度測定は難しく、専門家の必要に迫られ、当時計量研で湿度標準の研究に従事していた田中良行さんに、無理を言って1982年計量士会に来ていただきました。実際の検査はそれ以後に始まりました。

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