|戻る|ホーム|

  since 7/7/2002

28

私の履歴書 蓑輪善蔵(日本計量史学会会長)                 

戦後自由思想と中検の組合活動

 

 

 

東大卒の入所が相次ぐ

 1947年になると東京大学卒業の人も入所してくるようになるし、1947年、48年には多くの人が入所してきました。加藤芳三さん、川田裕郎さん、増井敏郎さん、坂倉知巳さんや、専門学校出の村田守さん、角田和一郎さん、金田良作さん、天野重昭さん、渡辺修一さん、吉田彰二さん等々の人々でしたが、この頃は人の出入りが激しい時代でした。

本宮大介さんの移籍

 度量衡行政官として海南島に赴任していた高橋凱さん、原田祐之さんと本宮大介さんが復員したのが1946年の早い時期だったと思いますが、4階に寝泊りしていた本宮さんが中検から日本度量衡協会に移ったのがこの年の10月頃でした。

 確か小泉さんと本宮さんの発案だと思いますが、中検内の親睦団体である協和会の事業として、本宮さん名義で収入印紙と切手、それにタバコの販売を始めたのもこの少し後でした。タバコの販売は直ぐに取りやめましたが収入印紙と切手の販売は検定手数料の納付が収入印紙でしたので継続され、数年後からは検定数の増加とともに販売手数料も増え、協和会にも相当額の販売手数料が入金される様になり、観劇、運動会或いは講演会の開催など所員の福利厚生に随分と役立ちました。

講習室に寝泊まり

 サツマイモの買出しなどを主催した庄司行義さんが厚生係長で、食糧が不足していたこの時代に、協和会からとして1、2ケ月おきにA液、B液と称したビール瓶一本宛のエチル・アルコールと白絞油が配られていました。名義は多分、圧力計、温度計と浮ひょうの検定用でしょう。この頃になると兵役から復員してくる人も多くなってきましたが、住む家もままなりませんので4階の講習室に寝泊りする人が増えてきました。

 講習室に寝泊りしていた人々は、前掲の人達のほか、小川了さん、深津惣太郎さん、立川喜久夫さん、小泉袈裟勝さん、川村竹一さん、中原喜敏さん、川田裕郎さん、関口秀雄さんなどでした。

|経済産業省|産業技術総合研究所|製品評価技術基盤機構|

|戻る|ホーム|