|戻る|ホーム|

  since 7/7/2002

18

私の履歴書 蓑輪善蔵(日本計量史学会会長)                 

中検は夜学通いを奨励

 

 

 

ガスメーター校正の思い出

 学校が夏休みになるのを待って,守衛室の隣にあった11tのタンクによるステーションメーター(大型湿式ガスメーター)の校正を行うことになりました。責任者は玉野さん、そして竹内さん、北村さんに坂本さん達、私も参加し手伝いをしました。

 測定は温度が一定する夜半過ぎから明け方まで、夜10時頃再び出勤する玉野さんは、私などには珍しかったホットケーキを持参されたりして、測定に立ち会っておられました。

 測定の流速が遅いときは待ち時間が長くなるので、本を読んだり囲碁をしたりしていましたが、私は玉野さんと将棋を指したことが忘れられません。囲碁はまだ出来ませんでしたし、将棋も小学校の頃に遊んだ程度、時間を持て余していた私の相手をして頂いたものと思っています。

 当然のことながら一度も勝たして貰えませんでした。10日程かかったこの測定が終わった頃、度量衡の指導者として中国の天津に居られた江浦重利さんが中国の人1人と共に、中検見学のためか1週間ほど比較検査係に通ってこられたことがありました。

 秋に入ると、今度は小型の標準湿式ガスメーターの校正を本館2階の中庭で、縦型のベル型ガスホルダーを使って行いました。

 丁度この頃が国内標準の確認時期にあったようです。ガスメーターの校正が終わった後は佐藤さんの仕事即ち原器室でH型標準直尺の水中での比較を手伝うようになっていました。地下室には横動比較機もあった筈ですのに原器庫の前での作業でした。私たち入所1年程の男性4、5人が、ガスメーター、水道メーターの出張検定要員確保のため、白藤静一さん(後岩手県に移られました)から検定の実習を受け、都内出張に行く事ができるようになったのもこの頃です。

検査出張手当で助かる

 出張先は、品川製作所、金門製作所、園池製作所、東京ガス、都の水道局その他で、毎日30人以上もの人々が出張していました。都内出張の手当は半日当で、技手が1円25銭、雇員が1円でした。この旅費は私の生活に随分役立ちました。

 岡田さんを長とした使用中の水道メーター調査が行われたのもこの頃で、成績はあまり良くなかったと思いますが、戦争に必要な金属不足を踏まえ、この結果から有効期間の延長になったようです。

 確かこの年の冬からだったと思いますが、鉄供出のため、暖房がスチームからダルマストーブに切り替えられ、地下室からの石炭運びが男の仕事になりました。温度の急激な変化は測定に影響を与えるため、部屋の中央部付近にストーブ1つが置かれていただけでした。

 休み時間になると先輩の女子職員達は半卓の下にガスコンロを置き、毛布を掛けておしゃべりをしていましたが、良くその中に入れて貰っていました。そんな時天野さんが脇を通ることがあっても、笑っていましたが、当時渡辺所長の主義なのか、男女間の垣根は非常に高いもので、所内では口を聞くのもご法度で、女性はお嬢様、男は何処の馬の骨か分からないと言ったとかで、年配の林さんと言う女子職員の監督者もいて目を光らせていました。

|経済産業省|産業技術総合研究所|製品評価技術基盤機構|

|戻る|ホーム|