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  since 7/7/2002

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横田 俊英       

オープントップ軽スポーツダイハツ・コペンに乗る

オオマシコ

 久しぶりに自分だけで使える時間を確保してドライブに出たのは冬の野鳥に会うことが目的の一つでもあった。鳥に会えるところに行けないならそれは次回の楽しみにしようとは思う。しかし、いい場所に来てしまった。大晦日のドライブは私の年中行事になっており、信州の川上村と甲斐の増富村の境界にある信州峠に来ていたのである。白い世界の信州側ではスタッドレスタイヤが左右に揺すっての登坂であった。甲斐側は南斜面であるから雪は少ない。もう少し下れば瑞がき山と金峰山が見られるはずだ。瑞がき山の鋭い岩峰には雪が着いているだろう。金峰山のなだらかな斜面は雪で覆われており、この寄り添った二つの名山が冬姿で歓迎してくれる。

 雪道から除雪の済んだドライ路面の道路に出たら気が軽くなった。昼を回ったばかりだから後はこの山塊の林の中で遊んで帰ればいい。通る車は希である。ハイカーも居ない。風がなく冬木立は静かだ。鳥の声を聞きたい。鳥の姿が見たい。こんな冬の日に山に遊びに来た私と戯れてくれる野鳥はいるのだろうか。

 乗ってきた車はルーフが電動で開く軽自動車だ。ルーフを開けるためのロックレバーを解除して、スイッチを入れるとギューン動き始めやがてルーフのすべてがリアゲートに収納される。座席に着いて天空を仰ぐと青い空が見える。嬉しくなってきた。ダウンジャケットを着込んで帽子をかぶる。帽子の耳覆いは開けておき車外の音に耳を澄ますことにする。車はギアを3速に入れてエンジンブレーキをかけての運転である。座席のヒーターのスイッチはオンにしているので腰から背中にかけては暖かい。エアコンのダクトをひざに向けて暖房を聞かせる。この音は気にならない。タイヤノイズがこれより大きいからだろう。

 「もうこの世界は俺一人のものだ」と決める。少し走っては路肩に止めて小鳥を待つ。小鳥が活発に動く時間帯ではない。しかしカラの仲間はありがたいもので、コガラとヒガラが冬木立を集団で渡っていった。そしてヒヨドリが姿を見せた。しばらくするとバサリという感じで地上に降りてきた鳥があった。オオマシコである。メスであった。このメスと集団で行動している仲間がいるのではとしばらく待ってみた。オスのマシコ紅とでも言いたいあの腹部の美しい赤を見たいのである。しかしオスも集団も姿を見せないうちにオオマシコのメスは林に姿を消した。

 オオマシコのメスの腹部の赤はオスに比べようもない。オオマシコとベニマシコは似たような姿をしている。オオマシコの方がずんぐりしている。ベニマシコは尾が長いので、本に書かれている体長はオオマシコ17cm、ベニマシコ15cmとある。体重の比ではオオマシコ28g、ベニマシコ17.5gである。パッと見た目の大きさの違いは明らかである。マシコの名の付く野鳥にはほかにハギマシコある。ハギマシコは朱が混じるものの地味な体色である。すべてスズメ目アトリ科。

 シベリア東部およびユーラシア大陸の北東部で繁殖するオオマシコは冬になると南に移動し中国、朝鮮半島、日本に移動する。日本に冬鳥としてやってきたオオマシコは北から順に分布し、九州および四国では希に見られる程度である。この日の前の週に八ヶ岳の山中でオオマシコを目にしている。雪が降った翌日のことで、このときもバサリと路上にオオマシコは落ちてきた。オオマシコは大きな集団で観測されることはない。1羽から数羽でいることが多い。オオマシコは大猿子の字が当てられており、猿の赤ら顔がオオマシコの腹部の朱に似ているということであろう。

 晴れた冬の雪原をスキーを履いて散策しながら野鳥の姿を探し声を追うことを楽しみにして、増富ラジウム鉱泉へと向かうことにした。


ルーフを開ければ気分は最高

 コペンのルーフを開けていると気分がいい。車の上空には青い空があることを実感する。川上村から高原野菜の広大な畑の真ん中に一直線に引かれた道路を信州峠に向かって登っていくときに現れる道路と空の水平線はこの世で一番美しい風景と思える。車で遠くへ、また知らない街へ出かけるのは、こうした美しい風景に出会えるかも知れないという願望が引き金になっているのだろう。

 頭上を開いたコペンの外の気温はこの日ずっとマイナスだ。温度計を出せばマイナス3度程度だろう。足下に吹き出した暖房と座席のヒーターのため寒さはない。首の上までダウンジャケットのジッパーを上げているからだ。しかし風の吹き返しが後方から来るので首筋の防寒をしていないと寒い。それと手が寒い。これは意外だった。薄い手袋を用意しておきたい。

 時間に余裕はなかったものの増富のラジウム鉱泉で湯に浸かる。これで気分はさらによくなる。から更に下って行くと幾つかのトンネルが現れ、左手に明野村を経て甲府に抜ける茅が岳農道が現れる。この道に入る。茅が岳農道信号がない高原の道路で南側に甲斐駒ヶ岳が眼前に迫り、富士山も東の方角に現れる。この道路の中程に明野村が建てた温泉施設があり一風呂浴びることができる。

 農道を下ると双葉町に出る。ここで左に進路を取ると甲府に向かう旧道があり、そのまま直進して塩山に辿り着く。塩山で国道20号の甲州街道に乗って東京方面に進路をとる。

 山道の走り終えたところでコペンのルーフは閉る。ルーフを閉じるには路肩に停車しサイドブレーキを引いてから行う。エンジンを掛けたままにしておくことが条件になる。スイッチを入れるとリアのトランクが開いて次にルーフが現れフロントガラスにかちんと当たる。あとは2個のロックレバーを閉じればいいだけだ。これもワンタッチで操作時間は1個に0.5秒あわせて1秒だ。


ダイハツ・コペンの初乗り

 自動車屋でコペンを受け取る。初乗りは富士吉田の浅間神社にお札をもらいに行くことだ。さーて、マニュアル車はどんな手応えだろう。「大丈夫かな」と一言発してギアを1速に入れる。サイドブレークの解放とクラッチのつながりの位置が分からない。途端にエンストだ。初日はその足で200km走る。

 富士山登山口の浅間神社までは基本的にずっと上り坂。マニュアル車の坂道発進の連続であるから慣れないドライバーには苦しい。発信に失敗してエンストの連続である。エンストの繰り返しでその間に信号が赤に変わってしまう。

 発信させるのに慣れないうちはエンジン回転数を3000回転から4000回転ほどに上げる気持ちでクラッチをミートするといいだろう。5000回転まで上げる気持ちでもいい。クラッチがミートするまでの感覚が思いの外つかみにくい。クラッチペダルを踏んでつながるまでの距離がクラッチペダルの踏みしろの中間になっている。そてとどうした訳かクラッチをつなぐのに左足のかかとを床に着けて置くことができない。左足のかかとを床から上げなくてはならない。左足は空に浮かべてクラッチ操作をする車があるのだろうか。座席に腰をしっかり当てて左足の操作をするのは普通の運転では疲れてしまう。フロアマットを厚手のものにして左足のかかとを床に着けてクラッチ操作をできるようにした。私の対応はいいことなのか悪いことなのか不明である。しかしこの対策によって発進時のエンストは減り、クラッチ操作も随分と楽になった。サイドブレーキが解放される位置も慣れないとつかみにくい。

 サイドブレーキに関しては解放される位置関係を体得するしかない。静かに力が抜けている感じではなく、カクンという感じで解放されるから操作が難しい。これは慣れを要するものだ。それとクラッチがつながるときのグググッという感覚が慣れないうちは分かりにくい。クラッチが重いのもクラッチミートを難しいものにしているようだ。コペンのマニュアル車は慣れるまでにはある程度の時間を要する。しかし慣れてしまえば、峠道を走る楽しさはなかなかのものである。

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