No.09 信州千曲市 姨捨の棚田と名月
棚田をみているとこれを耕す人の勤勉さに頭が下がる
 
 

 写真は信州千曲市、姨捨(うばすて)の棚田の田植えのもよう。5月22日のことである。何日か経つと月は満月になった。月は夕暮れ時に東の空からのぼって、水鏡となった千枚もの田に映る。これを「田毎の月」(たごとのつき)と呼ぶ。棚田の東には千曲川が流れていて、眼下には善光寺平が広がる。

 棚田の一枚一枚に月が映るのは、姨捨の棚田に限定した現象ではない。日本人の、月と自然に対する特別な感情や文化が、「田毎の月」という言い方に表れている。

 日本の田植えのころはいちばんいい季節である。

「元旦は田毎の月こそ恋しけれ」

 と、小林一茶が詠んだとある。冬に初夏の季節を恋しく思うこの句は、現代のように便利な暖房がない江戸時代の人間らしい素直な感情の発露であるように思える。「田毎の月」になる姨捨の棚田を保存する人に「棚田の名月はすばらしいことでしょう」と聞いたら、「雪の日の棚田の月こそ感嘆すべき風景だ」と答えが返ってきた。私は、ある年に二度ほど、この名月を見にでかけた。しかし生憎と曇りや雨であった。月を見るのに雲と雨は邪魔である。対して、星を見るのにはお月さまが邪魔になる。高原や山にでかけたら星を見るとよい。星を見てたまには宇宙のことを考えるのもよいだろう。

 私は鮎釣りに夢中になっていた時期があった。栃木県、茨城県を流れる那珂川を上流、下流と釣り歩いているときに、旧烏山町や茂木町を流れる川の左岸に、見事な棚田が広がっていた。棚田に稲が青々と伸びているのを見て、その美しさに息をのんだものである。棚田の美しさばかりに目がいきがちだが、この田で稲を育て、収穫するためには、大変な労力がいる。棚田を見ているとこれを耕す人の勤勉さに頭が下がる。