|野鳥歳時記|

ホシガラス

高原の 涼風揺らす ホシガラス  虚心

 2001年の夏はやりきれない暑さが続いています。夏の暑い日が続くと思い出すことがあるのです。
 まだ学生時代のことで九段に住んでおりましたが、あまりに暑いので夕方に家を発って、高原列車の小海線で佐久地方の松原湖駅に遅くに着き、長椅子に寝転んで夜を明かしました。高原駅は涼しくてまさに別 天地でした。始発のバスで北八ヶ岳に足を運び、2000m級の森を散策するという気まぐれな遊びです。中央線の茅野駅に出るルートでの行動です。
  北八ヶ岳の森は気持ちがいいところで、森林限界を出たり入ったりで、空気が乾燥していることも手伝って気持ちが自然に明るくなります。倒木樹にびっしりとコケが生えたシラビソの林でぬ っと現れたのがホシガラスでした。その姿は白いまだら模様が強烈で思わず息を飲みました。周囲に人はおらず、一瞬ではありますが、私とホシガラスの間にコミュニケーションがあったような気がします。私はオッとして「ホシガラスだ」と叫びました。そしてジンワリと嬉しさがこみあげて来ました。そういえば、昨夜駅の警邏にきた警察官に身分を確かめられた以後、誰とも会話をしていなかったのです。つまらないことを自問自答したり、時には心が空っぽになったりする半日を楽しんでいたのです。焦げ茶に白の斑点のホシガラスはカケスの仲間ですから、人を食ったところがあると言いますか、どこかに愛嬌があるのです。
  ホシガラスを見ていた時間は5分もなかったでしょう。ですがこの日私は小さな宝物を拾った気分になって心が弾んだのです。それは家に帰って以後も続いており、このようにたまに思い出すと幸せな気分になるのです。たった5分のホシガラスとの邂逅が30年以上の経た今日の私に幸せを運ぶとは思いも寄らないことでした。

 この日は山の温泉に入って筋肉をほぐし、ビールを手にして中央線の旅人になったのです。しかし、暑い東京に帰ってきたら、すぐさま高原の住民になりたいと強烈に思うのでした。ホシガラスを見たのはその一回限りです。思い出を強烈に残しておくためには、以後その姿を見なくていいと思っているのです。そういう思い出の野鳥はホシガラスだけです。

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since 7/7/2002