旅について − 仕事の旅、楽しみの旅−

横田俊英(本紙論説員)


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登山という名の旅

 旅の本流は自己の楽しみのために出かけるものであろう。私の旅の最初のものは登山と称して出かけるものであった。東京からの手軽な登山の対象となる地域は中央本線の山々で八ケ岳には夏冬通して良く出かけた。登山の名目で日本の各地を列車で移動した。登山という行為のなかに占める列車での移動というパートが私にはうれしかったのである。何だ、みんな登山といいながら旅行を楽しんでいるのではないか、というのが私の登山に関する強い印象である。登山をするための移動が私の旅の原点である。そして列車の窓からの風景が私の日本の国の記憶であり原風景である。
 この時分の私は懐にあるお金を登山に全部費やしても何の心残りもなかった。この時代は貧しくのあり、呑気でもあった。

年間百日の旅人は
中堅企業の社長さん

 旅といってもいろいろあり、ビジネスマン(サラリーマン)の場合は仕事での出張が旅の中心的な存在となる。
 社員百五十名ほどのある会社の社長は、工場、営業所の社員との打ち合わせ、得意先回りで年間百日の旅をするという。社員や得意先との密接なコミュニケーションを図ることを真剣に追求するとこの位の出張も有り得るかなと思えるが、仕事熱心な社長であることは間違いない。

 

この国のサイズを足が覚える

 登山とも山旅ともつかない遊びをしていて、面白いと思ったことの一つは日本列島の大きさを直に感じることが出来たことである。それは富山から松本に抜ける登山コースとなる北アルプスの「裏銀座縦走」の経験である。富山から松本まで山稜を何日か歩くと日本列島を横切ることになるのが不思議であった。「あれっ、日本という国の大きさはこの程度のものなんだ」という実感が妙なものであった。列車や車で移動すればこの国の大きさはそれなりに分かるのであるが、自分の肉体を動かしてつかんだこの国の大きさの実感は別物である。

飛行機から見る日本列島

 視覚的に日本の大きさを分かることが出来るのは飛行機から日本列島を見ることである。東京から三十分飛ぶとどこまで行けて、一時間飛ぶとここまで来るんだということで、この国の大きさが分かる。
 日本の国が大きいのか小さいのかは尺度のとりかたで変わってくる。経済の規模はアメリカに次いで世界の第二位である。南北の長さで国土の大きさを計ったら小さい国ではない。人口だって一億二千万人もあれば小さな国ではない。気候的にみた利用可能な国土の面積だって小さくはない。高等教育を受けた人の数でみても世界有数の国である。周囲の海の大きさだって、これほど海が大きな国はない。川の数と総延長だって世界有数であろう。
 そんなことは別にして私にとっての日本という国は数日の歩行で横切ることができる程の国なのである。

シベリアは大きい アメリカは大きい

 大きな大地があるものだなあと感心するのはシベリア上空を飛ぶときである。ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊したあとはシベリア上空で航空機の窓のシャッターを開けることが出来るようになった。ヨーロッパへの移動の途中眠れないことの代償はシベリアを上空から見物できることである。ときどき道路が見えて、雪の山が見えて、湖が見えるシベリアは大きな大地であると思うのだ。
 ニューヨークからロサンゼルスに飛ぶ。これも長い旅だ。ジョンデンバーの歌声が聞こえてきそうな山脈を幾つか越え、夜の飛行の眼下に光の充満した街を幾つも越える。街にさしかかると道路の街路灯がやけに目に付く。そして思うことは「もったいない」ということである。アメリカのエネルギーは安いのだとは分かっていても、こうこうと輝く光を見ていると「もったいないな」と思うしかない。

駅の思い出

 列車の旅ではその街の印象は駅舎の印象と直結する。
 京都駅が新しくなった。京都は寺を中心にした文化遺産に埋もれた街である。かつての京都駅表玄関の二階建ての駅舎は田舎臭いものであった。京都の街は交通事情に通じないものにとって行動しがたい所である。時間を持て余した若い頃はどこを見ても同じ事なので、「えい」と駅から歩き出したものである。
 仕事の都合で京都駅によく乗降するようになってからは新幹線の時間待ちで、駅舎をうろつくことが多くなった。新幹線の乗り場に近い八条口の近鉄のマーケットの中に「ふたば書房」という本屋があり、ここで帰りの車中で読む本を物色する。時間つぶしにはこれが一番。京都の思い出は駅舎の思い出、そして八条口の本屋の思い出である。

旅と食事

 食事は旅に出ての楽しみの一つである。
 土地には特産物があり、その一つに食べ物がある。食べ物といえば浜松は鰻(うなぎ)である。浜松に出かけたら土産話の一つにでもということで鰻の蒲焼きを食わねばならない。浜松駅前の蒲焼き屋に飛び込んで鰻重を注文。この時は二十歳そこそこの時だった。鰻など滅多に食べたことはなく、その美味い味というのがどんなものなのかも分かっていなかった。浜松の鰻重の味の結論は「大したことないなあ」。
 一九九七年に会社の同僚が浜松で鰻を食べてきたので「大したことなかったろう」と聞くと、「美味かったですよ、おごって貰ったのですけれどね」との答え。「そうでしょうかねえ、おごって貰えば美味いのかも知れない」と私。味の評論は難しい。
 名古屋も鰻の名所である。「おごって貰う」ということでは熱田神宮境内の鰻の専門店に会社訪問をしたついでにご案内頂いた。かなり込み合っていて待たされたのはこの店の人気の程を示しているのだろう。出てきた鰻は小さく刻まれていて、ご飯の間に二段に盛りつけられていた。鰻にはほどよい腰があって、たれも濃くなく薄くなく、ことのほか美味かった。
 その名古屋では出張の折り、繁華街の鰻屋を覗いてみた。同僚と連れだっていたのでうれしい楽しい晩餐であるはずであった。座敷にあがってアルコールをきゅうとやったまでのこと。隣の客は中年の女性社員を二人連れた「社長」らしい老人の一組。聞こえてくる「社長」「社長」の言葉が耳に触ってならない。ご機嫌取りを隣で聞いているのは癪な物である。せっかくの鰻がまずかった。
 「社長」の国はお隣の韓国である。この国の社長は「シャッチョ」であるから十分に皮肉が込められていていいのだ。「シャッチョ」が日本人の観光客に対する呼び掛けの言葉である。名古屋の鰻屋の中年女性達の言葉が「シャッチョ」であればいいのだが、ご馳走してくれる相手だからちゃんと「社長」と呼んでいた。

京都 大原 三千院
「男二人の湯豆腐」

 京都に同僚と二人で出かけることもある。
 今日はこっそり「遊ぼ」とレンタカーで大原の三千院に。「遊ばなければその土地が見えないのだ」と理屈をこねてみる。三千院に出かけたのは冬であったので名物の湯豆腐を注文。これを食べないと土産話にならないからだ。参道の大きなガラス張りのお店に腰を降ろす。客はいない。冬の寒さに湯豆腐とくれば付き物は熱かん。酔わない程度にちびちびやっていると、隣に中年の男女の客がきた。そちらの話が耳にはいる。この男女はお忍びらしい。
 「どうもここは気分がまずいなあ」。三千院の茶店の湯豆腐の味はお忍びの味であった。 

 

一人食いの夕食
「俺は寂しがっているんだなあ」

 出張の折の一人での夕食は楽しいものではない。侘しいのだ。夏ならまずはビールを一本注文してみる。これは儀式といってよいだろう。このビールの注文がないと具合が悪いのである。そしてグビッと一杯やるのだ。その一杯だけである、美味いのは。あとは静かな時間と向き合わなくてはならない。お菜を口に運んでも面白くない。汁を飲んでも何もない。飯を食えば終わりである。ビールはビンの底にコップ一杯分残っていることが多い。無理にそのビールを飲んでみる。頭に浮かぶことはうつろなもの思いの時間がつづくだけの事である。とりとめなく、どうでもよい事が勝手に行き来する。少し酔ったかなと思いながら暫くそのような思考を自由にさせておく。そして「俺は寂しがっているんだなあ」と思うのである。

旅と音楽

 東北への夏の一人旅。早池峰山に出かけたときだった。列車のデッキでラジカセが鳴っておりチューリップの「心の旅」が流れてきた。若者のグループがにぎやかに夏休みの旅に出ていた。この曲に付けられている歌詞は「ああ 今夜だけは君を抱いていたい・・・・・ああ 明日の今頃は僕は汽車の中」。青春の歌である。この曲をこの時初めて聞いた。旅の情況にきわめて似つかわしい曲であった。作詩・作曲はグループリーダーの財津和夫。一九七三年に作られた曲で遅れてきたフォークソングである。「ああ だから今夜だけは君を抱いていたい・・・・・ああ 明日の今頃は僕は汽車の中」の歌詞の繰り返しに特徴がある。
 歌を作った財津和夫は私と同じ歳である。今はもうすっかりいいオジさんになっていて、NHKテレビで青春を語っていた。そのなかの一説「青春とは居心地が悪いものである」。私は「人生とは居心地が悪いものである」と思っており、また「生きることは恥ずかしいことである」と思うのである。

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