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日本計量新報 2017年8月27日 (3161号)

記憶と知識と論理の狂いは何を引き起こすか

テレビのことである。CATVの歴史や自然などのチャンネルで米国などが製作する番組をみていると違和感が付きまとう。神としてのイエスがいてイエスの庇護のもとに生きているのか、神との誓約の上で人は生活しているということが土台になっているらしい。キツネもクマもオオカミも木も岩もあらゆるものが神になってしまう日本の人々にはわかりにくい。米国の自然や歴史を扱うテレビ番組はある精神世界に立って製作されていると考えなばならない。

人には考えを生み出す元がある。精神世界の奥深い部分の思想なり宗教が考える根元である。知識の量と深さがどれほど蓄えられているか。知識は人柄と思想によって使われ方がかわる。中途半端な知識、偏った知識によってその知識で思考を組み立てて堂々巡りをする人がいる。気の毒だと思いながらも、そのような人と会話すると人の世のやるせなさを感じる。狭い範囲の人とだけ交流しているとその考えが浸透する。証拠は言葉が一緒になることだ。

人との会話で成立した共通事項がくつがえることがある。契約の覆しである。契約社会の米国ではあり得ないことだが日本では日常茶飯におこる。契約当事者の内側の者が嫌だというと契約は破棄される。裁判に持ち込んでも利益がないから仕方がないと諦めるが、契約を破棄した者は世間から相手にされなくなる。白が黒になると真っ当な者は仰天する。その場に立ち会っていたから黒を白だといった者の凄さに驚いた。横やりをいれて白を黒だと主張するものを観察していると精神の障害を疑いたくなる場合もある。

世の中には記憶がないと怒る人がいる。老齢によってか障害によってか記憶を留めることができなくなっているのかと疑いたくなってしまう。あんたの記憶は誰も信用しないと何度もいわれているうちに「そうかなあ」と思う人はまだよい。自分の記憶が絶対とする人がいる。人とは記憶を土台にして思考するようであり知識もまた記憶の産物である。知識では人に負けないと思っている人がいる。人は多くを知っているにこしたことはない。しかし人が知っている事柄は少ない。知識を多く備えていて使い方を心得ている人が教養人だ。

計量計測企業にも企業経営者の親子が辺りをはばからずに言い合うところがある。いくつかの企業でそのような事態を確認している。朝から終業までずっと堂々巡りをしていたこともあった。兄弟の経営者にも同じことをみた。それぞれに論理があり主張がある。端からみれば話し合わなくてもよいことである。賢い取り巻きはどうでもよい主張は偉い人にごもっともという態度で畏(かしこ)まる。そのようにできないのが親子と兄弟のようである。

先代が取引先と交わした立会人のいる公然たる約束をほかの身内が横やりをいれて覆してしまうような事実に遭遇すると、世の中にはそういう人間がいるのかと驚く。世間というものへの認識が異常であり、思考方式と知識の在り方が特異な人がいる。計測器にもそのようになっている器物があるから異常を事前に察知して被害がでないようにするということは、人への対処の仕方と共通する。イエスを絶対とする世界観のもとでつくられるテレビ番組に違和感を覚える程度なら被害はないが、現代社会では異常性を内にひめた人に遭遇することを想定してこれに備えていなければならない。

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