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日本計量新報 2008年5月18日 (2724号)より掲載

私の履歴書 鍋島 綾雄  

日東イシダ(株)会長、(社)日本計量振興協会顧問、前(社)宮城県計量協会会長

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32 日本計量協会理事に 2767号

 鈴木会長が1984(昭和59)年88才で引退されるまで、昭和40年代の後半から日計協の理事会は殆ど私が代理出席をするようなった。

 日計協は当時学者肌の温厚な人格者だった朝永さんが会長をしておられ、専務理事は東京都の検定所長を退職した山口さんだった。私がびっくりしたのは理事会で23人の理事さんが専務理事の無能を口汚く罵ることだった。当時の中央の情報に疎い私にはどちらが正論なのかは分からなかったが、専務理事が気の毒な気がした。

 1976(昭和51)年、南部さんが会長のとき総会で会長表彰を戴き代表して謝辞を申し上げる光栄に浴した。当時、日計協の総会は会長が議長ではなく出席理事の中から選出する規定であった。その総会の時は鎌長時代同僚だった大藤さん(当時日本はかり工業会の会長)が総会の議長に指名され、堂々と総会を取り仕切ったのを見て、中央における彼の知名度に感心し、差を付けられたなと感じた。

 1984(昭和59)年、 正式に理事に選出された。昭和60年代は新米理事として何の役にも立たなかったし特記すべきこともないが、1988(昭和63)年に通産大臣賞を頂いた。

 1991(平成3)年「計量100周年」の記念式典がホテルニューオータニで開催され、天皇・皇后両陛下の行幸を仰いで盛大に挙行された。立法・司法・行政3権の長も揃って出席した計量界最大の式典に参加できた幸運だけでなく、その式典の中で通産大臣から大藤さんと一緒に表彰の栄に浴した。天皇・皇后両陛下に間近にお目にかかったが、私と家内の一致した感想は写真よりずっと上品でお美しかったということだった。

 また、大藤さんはこの時既に体調を崩されていたが、鎌長の鎌田守恭社長が我が親の様に親身に付き添っていたのがとても印象に残った。

 お互い夫婦揃って目出度い席での再会で手を取り合って喜んだものだった。悲しいことにその後間もなくご夫婦とも亡くなられ淋しい限りである。

(つづく)

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