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日本計量新報 2008年5月18日 (2724号)より掲載

私の履歴書 鍋島 綾雄  

日東イシダ(株)会長、(社)日本計量振興協会顧問、前(社)宮城県計量協会会長

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22 紆余曲折を経た代検査事業の立ち上げ 2754号

 私は、協会の活性化は会費頼りの体質から脱皮して事業収入を図らなければならないと考えた。そして他県でもぼつぼつ始まっていた代検査事業に目を付けた。そこで検定所長経験者の二人にやる気がないかと誘ってみたが断られた。未だ会長でもない私にそれだけの信用がなかったのだが、やはり大きな障害は検定所だった。検定所の空気としては自分達の縄張りを荒らされることに当然反対だった。

 1981(昭和56)年検定所育ちではなく外部から初めて大槻さんという方が所長に起用された。

 いろいろな部署を経験されただけあって視野も広くしっかりした信念をお持ちの方で、民活という時代の流れをよく理解している方であった。

 いろいろお話をしている中で、この所長なら検定所内の反対を抑えて代検査事業を実現させてくれるのではないかとの感触を得た。

 そこで1982(昭和57)年、協会の臨時総会を開催して代検査事業推進の是非を問うことにした。

 鈴木会長は既に86才の高齢で総て副会長の私に任されていた。検定所の2階で開催した臨時総会は私が議長として矢面に立った。協会の現状・民活の流れを説いて協会が代検査事業に乗り出すことに理解を求めた。

 しかしすんなりとは行かなかった。反対の急先鋒は元検定所長で定年後民間企業に移った理事さんだった。皆に向かって「代検査事業はうまく行くとは限りませんよ。定期検査は役所がやるから出来るのであって、協会でやっても採算とれませんよ。理事の皆さんはもし赤字になったら自腹を切って赤字の責任を取らなければなりませんよ。その覚悟はありますか。」といった調子で反対意見を打たれて往生したが、それでも何とか大方の賛同を得て総会を乗り切った。

 こうして1983(昭和58)年4月、国鉄OB計量士一人、女子事務局員一人の二人でスタートすることになり、10年間表札だけ掛けて空き部屋になっていた協会の事務局に専従職員が誕生することになった。

 以来24年間、代検査事業は協会の事業の中核として協会の発展を支えてきた。

 代検査事業を実施するに当たり、委託計量士による検査を実施する協会が多かったが、私は代検査をやるからには苦しくても全て職員計量士で実施出来ないかと考え、それを最初から実行してきた。始めは検定所OBや国鉄・郵政OBの計量士を専従職員として採用したが、逐次新卒の若手を採用して計量教習所に入れ、現在では60歳代3名、40歳代2名、30歳代3名、20歳代5名計14名(内OB計量士2名、若手計量士5名)平均年齢34歳と若返り、若い人たちが協会の仕事に魅力を感じてくれるようになり、理想的な体制を築くことが出来た。今日代検査収入は3000万円(指定定期検査機関の収入は別)を超え、協会事業の大きな柱となっている。

(つづく)

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